幼児期の教育で大切な4つのこと

浜辺の親子

6歳以前は脳神経が発達する時期

金曜日のテーマは「子供の教育」です。幼児期、特に6歳以前は説明を聞いて理解するのではなく、脳に与えられる刺激によって脳神経そのものが発達するように神様は人間をデザインされていると私は思います。言語、文字は人間を人間たらしめている重要なものですから、幼児期の言語環境はとても大切だと思います。どうぞ幼児にたくさん語り掛け、漢字かな交じりの文字を見せてあげてください。絵本の読み聞かせをたくさんしてあげると良いと思います。書くことは手や指の筋肉の発達が必要ですので、もっと後になってからの方が良いと思います。

この時期の重要性を理解しましょう

運動機能も大切です。幼児をたくさん歩かせ、走らせ、運動的な遊びをすることが有益だと思います。また、子供と歌をたくさん歌うことも良いと思います。今流行の歌ではなく、文章がしっかりとした、旋律がなるべくシンプルな童謡が良いと思います。繰り返し歌うことによって、子供は言葉を覚え、音感を身に付けます。何よりも親子で歌うことによって情操が豊かに育まれていくと思います。親にとっても嬉しい時間ではないでしょうか。

幼児期に従順な態度を身に付けさせる

また、物事を理屈で考えないこの時期に、親への従順な態度を身に付けさせると良いと思います。子供を守り育てるために神様は子供を親の手に委ねたのだと思います。子供は親の権威を受け入れ、尊敬し、従順に従うことによって、身体的な安全はもちろん、精神的な安全も守られると思います。幼児期にわがままを矯正されないまま大きくなってしまった子供はかわいそうだと思います。自分でも自分を律することができず、それが神様の願いに反することは、神様という言葉を使わなくても分かりますので、そんな自分を愛することができず、自暴自棄な子供になってしまう可能性があると思います。

大きくなってから矯正するのは痛みが伴います

心の落ち着いた子供は、おしなべて素直で従順な性質を身に付けているものだと思いますが、それは生まれながらに、たまたまそうだったということではなく、教育によって身に付けたのだと思います。大きくなってから矯正することは親にとっても、子供にとっても痛みが伴うものだと思います。なるべく小さな幼児期に身に付けてしまった方が良いと思います。

どのように身に付けさせるか

子供は生まれつき従順な訳ではないと思います。不従順な態度があった時に、その都度、それは正しくないことだと止めさせることだと思います。一度で身に付く訳ではありませんが、例外なく一貫して指導すれば、大人が考えているよりも早く身に付けるものだと私は実感しています。どうぞ子供を愛して、子供の心から不従順を取り除いてあげていただきたいと思います。それはその子供の将来のための大きな宝になると思います。それでは、今日も聖書の続きを読んで私が考えたことを書いてみますので、神様を中心とした生活の参考にしてみてください。

新約聖書 ルカの福音書14章15~24節

イエスといっしょに食卓に着いていた客のひとりはこれを聞いて、イエスに、「神の国で食事する人は、何と幸いなことでしょう」と言った。するとイエスはこう言われた。「ある人が盛大な宴会を催し、大ぜいの人を招いた。宴会の時刻になったのでしもべをやり、招いておいた人々に、『さあ、おいでください。もうすっかり、用意ができましたから』と言わせた。ところが、みな同じように断り始めた。最初の人はこう言った。『畑を買ったので、どうしても見に出かけなければなりません。すみませんが、お断りさせていただきます。』 もうひとりはこう言った。『五くびきの牛を買ったので、それをためしに行くところです。すみませんが、お断りさせていただきます。』 また、別の人はこう言った。『結婚したので、行くことができません。』 しもべは帰って、このことを主人に報告した。すると、おこった主人は、そのしもべに言った。『急いで町の大通りや路地に出て行って、貧しい者や、からだの不自由な者や、盲人や、足のなえた者たちをここに連れて来なさい。』 しもべは言った。『ご主人さま。仰せのとおりにいたしました。でも、まだ席があります。』 主人は言った。『街道や垣根のところに出かけて行って、この家がいっぱいになるように、無理にでも人々を連れて来なさい。言っておくが、あの招待されていた人たちの中で、私の食事を味わう者は、ひとりもいないのです。』」

神の国より重要なことなのか

「神の国で食事をする人は、何と幸いなことでしょう。」 イエスは答える代わりに、このような話をされました。招待されていた人たちは神の国の宴会に来ない。それはパリサイ人、律法学者、体制側の人たちを指して言っているのでしょうか。断った理由は特に罪深い理由ということではないかもしれません。どれも私たちの日常的な生活ではないでしょうか。このイエスの言葉から考えなければいけないことは、それらのことは神の国より重要なことではないということではないでしょうか。今、私たちが重要だと思ってやっていることを、神様の視点から捉え直す必要があるのではないでしょうか。

神様の視点で見る

そこで、貧しい者、からだの不自由な者、盲人や足のなえた者たちが神の国の宴会に連れて来られました。それでも、まだ席があるので、いっぱいになるように、無理にでも連れて来なさいと言われています。彼らは神の国の宴会の席に着いて、人間に与えられた本当の喜びを味わうことでしょう。それは人間的な視点で見ていたら、見えないのかもしれません。何が本当の幸せなのでしょうか。神様の視点から、永遠の視点から見る必要があるのではないでしょうか。

投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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