神様に対して生きる「人間関係」

原因は自己中心

人間関係だけでなく、すべての人間の営みに関する問題は、神様を中心にすることで解決するということをお伝えしています。結局のところ、全ての問題の原因は自己中心だと思います。神様を中心にして生きるのが人間本来の生き方ですが、人間を中心にすることで混乱が生じていると私は思います。自分の思い通りにしたいという思いがトラブルとストレスの原因ではないでしょうか。

神様の前にどう生きるか

人間関係において、実はあの人この人が問題ではないと思います。確かに世の中には色々な人がいます。トラブルを引き起こす人もいるでしょう。しかし、求められているのは、そのような状況の中で、あなたは神様の前にどう生きるのかということではないでしょうか。

人との出来事ではなく、神様との出来事

対人関係において、過去を振り返ると、何であんなことをしたのだろうと胸が痛むこともあるかもしれません。もっとこうすれば良かったと思うこともあるでしょう。しかし、人と人との間の出来事は過去のこととして過ぎ去ってしまうものですが、神様の前にどう生きるのかということは永遠に残ることではないでしょうか。

永遠に残ること

このように考えて来ると、永遠に残ることは神様の前にどう生きたかということであって、人間関係そのものが問題ではないように思います。その人間関係の中で、あなたは神様の前にどう生きているのかということが問われているのではないかと私は思います。

この世を去る時

私たちは人間関係そのものを問題にしがちです。人間関係が良好になることを願っていると思います。でも、良好でも、良好でなくても、それは時間と共に過去へと過ぎ去ってしまうものだと思います。私たちがこの世を去る時、きっと私の心にあることは、人間関係が良好であったかどうかということよりも、私は神様の前にどう生きたかということではないかと思います。

今、神様の前に生きていることを自覚する

最終的には、あの人がどうだったか、この人はどうだったかということは大きな問題ではなくなるだろうと思います。その時にあるのは、私と神様だけではないでしょうか。その時になってみなければ分からないということではなく、実は私たちは神様の前に生きている者だということを今、自覚して生きることが大切ではないでしょうか。

今日の人間関係の中で

確かに色々な人がいます。あなたは今日もそのような人間関係の中で生きることになるでしょう。どうぞ人ではなく、神様を意識してみてください。神様があなたと共におられ、あなたの発言を聞き、あなたの行動を見ておられると思います。あなたの心の思いまでも神様は知っておられると思います。この神様の前に生きていることを意識することが大切ではないかと思います。

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。

新約聖書 使徒の働き 16章24~34節

この命令を受けた看守は、ふたりを奥の牢に入れ、足に足かせを掛けた。真夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ賛美の歌を歌っていると、ほかの囚人たちも聞き入っていた。ところが突然、大地震が起こって、獄舎の土台が揺れ動き、たちまちとびらが全部あいて、みなの鎖が解けてしまった。

目をさました看守は、見ると、牢のとびらがあいているので、囚人たちが逃げてしまったものと思い、剣を抜いて自殺しようとした。そこでパウロは大声で、「自害してはいけない。私たちはみなここにいる」と叫んだ。

看守はあかりを取り、駆け込んで来て、パウロとシラスとの前に震えながらひれ伏した。そして、ふたりを外に連れ出して「先生がた。救われるためには、何をしなければなりませんか」と言った。

ふたりは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」と言った。そして、彼とその家の者全部に主のことばを語った。看守は、その夜、時を移さず、ふたりを引き取り、その打ち傷を洗った。

そして、そのあとですぐ、彼とその家の者全部がバプテスマを受けた。それから、ふたりをその家に案内して、食事のもてなしをし、全家族そろって神を信じたことを心から喜んだ。

神様の前に生きるパウロとシラス

パウロとシラスは鞭打たれて投獄されたにも関わらず、驚いたことに神に祈りつつ賛美の歌を歌い、ほかの囚人たちも聞き入っていたとあります。鞭打たれ、足かせを掛けられ、投獄されることは決して快適なことではありませんが、神様の前に生きるパウロとシラスの心には何のやましいものもなく、たとえここで命を失うことになったとしても、それでも良いという思いがあったのかもしれません。

神様に対する恐れ

その時、突然大地震が起こって、とびらが全部あいて、みなの鎖が解けてしまいました。驚いたのは看守です。パウロとシラスが神様の話をしていたことも知っていたのではないでしょうか。牢の中での彼らの様子にも驚きを感じていたかもしれません。そこに大地震です。本当に神様が生きて働いているという恐れを感じたのではないでしょうか。

神様に対する恐れはメシヤによって取り除かれる

彼はパウロとシラスの前にひれ伏して、ふたりを外に連れ出して、「先生がた。救われるためには、何をしなければなりませんか」と言いました。それは「助けてください」というような叫びだったのではないでしょうか。ふたりは「主イエスを信じなさい」と言い、そして主のことばを語ったとあります。イエスをメシヤとして受け入れ、神様を中心として生きれば良いということを話したのだと思います。

全ての問題の解決

看守も、その家族もそろって神を信じたことを心から喜んだとあります。神様を中心として、神様と共に生きること、それで良いということが分かって心から喜んだのだろうと思います。全ての問題の解決がここにあると思います。