「人間関係」2:6:2の法則

大盛ご飯

「【人間関係に疲れた】2:8の原則を知ると人間関係が楽になります」という記事を読みました。なるほど参考になるかもしれないと思いましたので、一部をご紹介いたします。

「2:6:2の法則」

「2:8の法則」は、「2:6:2の法則」と呼ばれることもあります。たとえば、学校のクラスで運動が得意な子が2割いれば、苦手な子も2割いる。6割はどちらでもなく普通という法則です。

それは自然の摂理

それを受け入れることで、人間関係を気楽に考えることができます。もしあなたと意見が合わない人がいても、気にすることはありません。あなたと意見が合う人が2人いれば、当然反対する人も2人いるということです。そして、どちらでもない人は6人います。

「食事は残してはいけない!」「無理してまで食べてはいけない!」

たとえば、「食事は絶対に残してはいけない!」という人がいれば、「無理してまで食べてはいけない!」と、逆を言う人もいるんです。そして、「どっちでも、いいんじゃない」という人が多数いる。これが「2:6:2の法則」であり、自然の法則。これに逆らおうとすると人間関係が苦しくなる。

気にすることはありません

もしも、あなたを嫌う人がいても、気にすることはありません。あなたに好意を持ってくれる人が2人いたら、逆に、あなたを嫌う人が2人いて、当然なのです。これを、「嫌われたくない!」と、全員に気に入られようとすると、心が苦しくなる。

自然の法則を受け入れる

私たちに、たくさんの恵みを与えてくれる『太陽』ですら…「暑い!」「日焼けしたくない!」と嫌われることがあるのですから。自然の法則に逆らわず、受け入れることで、人間関係を気楽に考えることができます。(サイトからの引用抜粋は以上です。)

現実を受け入れる

この方は「2:6:2」は自然の法則だから、それを受け入れることを勧めていますが、それは現実を受け入れることであり、神様を中心にすることでもあると思います。もちろん、だから何も努力しないということではなく、自分にできること、神様から任されたことはしなければいけませんが、でも何が何でも自分の思い通りにしたいということになれば、それは自己中心だと思います。

神様を中心にする

私たちの思いが自分ではなく、また人でもなく、神様を中心にするなら、人間関係においても適切な距離感を保つことができると思います。ポイントは神様を中心にして生きることだと思います。そのために、どうぞ毎日時間を決めて神様に思いを向けて祈ってみてください。それは何かの宗教をやることではありません。またご利益でもありません。大切なことは私たちの思いを神様に向け、神様を中心に物事を見ることができるようになることだと思います。

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は神様を中心にして生きようとした人たちの記録であり、実は日本人の生き方と深い関係があると思います。キリスト教の教典としてではなく、神様を中心にして生きるために聖書を参考にしてみてください。

新約聖書 マタイの福音書 7章13、14節

狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。

「狭い門」「大きい門」「狭い道」「広い道」

イエスにつき従って来た群衆に語られたイエスの言葉の続きです。「狭い門」「大きい門」「狭い道」「広い道」それは何を意味しているのか。具体的ではないので、それぞれ考えなければならないと思います。

いのちに至る道

滅びに至る門は大きい。その道は広い。多くの人がそこから入って行く。でも、いのちに至る門は小さい。その道は狭い。それを見いだす人も少ない。いや「まれ」だとイエスは言っています。

自分を中心にする生き方。神様を中心にする生き方。

自分の思い、自分の考え、自分の願いを中心にして生きる生き方は、結局は自らを滅ぼし、周りの人々をも滅ぼす生き方だと思います。でも、多くの人がそのように生きているのかもしれません。神様の思い、神様の考え、神様の願いを中心にして生きる生き方。それがいのちに至る生き方。それは自分に喜びがあるだけでなく、周りの人々をも幸せにする生き方。でも、そのように生きる人はまれなのかもしれません。

多くの人が言っているから正しいとは限らない

必ずしも多くの人が言っているから、社会的に認知されているから、また世界三大宗教の一つだからということで、それが正しい生き方であるとは限らないかもしれません。本当に神様はどのような生き方を私たちに願っているのか、それはそれぞれの良心で判断することではないでしょうか。

神様の声を聞き分ける

私たちは多くの人がそう言っているからとか、大きな団体だからとか、有名な先生が言うことだから、そういうことで物事を判断したくなる弱さを誰もが持っているのではないかと思います。もちろん、それは参考にはなると思います。でも、神様は生きて働いていて、私たち一人一人に声なき声をもって、それぞれの良心に語り掛けてくださっていると私は思います。その声なき声に最後まで忠実に従って歩んで行けたら、何て幸いな人生なのでしょうか。それは「いのちに至る道」ではないかと思います。

いかがでしたか

参考になりましたら、「いいね!」でお知らせください。また、シェアのご協力もよろしくお願いします。

「日本人の信仰と聖書について考える会」では、宗教ではなく、神様を中心にした幸いな生き方について、多くの人たちに伝えるために、パンフレット「今こそ伝えたい日本人の心」(1部10円。100部以上で送料無料。)を作成しました。皆様の知り合いの方にぜひお渡しください。ご協力をお願いします。

今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました。

投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

「「人間関係」2:6:2の法則」への2件のフィードバック

  1. 2割の人とは気が合わない、というのは分かったのですが
    それが、仕事上の上司であった場合、気が合わないでは済まないと思っています。
    また、そのような考え方で楽になれないからうつ病の人が出てくるのではないかと。

    1. スピリチュアル様、コメントありがとうございます。確かに気の合わない人が2割いると分かったからと言って、すぐに全ての人間関係の問題が解決するという訳でもないと思います。ただ、現実を受け入れることが、次のステップにつながるということで、この記事に共感し、参考になればと思い、ご紹介させていただきました。病気になってしまうほどの状況で、その状況を変えることができないとすれば、職場を離れることも選択肢になるでしょう。全ては神様の支配に置かれていることを受け入れて、その中で自分にできる選択をすることが大切ではないかと私は思います。「神様は真実な方で、耐えられない試練を与えることはない。必ず脱出できる出口をどこかに備えている。」と聖書にも書かれていますし、私もそうだなと思っています。具体的な答えは人それぞれに違うと思いますが、神様に思いを向けて祈り、神様を中心にするところに答えがあると思います。何か参考になれば幸いです。

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