「人生の目的」存在の否定、肯定

いじけるキリン

カウンセラーの大塚彩子さんという方の「生きるのがしんどい人は『いのちの逆回転』をやっている」と題するブログにこのようなことが書いてありました。

うまくいかない根っこにある「存在否定」

基本的に人生うまくいかない、おもしろくない。過去を振り返っても、いいことなんかないし、しんどいことばかり。何かに夢中になったこともないし、やりたいこととかべつにない。生きててもぜんぜん楽しいと思えない。生きる気力もあんまりない。

いったいどうしてこんなにしんどい人生になっちゃったんでしょうか。カウンセリングで何人もの方とお話ししていると、ある共通する傾向というのが見えてきます。

生まれた環境のせい?遺伝のせい?努力が足りないせい?時代のせい?運命のせい?星の巡り合わせのせい?実は、もっと根本的な原因があるようです。

そういう感覚を持っている人の中では無意識レベルで「自分のいのちを否定している自分」がいるのです。その感覚をあえて言葉にすると「私は生まれてこない方がよかった」「私なんかいない方がいい」「私はここにいちゃいけない」といった感覚です。

あくまでもこれは信じ込みです。そう信じ込んでしまったので、いつもそう感じるのです。深いところでこういう存在否定の感覚を抱えている方はわりと多いです。
自覚している、していないの違いはあっても。(サイトからの引用は以上です。)

生きていてはいけないという積極的な思い込み

生きる目的が分からないというのではなく、自分は生きていてはいけないと積極的に思い込んでいる訳ですから、当然生きる喜びも、使命も感じないだろうと思います。感じないどころか、むしろ感じてはいけないと思っているかもしれませんし、全ての出来事を否定的に受け止め、やっぱり自分は生きていてはいけないという結論を強めて行く悪循環に陥っていると思います。

それは自己中心だと思います

しかし、それは自己中心だと私は思います。そのように思い込むようになった理由は人それぞれにあると思いますが、実際には神様は意義と目的があって、私たちに命を与えました。だから、今生きています。その神様の思いや願いを中心にしないで、自分の思いや考えを中心にすることは自己中心だと思います。

気持ちは分かりますが、中心にしてはいけません

いろいろと辛いこともあったのかもしれません。それで私は生きていない方が良いと考えたくなる気持ちも、人間ですから、あると思います。だから、私はそのように考えてはいけないとは思いません。しかし、それを中心にしてはいけないと思います。たとえそのような思いが首をもたげて来たとしても、それを中心にしないで、神様の願いや思いを中心にして生きることを選び取ることが大切だと思います。

神様に思いを向ける

そのために毎日時間を決めて神様に思いを向けて祈ることをお勧めします。それは理屈ではありません。毎日の習慣があなたの思いを神様に向ける助けになると私は思います。それは何か特定の宗教を信仰することではありません。宗教ではなく、神様に思いを向けることが大切だと思います。

聖書を少しずつ読む

聖書は神様を中心にして生きようとした人たちの記録であり、実は私たち日本人の信仰と生き方のルーツでもあります。キリスト教の教典としてではなく、神様を中心にして生きるために聖書を読んでみていただきたいと思います。それでは今日も聖書の続きを読みましょう。大切なことは神様を中心にして生きることです。

新約聖書 マタイの福音書 7章1~5節

さばいてはいけません。さばかれないためです。あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。

また、なぜあなたは、兄弟の目の中のちりに目をつけるが、自分の目の中の梁(はり)には気がつかないのですか。兄弟に向かって、『あなたの目のちりを取らせてください』などとどうして言うのですか。見なさい、自分の目には梁があるではありませんか。

偽善者よ。まず自分の目から梁を取りのけなさい。そうすれば、はっきり見えて、兄弟の目からも、ちりを取り除くことができます。

人の事をとやかく言いやすい私たち

イエスにつき従って来た群衆に語られたイエスの言葉の続きです。人のことをとやかく言えば、あなたもそのように言われるようなる。人の目のちりは良く見えるものですが、自分の目の梁には気づかない。梁とは丸太でしょう。人間とはそういう傾向があるので気を付けなければならないと思います。

まず自分の問題に気づく

まず、自分の目から梁を取り除きましょう。そうすれば、物事がはっきり見えるようになって、人の欠点も効果的に直してあげることができるようになります。自分の問題も見えていないのに、人の事をとやかく言ったところで、その人を助けるどころか、かえって邪魔するくらいのものだろうと思います。

神様を中心にする

どうしたら、自分の目から梁を取りのけて、良く見えるようになるでしょうか。私は神様を中心にして世界を見ることだと思います。自分が中心になったまま世界を見ても正しく見ることはできないと思います。それは自分がいる地球を中心に天体の動きを見るようなものであって、それでは天体の動きを正しくとらえることはできないのと同じことだと思います。

神様を中心にして自分を、そして世の中を見ることが大切だと思います。

いかがでしたか

参考になりましたら、「いいね!」でお知らせください。また、シェアのご協力もよろしくお願いします。

「日本人の信仰と聖書について考える会」では、宗教ではなく、神様を中心にして生きる幸いを多くの人に知っていただくために、パンフレット「今こそ伝えたい日本人の心」(1部10円。100部以上で送料無料。)を作成しました。ぜひ、お知り合いの方にお渡しください。ご協力をよろしくお願いします。

今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました。

投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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