【日本近現代史】歴史の非情

大東亜戦争肯定論表紙

大国に翻弄される新興国。「正義」も「人道」も空語空言に過ぎない。歴史とはそういうものだと林房雄氏は言う。「大東亜戦争肯定論」から紹介いたします。

歴史の非情

朝鮮併合の歴史を書き終って、私は「歴史の非情」ということを改めて痛感させられた。・・・併合前の韓国には親清派と親露派と親日派があり、これらがお互いに殺し合ったわけだ。純粋な独立派ももちろんあったが、これも三つの「強国」のどれかに利用され、結局、裏切られて見捨てられた。

各国の思惑

日清戦争によって、まず清国の勢力が後退し、つづく日露戦争によって、露国が朝鮮半島から追い出された。これには露国の南下を防ぐために、英国と米国の後押しがあったわけだ。英国はインドを、米国はフィリピンを守るため、日本を助けた。

朝鮮併合

これらの保証のもとに、やがて日本は、朝鮮併合を強行するのであるが、悲劇はこれから始まる。併合直前に伊藤博文が暗殺された。殺したのは独立党員でキリスト教徒の安重根であった。朝鮮におけるキリスト教団とミッション・スクールの背後には主として米国がいた。朝鮮独立志士団の亡命先はまずアメリカ、つづいて、満州、上海、およびロシアであった。日本に対する反抗の基地がこれらの外国であったことが、「解放」後の朝鮮分割の原因のひとつになった。

朝鮮の解放

この解放は、三十八度線を境として、北はソ連、南はアメリカの軍事力によって行われたのだ。・・・日本敗戦による「解放」と「独立」ののち、すでに二十年過ぎているのに、朝鮮民族の朝鮮とよびうるものは、南と北のいずれにもない。そのあいだに「朝鮮戦争」という大虐殺戦争が起こっている。この朝鮮民族自身にとってはまったく無意味な戦争は、まずアメリカ軍とソ連軍、続いてアメリカ軍と中共軍によって行われた。アメリカ軍は太平洋戦争以上の大量死傷者を出し、中共軍の死傷もそれに劣らなかったといわれている。しかも、南北朝鮮軍と民衆のこうむった被害は言語に絶し、残ったものは荒涼たる廃墟に等しい山河のみであった。

今も消えない三十八度線

今も、三十八度線は依然として消えない。その両側の二つの朝鮮は互いに復興と躍進を呼号しながら、絶えず政変と粛清、指導者の相互追放をくり返して、「民生安定」はまだ宣伝文句にとどまっている。南にはアメリカの軍事力がますます強化され、北ではソ連と中国の軍事力および政治力が公然と戦っている。二十年は過ぎたが、改善の見込みはなく、朝鮮民族自身の朝鮮はどこにもない。

歴史の非情

わたしが「歴史の非情」とよぶのは、このことである。大義名分は、どちら側にも備わっている。南は「民主主義」を呼号し、北は「共産主義」の旗を振りまわす。どちらも「正義」と「人道」をスローガンとし「救国済民」と「民族独立」を旗印にしている。そのどちらも、朝鮮民族というひとつの民族の耳には、空語空言にすぎまい。「正義」と「人道」は使い古された美辞であり、現実の政治とは無縁だ。

歴史を作る

朝鮮が二十年前に日本を追い出したことは結構である。だが、アメリカ帰りの独立主義者がアメリカ軍とともに南部を支配し、ソ連、中共帰りの革命家がソ、中両軍とともに北部を支配したことが朝鮮の悲劇である。この悲劇の克服にはまだ何年かかるのであろうか。だが、歴史の非情に屈服することだけが人間の能ではない。歴史は人間をつくるが、歴史もまた、人間によってつくられる。統一朝鮮の歴史は、朝鮮民族自身の手によってつくられなければならない。私自身はこの目でそれを見ることはできないであろうが。(本からの引用は以上です。)

聖書を読みましょう

非情な歴史。それは神から離れた人間の歴史でもありますが、しかし、神は決して人間を見捨てた訳ではありません。聖書には神の計画があることも記されています。今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は日本人の文化、伝統、習慣、国民性のルーツです。キリスト教の教典としてではなく、日本人として聖書を開いてください。

新約聖書 使徒行伝 21章15~26節

数日後、わたしたちは旅装を整えてエルサレムへ上って行った。カイザリヤの弟子たちも数人、わたしたちと同行して、古くからの弟子であるクプロ人マナソンの家に案内してくれた。わたしたちはその家に泊まることになっていたのである。

わたしたちがエルサレムに到着すると、兄弟たちは喜んで迎えてくれた。翌日パウロはわたしたちを連れて、ヤコブを訪問しに行った。そこに長老たちがみな集まっていた。

パウロは彼らにあいさつをした後、神が自分の働きをとおして、異邦人の間になさった事どもを一々説明した。一同はこれを聞いて神をほめたたえ、そして彼に言った、

「兄弟よ、ご承知のように、ユダヤ人の中で信者になった者が、数万にものぼっているが、みんな律法に熱心な人たちである。ところが、彼らが伝え聞いているところによれば、あなたは異邦人の中にいるユダヤ人一同に対して、子供に割礼を施すな、またユダヤの慣例にしたがうなと言って、モーセにそむくことを教えているということである。

どうしたらよいか。あなたがここにきていることは、彼らもきっと聞き込むに違いない。ついては、今わたしたちが言うとおりのことをしなさい。わたしたちの中に、誓願を立てている者が四人いる。この人たちを連れて行って、彼らと共にきよめを行い、また彼らの頭をそる費用を引き受けてやりなさい。

そうすれば、あなたについて、うわさされていることは、根も葉もないことで、あなたは律法を守って、正しい生活をしていることが、みんなにわかるであろう。異邦人で信者になった人たちには、すでに手紙で、偶像に供えたものと、血と、絞め殺したものと、不品行とを、慎むようにとの決議が、わたしたちから知らせてある」。

そこでパウロは、その次の日に四人の者を連れて、彼らと共にきよめを受けてから宮にはいった。そしてきよめの期間が終って、ひとりびとりのために供え物をささげる時を報告しておいた。

日本人として神に従う

エルサレムに到着したパウロの一行はヤコブを訪問しました。そこにはキリストの弟子たちが集まっていました。その数は数万人になっていたことが分かります。しかし、ユダヤ人でキリストの弟子となった者たちの間にパウロに対する批判がありました。それはパウロがユダヤ人の弟子たちにユダヤ人の慣習を守るなと教えているという批判でした。だから、それは誤解であることを示すようにと言っています。異邦人であれば、ユダヤ人の慣例を守る必要はありません。それぞれの文化、伝統の中で神に従うことを考えれば良いのです。しかし、ユダヤ人であれば、ユダヤ人として神に従う生活をすることが大切でしょう。日本人もまた、日本人として神に従うことが大切だと思います。

いかがでしたか

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目次
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二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる

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投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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