京都の太秦「ウズマサ」はヘブライ語から

広隆寺

「ウズマサ」はヘブライ語に由来する

京都に「太秦」という地名がありますが、普通「うずまさ」とは読めないと思います。なぜ、「太秦」と書いて、「うずまさ」と読ませるのでしょうか。その由来をヘブライ語にさかのぼることができるということについてご紹介いたします。

太秦は秦氏の拠点

京都の太秦は秦氏の拠点でもありました。秦河勝が建立した広隆寺も太秦にあります。中国語で「大秦」とは、西方の国、古代ローマを指す言葉として使用されていたようです。秦氏が「太秦」の漢字で呼ばれたのは、西方から来た人々という意味があったのではないかと考えられます。

「イシュ・マシャ」ではないか

この「太秦」という漢字がどうして「うずまさ」と読まれるのでしょうか。東京文理大学の学長をつとめた佐伯好郎教授は、それはヘブライ語の「イシュ・マシャ」に由来すると言っています。「イシュ」とは「イエス」のことであり、「マシャ」は「メシヤ」。つまり、「イエス・メシヤ」、「イエス・キリスト」という意味だというのです。

秦氏の信仰の表明

イエスをメシヤとして受け入れるイエスの直接の弟子たちの末裔が、遠くエルサレムからシルクロードを通って日本にまでやって来た。それが秦氏と名乗る人々であると考えられるようです。彼らはイエスこそメシヤであるという信仰を表明するために、自らを「ウズマサ」と呼んでいたのかもしれません。

日本書紀の記録

A.D.471には、秦酒君が雄略天皇から「太秦」と書いて、「ウズマサ」という姓を与えられたことが日本書紀には記され、このような歌も記されています。

ウズマサは 神とも神と 聞こえくる 常世の神を 打ち懲(きた)ますも
(ウズマサさまは、神の中でも神だ、と評判だ。人々が尊崇した常世の神を打ち懲らすほどに霊験あらたかだから)

イエスの直接の弟子たちの末裔

このようにイスラエル系渡来人の秦氏は、単にユダヤ人であったというだけでなく、イエスの直接の弟子たちの末裔であった可能性を「太秦」という地名には見ることができるようです。古代日本には紀元前よりイスラエル系渡来人の影響があり、紀元後にはイエスの直接の弟子たちの影響もあったと考えることができます。

キリスト教伝来よりずっと昔

1549年にフランシスコ・ザビエルが西欧キリスト教を日本に初めて伝えるよりずっと太古の昔から、日本にはユダヤ教の影響、イエスの直接の弟子たちの末裔がもたらした影響、つまり聖書の影響があったということだと思います。イエスの教えは西欧キリスト教よりはるか昔にすでに日本にもたらされており、日本人の信仰、文化、伝統の中に色濃く引き継がれていると考えることができると思います。

イエスの教え

私たち日本人は西欧キリスト教ではなく、日本人の信仰、文化、伝統を通して聖書を読み、イエスの教えの本質を取り戻すことが大切ではないでしょうか。それでは今日も聖書の続きを読みましょう。

新約聖書 使徒の働き 16章6~15節

それから彼らは、アジヤでみことばを語ることを聖霊によって禁じられたので、フルギヤ・ガラテヤの地方を通った。こうしてムシヤに面した所に来たとき、ビテニヤのほうに行こうとしたが、イエスの御霊がそれをお許しにならなかった。

それでムシヤを通って、トロアスに下った。ある夜、パウロは幻を見た。ひとりのマケドニヤ人が彼の前に立って、「マケドニヤに渡って来て、私たちを助けてください」と懇願するのであった。

パウロがこの幻を見たとき、私たちはただちにマケドニヤに出かけることにした。神が私たちを招いて、彼らに福音を宣べさせるのだ、と確信したからである。

そこで、私たちはトロアスから船に乗り、サモトラケに直航して、翌日ネアポリスに着いた。それからピリピに行ったが、ここはマケドニヤのこの地方第一の町で、植民都市であった。私たちはこの町に幾日か滞在した。

安息日に、私たちは町の門を出て、祈り場があると思われた川岸に行き、そこに腰をおろして、集まった女たちに話した。テアテラ市の紫布の商人で、神を敬う、ルデヤという女が聞いていたが、主は彼女の心を開いて、パウロの語る事に心を留めるようにされた。

そして、彼女も、またその家族もバプテスマを受けたとき、彼女は、「私を主に忠実な者とお思いでしたら、どうか、私の家に来てお泊りください」と言って頼み、強いてそうさせた。

マケドニヤへ

現在もマケドニヤ共和国という国がありますが、マケドニヤはエーゲ海を越えたギリシヤの北にあたる地方で、パウロの旅は小アジヤを後にして、東ヨーロッパへと進められたという記録だと思います。

神様の計画

それはパウロ自身の計画というよりも、神様ご自身によって導かれたのだということが記されています。それは神様の霊、イエスの御霊、幻という方法で導かれたことが記されています。それはどういうことだったのか私には自分の経験としては分かりませんが、それが神様の願いや思いであるということを確信してマケドニヤに渡ったということは間違いないことだと思います。

それは人それぞれ

神様が私たちにどのように確信を与えるのかということは人によってそれぞれなのかもしれませんが、私の経験から言えることは、神様の願いを求め、状況から判断し、また判断の材料となる資料を調べたり、いろいろな人と話している内に、間違いないという確信が与えられて来たように思います。それは単なる思い込みではなく、また神の声を聞いたという神秘的なことでもなく、私にとっては極めて理性的なものだと思っています。

大切なことは神様を中心にすること

全ての人にとってそうなのかは分かりません。パウロのような確信の持ち方もあるのかもしれません。しかし、大切なことは自分の思いではなく、神様の思いを中心にすることだと思います。

投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

「京都の太秦「ウズマサ」はヘブライ語から」への6件のフィードバック

  1. 感謝します。 昨日の祈りで わたしたちが示されて主のはたらきをさせていただいている地域が 東の果てだと与えられました。 日本人クリスチャンですが 中国で救われたこともあって 漢字と信仰に深い関連性を見出すことがあります。 多面で参考にさせて頂きます。 

    1. コメントありがとうございます。ぜひ引き続きブログ、YouTubeの動画配信などもご覧ください。コメントもお寄せください。祝福をお祈り申し上げます。

      1. はい、ありがとうございます。よろしくお願いいたします。 わたしどものメインエリアは いすみ(千葉県 もとは夷隅 周囲に 一宮 太東がございます) です。 

        1. そうでしたか。私も今は仙台におりますが、以前、13年ほど東金に住んでいました。今後ともどうぞよろしくお願いします。

  2. はじめまして、今回の騒動で自分の中で色々な事がわかってしまいとても驚いています。
    日本が古く守ってきたものはエルサレムから来ているのですね。

    1. 返信が遅くなり、大変申し訳ありませんでした。コメントありがとうございます。私は歴史の専門家でも研究者でもありませんが、多くの方々の書籍などを読んで、私はそのように考えています。また、そのことをご紹介できればと思っています。このような日本の文化伝統、価値観を大切にしていただきたい。それが日本人だけでなく、世界の幸せになると思っています。何か参考になればとても嬉しく思います。

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