「キリスト教・宗教」日本人に『宗教』はいらない?

祈る女性
日常生活に宗教心が根付いている日本人

「日本人に『宗教』はいらない」という本があることを知りました。著者はネルケ無方という方で、元プロテスタントのクリスチャン、現在は曹洞宗の住職という人物です。ご存知の方もいらっしゃいますでしょうか。ネルケ氏は「日本人は無意識のうちに、日常生活の中で『禅』の教えを実践している。だから、日本人に『宗教』は要らない!」と言っています。以下、一部をご紹介します。

宗教が盛んな国で争いが絶えない

宗教心に篤いと言われるキリスト教やイスラム教の国々では、宗教間の争いが絶えません。たとえ現在、紛争のない地域でも、治安が良くありません。社会秩序が乱れているからこそ、人々の宗教への関心が高いのでしょう。日本のような安定した社会、争いごとの少ない社会は、世界の中でも珍しいのです。

日本人は宗教を考える必要がない

日常生活の中に、仏教や神道の教えが根付いているからこそ、日本人は宗教に無関心だったのではないでしょうか。日本人は、宗教を考える必要がなかったのです。(引用は以上です。)

西洋人が見習うべき点

確かに宗教心が当たり前であれば、あえて宗教を取り上げる必要もない。それが日本人なのかもしれません。大切なことは、それぞれの宗教を主張して、紛争を巻き起こすことではなく、神様を中心にしてお互いを受け入れ合うことではないでしょうか。西洋人が、日本人から大いに見習うべき点は、ここだろうとネルケ氏は言っています。

日本人の信仰は聖書から来た

西洋人が見習うべき日本人の信仰心は、仏教や神道の教えが根付いているからだとネルケ氏は言いますが、さらにその元をたどれば聖書に行き着くと私は思います。歴史を調べてみると、古代日本に渡来したユダヤ人やメシヤニック・ジュー(イエスをメシヤとして受け入れたユダヤ人)の信仰が日本人の信仰の土台となっており、神道はそこから始まり、仏教もその影響を受けた日本的な仏教になっているように思われます。

神様を中心にして生きる

それは一言で言えば、神様を中心にして生きるという生き方であって、何か特定の宗教を信仰しないという点において、ネルケ氏の言っている内容に通じるものがあると思います。また、確かにネルケ氏も危惧しているように、そのような日本人の宗教心が衰退してきていることは私も心配している点です。今の日本人は神様を離れ、人間中心、自己中心に傾きつつあるのではないかと私は心配しています。

いつも神様を意識するために

今こそ神様を中心にして生きるという日本人の信仰を取り戻す必要があるのではないでしょうか。毎日時間を決めて神様に思いを向けて祈り、聖書を読むことを勧めたいと思います。それは何か特定の宗教を信仰することではなく、神様を中心して生きるという日本人の心を取り戻すことだと思います。

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は神様を中心して生きようとした人たちの記録であり、私たち日本人の信仰のルーツでもあると思います。もともとプロテスタントのクリスチャンであったネルケ氏はキリスト教ではなく、日本の仏教に信仰の本質を見出したのかもしれませんが、聖書はキリスト教と切り離して読む時に、特に日本人として聖書を読む時に、神様を中心にして生きるという信仰の本質を知ることができるものだと私は思っています。

新約聖書 マタイの福音書 6章19~21節

自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。

本当に幸いな人生

イエスにつき従って来た群衆に語ったイエスの言葉の続きです。地上の宝とは物質的な宝のことでしょう。そういうものをせっせと蓄えても、天に宝がなければ虚しいものでしょう。逆に財産がなくても、天に豊かな宝があるなら、それはどんなに豊かな人生だと言えることでしょうか。それは本当に幸いな人生だと思います。

神様を中心にして生きる

それは神様の願い、神様の思い、神様の喜びを中心にして生きる生き方だと思います。自分のことばかりでなく、人の益となることを、たとえ自分が損をしても、人のためにやってあげること、それは天に宝をたくわえる生き方だと思います。

それは日本人の心

親切であること。和を重んじること。目先の損得に左右されないこと。誠実であること。勤勉であること。これこそ日本人の心であり、自分にも利益をもたらすことになると思いますが、仮に目に見える見返りがなかったとしても、天に宝を蓄える生き方であり、神様を中心にする生き方であり、良心を喜ばせる生き方であり、幸いな人生だと思います。

神様に思いを向けて生きる

「あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。」とイエスは教えています。その通りではないでしょうか。あなたの心はどこにあるのでしょうか。たとえ目に見える生活がどのようなものであったとしても、人生の幸いは心がどこにあるのかによると思います。永遠に続くものに目を留めるために、毎日時間を決めて神様に思いを向けて祈り、聖書を読むことが大いに助けになると私は思います。

いかがでしたか

参考になりましたら、「いいね!」でお知らせください。また、シェアのご協力もよろしくお願いします。

「日本人の信仰と聖書について考える会」では、宗教ではなく、神様を中心にした幸いな生き方について、多くの人たちに伝えるために、パンフレット「今こそ伝えたい日本人の心」(1部10円。100部以上で送料無料。)を作成しました。皆様の知り合いの方にぜひお渡しください。ご協力をお願いします。

今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました。

投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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