どちらの方向に向かっていますか

聖書を読むと、どれだけ正しい人間であるかということよりも、正しい方向に向かって歩もうとしているかどうかが大切だと言っているように私は思います。

私たちは皆、神様から良心を与えられているので、今、自分がやっていることは良いことであるのか、悪いことであるのか、ある程度判断できると思います。悪いと分かっているのに、それをやり続けていると、だんだん良心が麻痺してきて、もう悪いかどうか分からなくなってしまうということがあるので気を付けなければならないと思います。

聖書には「悔い改める」という言葉が出てきますが、その原語のギリシャ語の意味は「方向を変える」という意味だそうです。つまり、これは悪いことだと良心で分かったら、方向を変える勇気を持つことが大切だと思います。

今朝、旧約聖書のエレミヤ書の7章を読んでいました。神様がイスラエルの人々をエジプトの奴隷生活から救い出してくださったにもかかわらず、イスラエルの人々は神様に背を向けて、敢えて悪い生活に陥っていました。そのために、北イスラエルの10部族はすでにアッシリヤによって滅ぼされていました。それを見ていながら、まだ悪い生活を続けている南ユダの人々に神様は預言者エレミヤを通して悔い改めを求めていました。

「あなたがたの行いと、わざとを改めよ。そうすれば、わたしは、あなたがたをこの所に住ませよう。」「もし、ほんとうに、あなたがたが行いとわざとを改め、あなたがたの間で公義を行い、在留異国人、みなしご、やもめをしいたげず、罪のない者の血をこの所で流さず、ほかの神々に従って自分の身にわざわいを招くようなことをしなければ、わたしはこの所、わたしがあなたがたの先祖に与えたこの地に、とこしえからとこしえまで、あなたがたを住ませよう。」

ところが、彼らは聞かず、耳を傾けず、悪いかたくなな心のはかりごとのままに歩み、前進するどころか後退した。あなたがたの先祖がエジプトの国を出た日から今日まで、わたしはあなたがたに、わたしのしもべであるすべての預言者たちを、毎日朝早くから、たびたび送ったが、彼らはわたしに聞かず、耳を傾けず、うなじのこわい者となって、先祖たちよりも悪くなった。と書いてあります。こうして、南ユダもB.C.586にバビロンによって滅ぼされてしまいました。

問題は当時のイスラエルの人々が正しい生活をしていなかったということよりも、正しい生活をしようともしていなかったということではないでしょうか。

神様は正しいから私たちを救ってくださるのではなく、正しくないと自覚して、そんな正しくない者を神様は救ってくださると信じるなら、その信仰を正しいと認めてくださるとも聖書には書いてあります。神様は正しい方向へ向かって歩もうとしているかどうかとうことを私たちに求めておられるのではないでしょうか。