世界史の中に見る日本人とユダヤ人の共通点

ユダヤ人と日本人はよく似ている

月曜日のテーマは「日本とイスラエル」です。日本人の信仰、文化、価値観、伝統には聖書の民である古代イスラエル民族の影響が考えられると思います。今日もニューヨーク生まれのユダヤ人で、元日本ユダヤ教団のラビ(教師)のマーヴィン・トケイヤー氏の本から、ユダヤ人と日本人の不思議な共通点について抜粋してご紹介いたします。

徳川の平和と善政は世界に類のないもの(マーヴィン・トケイヤー氏の本より)

日本では徳川時代の270年にわたって平和が続いた。そのうえ善政が行われた。日本人はあまり意識しないが、このようなことは世界で他にまったく例がない。日本では平和と善政が続いたから、町民も農民も世界の他の国々と較べて、豊かな生活を営んだ。演劇をとれば、全世界で舞台芸術は支配階級に属するものであったが、日本では町民が、世界でもっとも絢爛で豪華な歌舞伎を生んだ。日本における治安は驚くほど良かった。徳川時代の江戸の人口は、武士とその家族が45万人であり、町民が55万人だった。55万人の町民は南北2つの奉行所によって治められたが、警察官に当たる町奉行所付の同心である定廻り(じょうまわり)は、何と64人しかいなかった。それぞれの定廻りがポケットマネーで5人あまりの岡っ引きを雇っていた。それでも300人あまりの警官が55万人の治安を守っていた。この事実は、いかに町民だけではなく、日本人の公徳心が高かったのか物語っている。ユダヤ人の地域共同体であるゲットーやシュテートル(東ヨーロッパやロシアなどのユダヤ人村)では、和が保たれていた。ユダヤ人は精神性が高かったからである。日本が日露戦争に勝って、白人が覇権を握っていた世界の中で、唯一の非白人国として一流国として認められるようになったのは、1905(明治38)年のことだった。日露戦争の開戦がその前年の2月だったから、日本が明治元年に取り組むようになってから、僅か36年間で、それだけの力を持った国を作り出したのだった。そのような力は、徳川期に蓄えられたものだった。明治は日本国民によって、あらゆるものが改められた「御一新」として記憶されているが、明治は徳川時代の延長であった。徳川時代を通じて培った日本の精神力が、日露戦争の勝利の栄冠をもたらしたのだった。非白人の中で、日本だけが19世紀の後半に明治維新を成し遂げて、近代化することに見事に成功した。ユダヤ人もほぼ同じ時期にゲットーから解放されて、大きな力を発揮するようになった。このようなユダヤ民族の力もゲットーの中で培われたものだった。(マーヴィン・トケイヤー氏の本からの抜粋は以上です。)

新約聖書 ルカの福音書13章34~35節

ああ、エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者、わたしは、めんどりがひなを翼の下にかばうように、あなたの子らを幾たび集めようとしたことか。それなのに、あなたがたはそれを好まなかった。見なさい。あなたがたの家は荒れ果てたままに残される。わたしはあなたがたに言います。『祝福あれ。主の御名(みな)によって来られる方に』とあなたがたの言うときが来るまでは、あなたがたは決してわたしを見ることができません。」

これはエルサレムを目前にして語られたイエスの言葉です

南ユダの首都エルサレム。「平安の都」を意味するその都市こそ神様を中心とすべき都市でした。しかし、パリサイ人、律法学者、体制の人々は自分を中心としたまま、神様を中心としようとはせず、イエスの言葉を退け、その対立が明らかになってきました。それはイエスの十字架の死が近づいていることを示していました。そのエルサレムを目前に控え、語られたイエスの言葉がこの言葉です。

歴史はイエスの語られた通りになりました

実際にエルサレムはA.D.70年にローマ軍によって完全に滅ぼされてしまいました。イエスが十字架で死んだのがA.D.30年頃と考えられていますので、その40年後にエルサレムは滅ぼされたと考えられます。イエスの弟子たちはエルサレムを脱出し、その末裔が日本にまでたどり着き、自らを秦氏と名乗ったのではないかと考えられています。彼らは神様を中心とした生活を日本に伝え、日本の文化、伝統、信仰、価値観は神様を中心とすることで発展して来たと考えられます。

神様を中心とした生活こそ日本人の心

「主の御名によって来られる方」とは、人となった神様のことを指して言っているのではないかと私は思います。エルサレムの人々が、そうやって神様を中心とするまでは、「決してわたしをみることができません」、それはイエスが人となった神様であるメシアであるとは分からないということかもしれません。逆に言えば、たとえパリサイ人、律法学者、エルサレムの体制側の人々であったとして、自分を中心にすることを止めて、神様を中心とするなら、イエスこそ約束のメシアであり、人となった神様であることが分かるようになると言うことかもしれません。神様を中心とした生活をしましょう。それが日本人の心だと思います。