【日本とイスラエル】沖縄本島・宮古島レポート(29)相撲のルーツ

2019年7月27日(土)~8月2日(金)沖縄本島・宮古島へ古代イスラエルの痕跡を巡る旅に行ってきました。今日は相撲のルーツについて、瑞慶山道弘氏のブログからご紹介させていただきます。 (写真は大山祇(おおやまずみ)神社の一人角力)

沖縄角力

相撲(すもう)は日本の国技とされているが、沖縄でも沖縄角力(おきなわずもう)が盛んで、各地で行なわれる夏祭りでは角力大会が催されている。沖縄角力は、王朝時代に盛んになり、歴史を誇る伝統文化の一つである。方言ではシマとも呼ばれ(ウチナー・ジマともいう)、沖縄に古来から伝わる格闘技の一つである。その立ち合いは四つに組んだ状態から始まるもので、ヤマトの相撲よりもモンゴルの角力と似ていると言われている。

そのルーツは古代イスラエル

その沖縄角力もヤマトの相撲も、ルーツは古代イスラエルにあると言われている。イスラエル民族の三大父祖に、アブラハム、イサク、ヤコブがいるが、その「イスラエル」という名を神から頂いた出来事が、父祖ヤコブの時代である。そのヤコブが神の使いと格闘した(相撲をとった)という出来事が聖書に記されている。その時に、ヤコブは、神からイスラエルという名前をいただいたのである。

ヤコブは独り後に残った。そのとき、何者かが夜明けまでヤコブと格闘した。ところが、その人はヤコブに勝てないとみて、ヤコブの腿(もも)の関節を打ったので、格闘しているうちに腿の関節がはずれた。『もう去らせてくれ。夜が明けてしまうから』とその人は言ったが、ヤコブは答えた。『いいえ、祝福してくださるまでは離しません。』『お前の名は何と言うのか』とその人が尋ね、『ヤコブです』と答えると、その人は言った。『お前の名はもうヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。お前は神と人と闘って勝ったからだ。』」(創世記32:23-29)

ここでの「何者かが……格闘した」の「何者か」が、「神の使い」である(ホセア12:4-5)。このヤコブが神の使いと格闘した(相撲をとった)という出来事は、イスラエル民族にとって、非常に重要なものである。その時から、イスラエルという名前と、神からの祝福が与えられたからである。この相撲に勝ったということがあったからこそ、ヤコブの子孫であるイスラエル民族が「神の選民」となったとされている。つまり相撲は、ユダヤ人にとって忘れてはならない、民族にとっての重要な史実なのである。

「スモウ」の由来

相撲という名前の由来は何であろうか。スモウは「相撲」、「角力」などと、漢字で書くが、どうやら当て字のようである。興味深いことに、旧約聖書には、原語のヘブル語で「シュモー」とか「スモー」という言葉が何度も出てくる。その意味は「彼の名前」という意味である。現在のヘブル語でも「シュモー(スモー)イスラエル」というと「彼の名はイスラエルです」という意味になる。

「ハッケヨイ、ノコッタ」

また相撲で使われる「ハッケヨイ、ノコッタ」も日本語では、ただのかけ声のようにしか思えないが、不思議なことに、これもヘブル語で理解できるのである。「ハッケヨイ」「ノコッタ」はヘブル語で「ハッケ」=「なげつけろ」、「ヨイ」=「やっつけろ」となり、「ノコッタ、ノコッタ」=「投げたぞ、やったぞ」いう意味となる。まさに相撲をとる場面とぴったり当てはまるのである(「新説!みのもんたの日本ミステリー」テレビ東京)。

スポーツではなく、神事

考えてみると、相撲の行事は、運動会などではなく、村や集落の祭りの一環としてやることが多い。なぜなら相撲は、単なるスポーツではなく、神事だからである。これは神に相撲を奉納するためである。相撲の勝負は、ただ勝ち負けを競うのではなく、それを通して神に豊穣の祝福を願っているのである。

「一人角力」という神事

「旧暦の5月5日、瀬戸内海の大三島にある大山祇(おおやまずみ)神社では、御田植祭(みたうえさい)が行なわれるが、そのとき境内の土俵で「一人角力(ひとりずもう)」という神事がある。角力はふつう二人で行なう闘技だが、それを一人で行なうのだ。いや、というより、相手は神様なのだという。見ていると、何とも滑稽な神事だ。目に見えない神様を相手に角力をとるから、一人角力なのである。これは、ヤコブと天使の角力を思い起こさせる。」(「神道の中のユダヤ文化」久保有政著)。 (ブログからの引用は以上です。)

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は沖縄および日本の文化、伝統、習慣、国民性のルーツです。キリスト教の教典としてではなく、日本人の心を知るために聖書を読んでみてください。

新約聖書 使徒行伝 27章13~20節

時に、南風が静かに吹いてきたので、彼らは、この時とばかりにいかりを上げて、クレテの岸に沿って航行した。すると間もなく、ユーラクロンと呼ばれる暴風が、島から吹きおろしてきた。そのために、舟が流されて風に逆らうことができないので、わたしたちは吹き流されるままに任せた。

それから、クラウダという小島の陰に、はいり込んだので、わたしたちは、やっとのことで小舟を処置することができ、それを舟に引き上げてから、綱で船体を巻きつけた。また、スルテスの洲に乗り上げるのを恐れ、帆をおろして流れるままにした。

わたしたちは、暴風にひどく悩まされつづけたので、次の日に、人々は積荷を捨てはじめ、三日目には、船具までも、てずから投げすてた。幾日ものあいだ、太陽も星も見えず、暴風は激しく吹きすさぶので、わたしたちの助かる最後の望みもなくなった。

最後の望みもなくなった

パウロが警告していた通りになってしまいました。まだ風もなく、穏やかな港にいる間は、無事に行けるではないかと誰もが思ってしまいやすいのかもしれませんが、そのような人の気持ちや印象は当てにならないものだと考えさせられます。時には、たとえそうであったとしても、立ち向かうべきこともあるとは思いますが、やはり単なる人の思いや願いではなく、神の前に客観的に判断することは大切だと思います。人生とはそのような神の前における判断の連続であり、また神の前における経験の蓄積でもあると思います。

いかがでしたか

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目次
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二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる

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