【日本近現代史】大東亜戦争(その2)

星条旗

「高校生のためのおもしろ歴史教室」というサイトの「大東亜戦争」という項に、 田母神俊雄著 「大東亜戦争を知らない日本人へ」からの文章が引用されていましたので、一部ご紹介いたします。

日露戦争直後から対日戦争計画を練ったアメリカ

大東亜戦争は、日本が好戦的だったから戦ったとか、日本が権益を広げるために他国を侵略したとか、そういうことではまったくなかった。日本は降りかかった災難をはねのけるべく立ち上がったというのが、大東亜戦争の本質である。

日露戦争の勝利

1905年―日本が江戸幕府から明治政府となって37年、アジアの小国日本が西欧の大国ロシアと戦争をし、勝利を挙げた。日露戦争の結果は、アメリカに大きな衝撃を与えることとなる。・・・歴史上初めて有色人種の国が白人の国と戦争して勝ったのである。これは本当に画期的なことだった。

オレンジ計画

その時から、アメリカは「日本をこのまま放置すると大変なことになってしまう。最悪の場合、アメリカが日本に支配されるようなことも起こり得る」と危惧し、日本を仮想敵国として対日戦争計画「オレンジ計画」を作成することとなった。後の第一次世界大戦で日本と協調関係にあった時でも、オレンジ計画は研究され続けていたのである。

アメリカの備え

アメリカは日本だけではなく、交戦の可能性のあるすべての国との戦争計画も立てていたということだが、主に日本との戦争に備えることに力を注いでいた。つまり、日米関係は、昭和になって急激に悪化したわけではなく、アメリカは虎視眈々と日本に照準を合わせていたのだ。

日本を戦争に引きずり込む

20世紀初めに日本が日露戦争に勝った時から、アメリカは第一の戦略目標として「日本の軍事力を潰す」ことを掲げた。そして、その後40年かけて嫌がる日本を戦争に引きずり込み、結果、その目標を遂げたのである。(サイトからの引用は以上です。)

自国を守るのは当然

こうして戦争の実態を勉強してくると、必ずしも日本だけが悪かった訳ではなかったということが分かってきました。しかし、私はアメリカが悪かったとも言えないとも思いますが、いかがでしょうか。皆、自国を守ろうとするのは当然のことではないでしょうか。そのための方法がどうだったのかということは確かにあると思います。本当に国際問題は駆け引きですね。綺麗ごとでは済まされないのかもしれません。教訓は教訓として学んで、次に進むことが重要ではないかと思わされています。皆さんはどう思われますでしょうか。

私たちの指針

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は日本人の文化、伝統、習慣、国民性のルーツです。キリスト教の教典としてではなく、日本人として聖書を開く時、そこに日本人のアイデンティティーとこれからの指針を見出すことができるのではないでしょうか。

新約聖書 使徒行伝 13章32~39節

わたしたちは、神が先祖たちに対してなされた約束を、ここに宣べ伝えているのである。神は、イエスをよみがえらせて、わたしたち子孫にこの約束を、お果しになった。

それは詩篇の第二篇にも、『あなたこそは、わたしの子。きょう、わたしはあなたを生んだ』と書いてあるとおりである。

また、神がイエスを死人の中からよみがえらせて、いつまでも朽ち果てることのないものとされたことについては、『わたしは、ダビデに約束した確かな聖なる祝福を、あなたがたに授けよう』と言われた。

だから、ほかの箇所でもこう言っておられる、『あなたの聖者が朽ち果てるようなことは、お許しにならないであろう』。

事実、ダビデは、その時代の人々に神のみ旨にしたがって仕えたが、やがて眠りにつき、先祖たちの中に加えられて、ついに朽ち果ててしまった。しかし、神がよみがえらせたかたは、朽ち果てることがなかったのである。

だから、兄弟たちよ、この事を承知しておくがよい。すなわち、このイエスによる罪のゆるしの福音が、今やあなたがたに宣べ伝えられている。そして、モーセの律法では義とされることができなかったすべての事についても、信じる者はもれなく、イエスによって義とされるのである。

神の約束

ピシデヤのアンテオケというところで、パウロはユダヤ人だけでなく、神を敬う異邦人にも語りました。神がユダヤ人を通して与えた約束は決してユダヤ人だけのものではない。それは全人類に与えられた神の約束であり、その神の約束の言葉をパウロは今伝えていると言っているのだと思います。

罪の赦し

それはイエスによる罪の赦しの福音だとパウロは言っています。罪とは、神を中心にしない、人間中心、自己中心の罪のことでしょう。そこには本当の喜び、幸せがありません。神に立ち帰ること。神を中心にして生きること。それが罪の赦しであり、福音とは良い知らせということです。モーセの律法を守ること自体が中心になって、神を中心にしていないなら、決して義とされることはないでしょう。イエスが人間の罪の身代わりとなって、十字架に死に、よみがえることによって、これが単なる教えでなく、確かに神が生きて働いているということを知るなら、神に立ち帰り、義とされる。それが信じるということの内容だと思います。決してキリスト教徒になるとか、ユダヤ教徒になるということではないと思います。

いかがでしたか

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目次
一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
七章 「子供の教育」
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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる

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投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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