伊勢神宮、秦氏、ユダヤ人の不思議な関係

先週、秦氏はメシヤニック・ジューの中の1つのグループだったのではないかと書きました。今日は伊勢神宮と秦氏との関係、そしてユダヤ人が伊勢神宮に寄せる不思議な思いについて、坂東誠著「秦氏の謎とユダヤ人渡来伝説」からご紹介いたします。

伊勢神宮に惹かれるユダヤ人

私たち日本人にとって伊勢神宮は、日本人の心の故郷、もしくは不思議な安らぎを与えてくれる特別な場所である。だが伊勢神宮を特別な場所と感じるのは、日本人だけではないらしい。ユダヤ人も日本に来て一番驚くのは、伊勢神宮なのだ。

元駐日イスラエル大使であるエリ・コーヘン氏などは、すっかり病み付きになってしまい、在任中も、そして退任後も何度も伊勢を訪れているという。

ちなみにユダヤ教の祭司は、コーヘンと呼ばれモーセの兄アロンの男系の子孫のみが祭司職を継承してきた。日本では天皇陛下が大祭司であられ、ユダヤの祭司と同様、常に男系男児のみで継承されてきた。(ここにも日本とユダヤの共通点を見ることができる。)

第一章でも紹介したように、伊勢神宮と古代イスラエルのユダヤ教の神殿の類似点は非常に多い。そして一説では、この伊勢神宮にもユダヤ系渡来人である秦氏が大きく関わっているといわれるのだ。

それを示す証拠は、伊勢神宮の神官の名前にある。現在の伊勢神宮の外宮の神官は渡会(わたらい)氏で、内宮の神官は荒木田氏である。しかし、もともとは外宮も内宮も渡会氏が神官であった。

この渡会という姓は渡来と表記することもあり、渡来系の名前だと言われる。また渡会氏の先祖は「大若子命(おおわぐごのみこと)」であり、別名を大幡主(おおはたぬし)命という。その大幡主命はもともと「大秦主命」ではなかったかといわれている。つまり伊勢神宮にも秦氏が大きく関わっているのではないかと思われるのだ。

ちなみに英語で「jewfish」という魚がいる。これを日本語に直訳すると「ユダヤの魚」となるが、この魚は日本では「ハタ」と呼ばれている。(本からの引用は以上です。)

日本人の信仰

もちろん、神道はユダヤ教ではありませんし、キリスト教でもありません。また、日本人はユダヤ人だと言うこともできないでしょう。しかし、日本人の信仰、文化、伝統にはメシヤニック・ジューの流れを汲む「秦氏」の影響があることは否定できないと私は思います。

神様を中心にして生きる

それは何か特定の宗教と言うより神様を中心とて生きる生き方だと言うことができると思います。そこに日本人の優れた文化、伝統、価値観のルーツがあると私は思っています。この日本人の心をしっかりと取り戻していただきたいと願って、私は「日本人の信仰と聖書について考える会」を始めました。

聖書は日本人の信仰のルーツ

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は神様を中心として生きようとした人々の記録であり、日本人の信仰のルーツです。キリスト教の教典としてではなく、日本人の心を取り戻すために聖書を読んでいただきたいと思っています。

新約聖書 使徒の働き 23章1~5節

パウロは議会を見つめて、こう言った。「兄弟たちよ。私は今日まで、全くきよい良心をもって、神の前に生活して来ました。」

すると大祭司アナニヤは、パウロのそばに立っている者たちに、彼の口を打てと命じた。そのとき、パウロはアナニヤに向かってこう言った。「ああ、白く塗った壁。神があなたを打たれる。あなたは、律法に従って私をさばく座に着きながら、律法にそむいて、私を打てと命じるのですか。」

するとそばに立っている者たちが、「あなたは神の大祭司をののしるのか」と言ったので、パウロが言った。「兄弟たち。私は彼が大祭司だとは知らなかった。確かに、『あなたの民の指導者を悪く言ってはいけない』と書いてあります。」

全くきよい良心をもって、神の前に生活する

パウロはユダヤ人の議会に引き出されて、裁判にかけられることになりました。そこで、パウロはまず「全くきよい良心をもって、神の前に生活して来た」と証言しました。それは決してユダヤ教に反することでもないと思いますが、パウロはユダヤ教を熱心にやって来たとは言いませんでした。本質は宗教をやることではなく、きよい良心をもって、神の前に生活することだと思います。そこに生きる意味も価値も喜びもあるのではないでしょうか。

正しい裁判とは

そして、本当にパウロがきよい良心をもって、神の前に生活して来たのかどうかということを吟味することが、この裁判の目的ではないかと思いますが、パウロがこう言ったというだけでアナニヤはパウロの口を打てと命じました。これでは正しい裁判とは言えず、ただの感情論ではないでしょうか。

神様を中心とする者の強さ

しかし、パウロの堂々たる姿に、きよい良心をもって、神の前に生活する者の強さを思わされます。パウロのように、いつも神様を中心として生きることができるように、毎日時間を決めて神様に思いを向けて祈り、聖書を読むことをお勧めいたします。

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