神様を中心とした夫婦の老後

間もなく定年を迎える夫

ある調査によると、夫の定年退職を「不安に思っている」と答えた妻は70%もいたそうです。実際に毎日夫が家にいることがストレスになって、妻が体調を崩す夫原病というのもあるそうです。皆さんはいかがでしょうか。

どんなことが問題なのでしょうか

ネットを検索してみると、こんな意見が目につきます。

「夫が定年後に、毎日家にいれば昼食も作らないといけないし、これまでの様に、日中は何をしても自由というわけにはいかなくなる。」

「夫が定年退職後、ずっと家にいる上、妻がでかけることに不満を言ったり、一緒についていこうとして、妻が自由を奪われストレスをため、心身に異常がでる。」

「自由を奪われる」ということが妻の不安のようです。

どうしたら良いのでしょうか

こんなアドバイスを見つけました。

「夫の定年後夫婦円満に過ごす秘訣は、夫が『昼間家にいない』ことである。」

「定年後も朝家を出て夕方帰る生活パターンを夫が構築することだ。友達も多くいて、やることもいろいろあり、行動予定が結構埋まっていて忙しいくらいというのが理想的であろう。」

つまり、定年前と生活が変わらないようにすれば良いということでしょうか。それも一つの解決策かもしれません。

共通の趣味を持つというのはどうでしょうか

こんなアドバイスもありました。

「定年後たっぷりの時間をかけて日本全国を旅して回りたいという方や、登山やウォーキング、など同じ趣味を作り、多くの時間を二人で楽しみたいという定年後の夫婦生活のプランを立てる人も多いようです。」

「子育てや仕事を頑張ってきた夫婦にとって、定年後のライフスタイルの設計はとても重要なポイントです。そこでおすすめしたいのが、夫婦共通の趣味を持つこと。」

定年になってからではなく、その前から定年後を見据えて、共通の趣味が持てると良いですね。ポイントは「共通の」ということであって、必ずしも趣味でなくても良いと私は思います。私達夫婦の場合、この「日本人の信仰と聖書について考える会」という共通の目的があるので、今も良く二人で話します。また、二人ともキャンピングカーで出かけるのが好きなので、それは共通の趣味とも言えると思います。

夫婦の新しいステージ

こういう記事もありました。

「定年後の10万時間を夫婦で共に豊かに過ごすためには、第二の人生のパートナーとしてお互いを認め合い、理解し合うことが大切です。そのために、夫婦向き合って気持ちを伝え合うことが必要ではないでしょうか。『言わなくても分かるだろう』では『分からない』のです。」

夫の退職を機に生活が変わる訳ですから、あらためてどういう生活をするのか夫婦で話し合うことが大切だと思います。お互いにそれまでの自分の生活スタイルを変えないで、相手に要求するだけではうまくいくはずがないと思います。神様を中心にして、お互いに歩み寄ることが大切ではないでしょうか。

聖書を読みましょう

お互いに神様を中心に夫婦のあり方を考えることができればと思います。自己中心は問題を引き起こすだけだと思います。毎日、時間を決めて神様に思いを向けて祈り、聖書を少しずつ読んでみてください。聖書は神様を中心にして生きようとした人たちの記録であり、実は私たち日本人の信仰と生活のルーツでもあります。キリスト教の教典としてではなく、神様を中心にして生きるために聖書を読んでみてください。それは何か特定の宗教をやることではないと思います。

新約聖書 使徒の働き 28章17~22節

三日の後、パウロはユダヤ人のおもだった人たちを呼び集め、彼らが集まったときに、こう言った。「兄弟たち。私は、私の国民に対しても、先祖の慣習に対しても、何一つそむくことはしていないのに、エルサレムで囚人としてローマ人の手に渡されました。

ローマ人は私を取り調べましたが、私を死刑にする理由が何もなかったので、私を釈放しようと思ったのです。ところが、ユダヤ人たちが反対したため、私はやむなくカイザルに上訴しました。それは、私の同胞を訴えようとしたのではありません。

このようなわけで、私は、あなたがたに会ってお話ししようと思い、お招きしました。私はイスラエルの望みのためにこの鎖につながれているのです。」

すると、彼らはこう言った。「私たちは、あなたのことについて、ユダヤから何の知らせも受けておりません。また、当地に来た兄弟たちの中で、あなたについて悪いことを告げたり、話したりした者はおりません。

私たちは、あなたが考えておられることを、直接あなたから聞くのがよいと思っています。この宗派については、至る所で非難があることを私たちは知っているからです。」

ローマでもまずユダヤ人に

パウロはローマでも、まずそこに住んでいるユダヤ人たちを集めて話しました。パウロの話は決してユダヤ教に反することではないこと、新しい宗教の話ではないこと、むしろ旧約聖書を正しく理解することだと話しました。

冷静なローマのユダヤ人たち

パウロは鎖につながれていたようですし、囚人としてローマに来たことも集まったユダヤ人たちは知っていたでしょう。また、パウロの宗派には非難があることも知っていました。しかし、彼らは本人から直接話を聞くのがよいと考えていると言っています。これまでの感情的なユダヤ人とは違って、ローマにいるユダヤ人たちはずいぶん冷静であり、客観的な判断をしたいと考えているんだなと思いました。

話を聞く姿勢

最終的にパウロが言っていることを受け入れるかどうか、それはそれぞれの人の判断であって、誰からも強制されるものではないと思います。しかし、まずその内容を聞かなければ、正しい判断をすることができないと思います。結論ありきで感情的であれば、真実を見失ってしまう危険があると思います。

自分を吟味する

今の自分の考えは、何かの先入観によって偏っていることは十分に考えられると思います。私たちは全てのことを知ることができないので、そのような偏りは必ずあると言って良いでしょう。結論ありきではなく、人の意見に耳を傾ける冷静さを持つように、いつも気を付けなければならないと思います。

中心を自分ではなく、神様にする

神様を中心にして生きることについて。自己中心を退けることについて。良く考えていただきたいと思っています。結局、自己中心があなたの生活に影を落としているのではないでしょうか。目先の損得ではなく、神様を中心にして、正しい生き方をするなら、本当の幸いを得ることができるのではないでしょうか。

いかがでしたか

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