【日本人と日本文化】日本人の気持ちの表し方

「日本での暮らしがもう30年になろうとしている私がとても好きだと思っていること——それは日本の人たちの気持ちの表し方です。」と語るのはカナダ人のマリー・デジャルダンさん。加藤恭子編「私は日本のここが好き!外国人54人が語る」からご紹介いたします。

日本の文字の美しさ

私はカナダの中のフランス語圏ケベック州センジュロームという所で生まれ育ちました。父がレタリングの仕事をしていた関係で、様々な言語の文字を目にする機会があり、日本の文字の美しさに魅せられてしまったのです。

日本人の友人との出会い

なぜ書道というアートに強く惹かれたのか、自分でもわからないのですが、たぶん私の中にもともとあった感受性が、日本文化のもつ何かに感応したのでしょう。実際に日本の人と初めて会ったのは、モントリオールの大学で美術の勉強をしはじめた1977年の夏でした。

日本への留学

秋になり大学にもどってみると、先生たちのストライキがはじまっていて、これから一年間くらいは授業がちゃんと行われる見通しがたたないとわかり、日本へ短期留学することに決めました。日本の友人もホームステイ先を引き受けてくれると言います。

すべてが別世界のよう

日本の生活がはじまると、毎日一冊の本が書けるくらいの分厚い手紙を両親に送ることになりました。ここにいるだけで、面白くて、不思議で、興奮の毎日。ちょっとスーパーへ行くだけでも発見の連続。お茶の飲み方、話し方、反応の仕方、お風呂の入り方・・・・・・すべてが別世界のように感じられました。

ふたたび日本へ

一年間は瞬く間にすぎ、一度カナダへ帰ったのですが、モデルの仕事で自立できるメドもたったので、ふたたび日本へもどってきました。もっと日本語の勉強を続けたかったし、なによりも私にとって、日本での日本人との生活は居心地が良かったのです。

まるで何重にも包まれた贈り物

日本での暮らしがもう30年になろうとしている私がとても好きだと思っていること——それは日本の人たちの気持ちの表し方です。日本人はいっぺんに自分のことを相手に押し付けるようには出さないで、少しずつ出していきます。相手のことを尊重しているのがそれを通して伝わってきますし、この人はまだこんなものをもっていたんだ、と驚いたり、うれしかったりという、じんわりじんわりと深まっていく人間関係。日本の人たちと親しくなるということは、まるで何重にも包まれた贈り物を開いていく、そんな楽しさに似ているのです。(本からの引用は以上です。)

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は日本人の国民性に深い関係があると私は考えています。外国の宗教の教典という考えではなく、日本人が大切にして来た、神の前に正しく生きるという心を取り戻すために聖書を読んでみてください。

新約聖書 ルカによる福音書 9章28~36節

これらのことを話された後、八日ほどたってから、イエスはペテロ、ヨハネ、ヤコブを連れて、祈るために山に登られた。祈っておられる間に、み顔の様が変り、み衣がまばゆいほどに白く輝いた。

すると見よ、ふたりの人がイエスと語り合っていた。それはモーセとエリヤであったが、栄光の中に現れて、イエスがエルサレムで遂げようとする最後のことについて話していたのである。

ペテロとその仲間の者たちとは熟睡していたが、目をさますと、イエスの栄光の姿と、共に立っているふたりの人とを見た。このふたりがイエスを離れ去ろうとしたとき、ペテロは自分が何を言っているのかわからないで、イエスに言った、「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。それで、わたしたちは小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのために、一つはモーセのために、一つはエリヤのために」。

彼がこう言っている間に、雲がわき起こって彼らをおおいはじめた。そしてその雲に囲まれたとき、彼らは恐れた。すると雲の中から声があった、「これはわたしの子、わたしの選んだ者である。これに聞け」。

そして声が止んだとき、イエスがひとりだけになっておられた。弟子たちは沈黙を守って、自分たちが見たことについては、そのころだれにも話さなかった。

イエス、モーセ、エリヤ

大変不思議な出来事ですが、聖書は何かのたとえとしてではなく、事実としてこの出来事を伝えているように思います。なぜそれがモーセとエリヤだと分かったのかは分かりませんが、不思議とそう分かったかもしれません。

モーセとエリヤ

モーセとはイスラエル民族をエジプトの奴隷状態から救い出し、神の約束の地へと導いたリーダーであり、神の律法を象徴する人物だと思います。エリヤとはその後イスラエル民族に神の言葉を語った預言者を代表する人物だと思います。つまり、モーセとエリヤとは旧約聖書を代表する人物と言ってもよいと思います。

旧約聖書を象徴する人物

このふたりがイエスと語り合い、またイエスの最後について話していたということですから、イエスこそ旧約聖書が指し示すメシヤであり、メシヤはエルサレムで苦しみを受けて死に、三日目によみがえるということについて話していたということではないでしょうか。

神の声

また、雲の中からの声とは、神の声ではないかと思いますが、イエスは神の特別な権威が与えられたメシヤ、キリストであるということを言っているのではないかと思います。私たちはイエス・キリストの教えを通して、神の御心を知ることが出来るということを聖書は言っているのではないでしょうか。

古代日本にすでに伝えられていた

それは1549年にフランシスコ・ザビエルが日本にカトリックを伝えるずっと以前に、すでに日本に伝えられていた教えであり、宗教としては形骸化してしまいましたが、日本人の国民性の中に今も見出すことができる心ではないかと思います。今こそ日本人が外国の宗教の教典という考えではなく、聖書に記されたイエス・キリストの言葉を読み、本来の日本人の心、人として神の前に正しく生きるという心を明確に取り戻し、それこそが幸いな人生だと、その生き方を世界に示すべきではないでしょうか。それは日本人の使命のように思います。

いかがでしたか

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目次
一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
七章 「子供の教育」
八章 「恋愛・結婚」