【日本人と日本文化】「二面性」をふつうに受け入れる日本人

日本在住24年(執筆当時)、ハワイ出身のアメリカ人ルース・ジャーマン・白石さんのご指摘は日本人の内面的な特質にも触れていて、あらためてその通りだと納得させられることが多くあります。彼女の著書「日本人が世界に誇れる33のこと」から今日も1つご紹介いたします。

いくらか否定的なアメリカ人

人間には、普段の「自分」と、時々現れる「別の自分」の、二人の自分が共存しています。有名歌手のビヨンセも普段の自分とステージ上の自分があまりにも異なるため、ステージ上の自分に別名の「シバ」をつけているそうです。アメリカ人も、スーパースターやアーティストの二面性は普通に受け入れます。ところがアメリカ人は、たとえば仕事の同僚と飲みに行って、今までとまったく違う人柄が出てくるのを見ると、「へえ、今までずっと隠してきたのだな」と、いくらか否定的な反応をするのです。

自然に受け入れる日本人

けれど日本人の場合は、決してそんな反応は見せません。それはアメリカ人に比べると、とても不思議な姿勢です。おそらく日本の場合は、普段から「個」よりも「みんな」と調和をとり、社会に適応している人がたくさんいるからでしょう。わたしも、日本で長く生活しているうちに、日本人一人ひとりがもつ「二面性」を、自然に受け入れることができるようになりました。

日本人には当たり前

日本人にとっては、「みんな」と協調しているときの「自分」と、個人になったときの「自分」が違うのは、ある意味で当たり前のことなのです。ですから、普段だと抑え気味な発言が多く、遠慮しているように見える人が、本当は活発でよく話す「裏の自分」をもっていても誰も驚きません。

応用力、柔軟性の表れ

このことを理由に、日本人を保守的で変化への対応力が弱い国民だと考える人もいますが、わたしはそう思いません。むしろ、他の国の人々が気づいていない、日本人の応用力や柔軟性の表れなのだという気がします。

それは日本人の「特技」

今日のその人を、今日の状態で受け入れること。翌日のその人を、翌日のその人の人柄のままで再度受け入れること。これはすばらしいことだし、合理的なことだと思います。世界のあちこちで活躍している日本人のみなさんが、さまざまなタイプの人と関わるなかで大変に有効な「特技」のように感じます。(本からの引用は以上です。)

日本人の心

それは「本音と建前」にも通じることでしょうか。その場の「空気を読む」ということかもしれません。他者への配慮をしている自分も本当の自分だと私は思いますが、その場の状況に応じて自分の出し方を調整するのが日本人というものでしょう。何でも思ったことを言えば良いということではないと思います。それは偽善ではないのかと言う人は日本人の心がまだまだ分かっていないのではないでしょうか。

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は宗教の戒律が記された教典ではなく、神様を中心にして生きようとしたイスラエル人の記録であり、本当の日本人の心です。キリスト教の教典としてではなく、日本人の心で聖書を読んで欲しいと思います。

新約聖書 マルコによる福音書 10章17~31節

イエスが道に出て行かれると、ひとりの人が走り寄り、みまえにひざまずいて尋ねた、「よき師よ、永遠の生命を受けるために、何をしたらよいでしょうか」。イエスは言われた、「なぜわたしをよき者と言うのか。神ひとりのほかによい者はいない。いましめはあなたの知っているとおりである。『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証を立てるな。欺き取るな。父と母とを敬え』」。

すると、彼は言った、「先生、それらの事はみな、小さい時から守っております」。イエスは彼に目をとめ、いつくしんで言われた、「あなたに足りないことが一つある。帰って、持っているものをみな売り払って、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、わたしに従ってきなさい」。

すると、彼はこの言葉を聞いて、顔を曇らせ、悲しみながら立ち去った。たくさんの資産を持っていたからである。

それから、イエスは見まわして、弟子たちに言われた、「財産のある者が神の国にはいるのは、なんとむずかしいことであろう」。弟子たちはこの言葉に驚き怪しんだ。イエスは更に言われた、「子たちよ、神の国にはいるのは、なんとむずかしいことであろう。富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」。

すると彼らはますます驚いて、互いに言った、「それでは、だれが救われることができるのだろう」。イエスは彼らを見つめて言われた、「人にはできないが、神にはできる。神はなんでもできるからである」。

ペテロがイエスに言い出した、「ごらんなんさい、わたしたちはいっさいを捨てて、あなたに従って参りました」。イエスは言われた、「よく聞いておくがよい。だれでもわたしのために、また福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子、もしくは畑を捨てた者は、必ずその百倍を受ける。すなわち、今この時代では家、兄弟、姉妹、母、子および畑を迫害と共に受け、また、きたるべき世では永遠の生命を受ける。しかし、多くの先の者はあとになり、あとの者は先になるであろう」。

何をしたらよいのでしょうか

イエスの前に走り寄り、ひざまずいて尋ねたというのですから、大変遜った態度であり、真剣な思いが伝わってきます。「永遠の生命」とは不老長寿の薬ではなく、救いのことであり、私の人生はこれで良いという生き方と言っても良いかもしれません。小さい頃から聖書を読んで、神様の戒めも守って来たと言っています。それでも、その心は満ち足りるということがなかったのでしょう。

何が問題なのでしょうか

イエスは決して憤っていません。イエスは彼の真剣な態度をいつくしんで言いました。彼の問題は何だったのでしょうか。それは財産が拠り所で、財産が彼の心の中心を占めていて、神様が中心になっていなかったのかもしれません。小さい頃から神様の戒めも守って来ました。それは良いことだと思います。でも足りないことが一つある。それは神様が中心になっていないということではないでしょうか。

神には何でもできる

イエスに指摘されて、彼はそのことに気づいたのではないでしょうか。しかし、彼は顔を曇らせて帰って行きました。イエスは弟子たちに「人にはできないが、神にはできる」と教えました。まず神様に思いを向け、神様の願いを中心にしたいと神様に願い求めること。人には出来ないことでも、神には出来る。神には何でもできる。その時に体験することではないでしょうか。

先の者があとになる

ペテロが言うように、私たちは人間的に考えて、これだけのことをしたと考えがちです。もちろん、それは悪いことではないかもしれません。神様はそのすべてを見ていてくださるでしょう。しかし、先だと思っていたら、あとだった、そういうことが往々にしてあるのだと思います。自分を中心にしないで、神様を中心にすることが大切だと思います。

いかがでしたか

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本書の目次

一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
七章 「子供の教育」
八章 「恋愛・結婚」

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