「子供の教育」規範の大切さ

学校の教室
子供に「行くべき道」を示す

大人が子供に「行くべき道」を示すことの重要性について、八木秀次監修「明治・大正・昭和・・・・・・親子で読みたい精撰『尋常小學修身書』」の監修者解説から抜粋してお伝えします。

アメリカ大統領レーガンの時代

1981年1月にアメリカ合衆国大統領に就任したロナルド・レーガンは、就任早々教育改革に着手した。(中略)この頃、アメリカは子供たちの著しい学力低下と風紀の悪化に悩んでいた。

子ども中心主義の問題

60年代以降のアメリカの教育界は、ジョン・デューイなどの教育理論に加えて、アンナ・フロイトやエリック・エリクソンら精神分析学の影響を受け、〝子ども中心主義〟の考えに傾いていた。(中略)子供を親や教師の枠をはめず自由にして、多少のことには目をつむれと主張した。そしてこの理論が(中略)当時のリベラリズムの風潮とあいまって、自由放任や個性重視の教育が行われることになった。

悪が取り締まれなくなった

公立学校の生徒手帳から細かい服装規定が消えていったのもこの頃である。高校生による「市民的自由」獲得運動の結果、連邦最高裁までが「生徒といえども公民権を校門の外に残してくるのではない」と判決し(1969年)、学校が独自に服装規定を生徒に守らせ、違反者を罰することが不可能になった。

規律を失った子供たち

のみならず、服装規定の存在さえ生徒の自由を奪うものとされて一斉に抹消されることになった。(中略)こうして学校は生徒に学校独自の規律を強制する手立てを失い、その結果、口髭を蓄えた男子生徒、イヤリングをつけ、爪に真っ赤なマニュキュアを塗った女子生徒が現れるなど、学校がストリート同然となった。

不幸な子供たち

そして、これがやがて校内暴力、麻薬・アルコールの乱用、セックス・十代の妊娠へと発展していった。また15歳から19歳の子供の自殺率はかつての3倍にもなり、少年犯罪も激増していった。

自己中心の問題

「このような学校の自由化、人間化の動きは、単に規則の改変のみに留まらず、教師の指導姿勢、生徒の学習に対する構えに変化を生じさせた。教師は昔の毅然たる姿勢を失い、生徒の歓心を買う芸人と化し、生徒は権威に対する尊敬を忘れて刹那主義に走るものが多くなっていった。(後略)」(加藤十八『アメリカ教育のルネッサンス』学事出版、1992年刊)(本からの抜粋は以上です。)

幸福とは正しく生きること

子供の人権を守ることは大切なことだと思います。しかし、正しく生きること、行くべき道を示すこと、それは大人の責任であり、子供の人権を侵害することにはならないと私は思います。自由をはき違えてはいけないと思います。幸いな人生とは正しく生きることと深く関連していると私は思います。人権とは悪を行う自由を保障することではないと私は思います。

自己中心を退けて、神様を中心にすること

それは自己中心を退けて、神様を中心にして生きることに他ならないと思います。しかし、それはある特定の宗教教育をすることではないと私は思っています。大切なことは宗教ではなく、神様を中心にして正しく生きる事だと思います。

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は神様を中心にして正しく生きようとした人たちの記録であり、実は私たち日本人の信仰と深い関係があると私は思います。キリスト教の教典としてではなく、神様を中心にして幸いな人生を送るために聖書を読むことをお勧めします。

新約聖書 マタイの福音書 7章15~20節

にせ預言者たちに気をつけなさい。彼らは羊のなりをしてやって来るが、うちは貪欲な狼です。あなたがたは、実によって彼らを見分けることができます。ぶどうは、いばらからは取れないし、いちじくは、あざみから取れるわけがないでしょう。

同様に、良い木はみな良い実を結ぶが、悪い木は悪い実を結びます。良い木が悪い実をならせることはできないし、また、悪い木が良い実をならせることもできません。良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。こういうわけで、あなたがたは、実によって彼らを見分けることができるのです。

にせ預言者に気をつけなさい

イエスにつき従って来た群衆に語られたイエスの言葉の続きです。イエスは「にせ預言者たちに気をつけなさい。」と教えています。「預言者」とは神様の言葉を預かって人々に伝える人たちのことですが、にせ者もいるということだと思います。

どうやって見分けるのか

大きな宗教団体の指導者が言うことだから、立派な肩書のある先生が言うことだから、専門家と言われる人が言うことだから、だから必ずしも正しいとは限らないと思います。外見は立派そうに見えますが、中身はどうなのでしょうか。本当に神様を中心にしている人なのでしょうか。自分を中心にしている人ではないでしょうか。イエスは「実によって彼らを見分けることができます」と教えました。

人間中心の実

60年代のアメリカの教育学者、精神分析学者の理論に基づいた教育の実はどのような実だったのでしょうか。その理論を聞いていると、それは素晴らしい理論のように聞こえるのかもしれません。人間中心主義、自由主義思想も何か良いもののように聞こえるのかもしれません。しかし、その実はどのような実だったのでしょうか。

神様を中心として生きる実

しかし、神様の願い、神様の思いを中心にして生きるなら、そこには規律があり、平和があり、思いやりにあふれ、生きる喜びに満たされます。確かにこの世の中には色々な教えがあります。しかし、何が正しいのか、何がにせ者なのか、その実によって見分けることが大切だと思います。

いかがでしたか

「日本人の信仰と聖書について考える会」では、宗教ではなく、神様を中心にして生きる幸いを多くの方に知っていただくために、パンフレット「今こそ伝えたい日本人の心」(1部10円。100部以上で送料無料。)を作成しました。ぜひお知り合いの方にお渡しください。ご協力をよろしくお願いいたします。

参考になりましたら、「いいね!」でお知らせください。また、シェアのご協力もよろしくお願いします。今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました。

投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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