良い人間関係を築くために意識すること

「30秒で読める・変わる。人間関係が180度好転する3つの方法」という記事からご紹介いたします。

人間関係やコミュニケーションに悩んでいるひとの多くは

・自分のことを解って欲しい
・でも、何を話していいかわからない
・だって、うまく喋れないもの

といった自分視点の悩みを持っていますが、そこばかりにフォーカスしていては、いつまでたっても今のまま。

自分が、、、、ではなく

相手をしっかりと見ることがたいせつです。

さあ、次の3つのことを意識しましょう

相手のことを否定せずに

①理解する
②受け入れる
③感謝する

この3つ、たった3つの事を行うだけで、人間関係は劇的に改善します。

自分だけに意識を向けるのではなく、相手に意識を向けること

ひとは誰もが

・理解してほしい
・共感(受け入れて)してほしい
・感謝(尊敬)してほしい

という欲求を持っています。

きっとあなたも、そうですよね?
ですから、あなたがそれを先に行ってあげるんです。

さあ、今すぐ実践してください

至ってシンプルです、行動すれば必ず結果はついてきます。

人間関係が円満になると、世界が広がって、毎日が今よりもっともっと楽しくなりますよ。(サイトからの引用は以上です。)

全ての問題の原因は自己中心

このブログでずっとお伝えしておりますが、問題の原因はいたってシンプルだと思います。それは自己中心だと思います。人は皆、自分のことを解って欲しいのだと思います。私もそうです。でも、それが全ての問題の原因になってしまいます。だからまず自分の方が先に相手を解ってあげれば良いということですね。

相手を受け入れる

人は自分の欲求を満たすだけでは本当の人生の喜びを感じることができないと思います。人の役に立ったり、人のために何かをしてあげたり、人が喜ぶ姿を見て、自分の存在意義を感じて、幸せを感じるものだと思います。人の話を聞いてあげて、その気持ちを解ってあげることは、その人を愛し、その人のためにできることだと思います。その結果、良い人間関係が築かれるようになると思います。

神様を中心にする

しかし、相手を理解し、受け入れるということを、良い人間関係を築くための手段と考えると、結局は自己中心になってしまい、やがて行き詰ってしまうと思います。あくまでも、自分のためではなく、ただ相手のためということが大切だと思います。それと同時に、相手を中心にしないように注意する必要もあると思います。相手が中心になってしまうと、思ったような反応がないと疲れてしまいます。神様を意識して、自分のことだけでなく相手の気持ちを解ってあげることは良いことだと受け止め、神様を中心にすると相手の反応に振り回されなくなると思います。

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は神様を中心にして生きようとした人たちの記録であり、実は日本人の信仰のルーツでもあります。キリスト教の教典としてではなく、神様を中心にして生きるために聖書を参考にしてみてください。神様を中心にして生きることが板について来ると、問題がぐっと減って、人生が楽しくなって来ると思います。

新約聖書 マタイの福音書 1章18~25節

イエス・キリストの誕生は次のようであった。その母マリヤはヨセフの妻と決まっていたが、ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重になったことがわかった。

夫のヨセフは正しい人であって、彼女をさらし者にはしたくなかったので、内密に去らせようと決めた。彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現れて言った。

「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」

このすべての出来事は、主が預言者を通して言われた事が成就するためであった。「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)

ヨセフは眠りからさめ、主の使いに命じられたとおりにして、その妻を迎え入れ、そして、子どもが生まれるまで彼女を知ることがなく、その子どもの名をイエスとつけた。

イエス・キリストの誕生

ヨセフの系図に続いて、イエス・キリストの誕生の様子が記されています。それは処女マリヤから生まれたという超自然的な出来事だということが強調されていると思います。マリヤはヨセフと婚約はしていましたが、結婚する前に聖霊(神様の霊)によってイエスを宿したと記されています。

旧約聖書の預言

また、それは旧約聖書(紀元前8世紀頃)の預言であったとも記されています。これは主にユダヤ人に向けて、このイエスこそ旧約聖書が預言するキリスト(メシヤ)であるということを言っているのだと思います。

それは事実なのか

処女が聖霊によって子を宿すということが本当にあったのか。もちろん、どう検証したら良いのか分かりません。そういうことは繰り返し起こることでもないと思います。だからこそイエスは間違いなくキリスト(メシヤ)だと言うことができるということだと思います。私は全能の神様には不可能なことではないと思いますが、皆さんはどう思われますでしょうか。それぞれが良心で判断したら良いのではないかと思います。

いかがでしたか

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