「君が代」に込められた神様への信仰

「君が代」の意味

日本の国歌「君が代」の歌詞は古今和歌集によると言われています。しかし、その意味は必ずしも明瞭ではありません。まず「君が代」の「君」は日本の君主である天皇のことであり、天皇の御代(みよ)がいつまでも続きますようにという意味で「苔のむすまで」と歌われていると聞いたことがありますが、本当に天皇を「苔」に例えるということがあるのでしょうか。また「千代に」と歌われていますが、なぜ「万代」ではないのでしょうか。しかも、「せんだい」ではなく「ちよに」と読み、さらに「八千代に」と続きますが、そのような言い方はあるのでしょうか。このような「君が代」の謎について、「日本とユダヤのハーモニー」から学ばせていただいたことを皆様にご紹介させていただきます。

「君が代」はヘブライ語ではないのか

「君が代」の中にはヘブライ語で神を意味する「ヤ」「ヨ」という音が繰り返し出てきます。また、「チヨニ」という音はヘブライ語で「シオン(イスラエル)の民」を意味する言葉と全く同じ発音だそうです。ヘブライ語で救いを意味する「イシ」や、イスラエル人にとっては神を意味する「岩」「巌」という表現もあります。このように「君が代」の歌詞をヘブライ語で解釈すると、そこには古代日本に移住してきた神の民イスラエルの神様に対する熱い思いが込められていたことが浮かび上がって来るようです。

「君が代」をヘブライ語として読んでみると

「君が代」は「きみがよは」で始まります。ヘブライ語で読むと「クム・バ・ヨワ」と3つの単語に分けられます。ヘブライ語の「クム」は「立つ」。「バ」は「来る」。「立ち上がって、来てください。」という意味になります。「ヨワ」は「神様」を表す「ヤーウェー」と考えられます。「君が代は」の語源は「クムバヤハウェ」または「クンバヤワ」と発音する言葉が多少訛って「キミガヨワ」という日本語になったと考えられます。それは「神よ、立ち上がり、来てください!」という切なる祈りと考えられるそうです。

「チヨニ」は「シオンの民」

続いて「千代に、八千代に」と歌われます。ヘブライ語の「チヨニ」は「シオン(イスラエル)の民」。それに「神」を意味する「ヤー」がついて「ヤチヨニ」は「神様のシオンの民」。「サザレ」はヘブライ語の「サッサ」と「サリー」が合成された言葉。「サッサ」は喜ぶこと。「サリー」は「残りの民」。かつて国家を失ったイスラエル人にとって「残りの民」という言葉は重要な意味を持ちました。やがて神様が「残りの民」を憐み、「神の民」として回復してくださる日が来ると彼らは信じて東へ東へと向かい、やがて日本にまで来たのです。そこで各地に神の社を建て、新しい国家の建設に取り組みました。彼らは「サッサ・サリー」「サッサリー」、「残りの民は喜びます!」と歌いつつ神をほめたたえたことでしょう。いつしか「サッサリ」は「サザレ」と読まれるようになったと考えられるようです。

「岩」は神様を表します

続く「イシノ」は「救い」という意味の「イシ」。「ノ」は強い願いを込めた言葉で、「救いたまえ!」という意味だと考えられます。「巌となりて」は「イワ・オト・ナリテ」と3つの単語に分けることができるようです。「イワ」は神様を表す「YHWH」。それは「ヤーウェー」とも読まれますが、「イーワー」とも読めます。また、聖書には「岩なる神」と神様は岩に例えられています。人となった神様であるイエスも「救いの岩」と呼ばれました。この日本語の「岩」の発音が神様を表す「イワ」と同じだということで、日本では古くから岩を神様として祀るということが行われて来たようです。

「巌となりて」

「オト」はヘブライ語で「私に」を表す「オティー」。「ナリテ」は「見せた」という意味の「ニラタ」。「イワオトナリテ」は「神が私に見せてくださる」という意味になります。何を見せてくださるのか。それは当然神様がご自身の御顔(みかお)を見せてくださるということでしょう。そして、「コケノ」は「全ての基礎」という意味で「全地」を指していると考えられます。「ムスマデ」は「破壊」「滅びる」という意味の「ムシュマッド」だとすれば、「コケノ・ムシュマッド」は「全地が滅びる」という意味になります。

「苔のむすまで」

また、「ムシュマッド」には特別な意味がありました。それはユダヤ人の中でイエスを神様であると受け入れた人々は「ムシュマッド」と呼ばれたそうです。そすると「コケノ・ムシュマッド」は単に「全地が滅びる」という意味だけでなく、「イエスを神様として受け入れることが全ての基礎」という信仰の告白が込められているのかもしれません。

日本の国歌「君が代」に込められた神様への信仰

日本の国歌「君が代」は、「神よ。立ち上がって来てください!」という「君が代は」(クムバヤハ)という掛け声で始まります。そして「千代に八千代に」、つまり「シオンの民、神の民」が神様の大いなる恵みを受ける「残された民」として喜び、神様の救いを祈り求めたというのが、「細石の」、「サッサリー・イシノ」の意味です。そして、神様はその御顔を見せてくださったことを「巌となりて」、「イワオティーニラタ」と歌います。そして、たとえ全地が滅びても、全ての基礎はイエスにあるという信仰の告白が「コケノ・ムシュマデ」と歌われます。

キリスト教ではありません。これは私たち日本人の信仰です

いかがだったでしょうか。日本人の信仰は聖書の信仰であり、イエスを神様として、イエスを中心にして生きることこそ日本人の信仰であることをご理解いただけましたでしょうか。そこに私たちが抱える全ての問題の解決があると歌われています。私たちの国歌「君が代」には、そのような信仰が込められているのです。詳しくはどうぞ「日本とユダヤのハーモニー」をお読みください。

 

投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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