【日本人と日本文化】この世のものと思えない美しさ

日本の大学で1年間過ごしたトルコ人のトゥラン・ベルギンさんは桜が散る古いお寺の庭を見た時、涙が出るくらい美しいと感じたと言います。加藤恭子編「私は日本のここが好き!外国人54人が語る」から一部をご紹介します。

今でも心は日本に飛んでいます

ああ、花見がしたい。紅葉が見たい。カラオケで日本語の歌を歌いたい。ジャパニーズ・カフェで抹茶と餅入り和菓子が食べたい。歌舞伎や能が観たい。焼きそばが食べたい。友人と鍋を囲みたい。いまこうして話していると、日本での出来事が目の前に浮かんできます。

遊びばかりではありません

まず私が興味を持ったのは日本の歴史です。とくに鎖国時代の。この鎖国をするという国策は、本当に興味深いことです。そして鎖国から開国に至るまでの幕府の動き、サムライや町人の生活など、興味は尽きませんでした。

テクノロジーだけではない

日本に来る前のイメージは、とにかく日本はテクノロジーの最前線、自然が少なく建物ばかりで、人はアリのように忙しそうに働いている、とばかり思っていた。ところが実際に来てみると、ちょっと違った。たしかに電話やインターネットがどこでも使え、テクノロジーの最前線ではあった。コンビニも二十四時間開いていて、店員さんが優しくいらっしゃいませと言ってくれる、便利な国だった。けど、それだけではなかった。

私の中に残った日本は“自然の美”

大きなビルの隣に小さな神社があって、そこはいつもきれいにお掃除がしてあったり、高層ホテルの横に歴史の重みを感じさせる古いお寺があって、屋根で鳩が羽を休めていたり、あちこちに大小の公園があって、緑と四季の花が人々の目を楽しませてくれている、そんな国でもあったのです。

それを大切にする日本人の心

私が日本にいた一年は、これまでの生活の中で一番忘れられない時代だと思う。楽しい思い出ばかりで、困ったことがあまり思い出せないくらい。私が日本にいたとき作った俳句を一句教えるわ。「初恋を 思い出させる 初桜」どうかしら、トルコにいたらこんな俳句、思いつかなかったでしょうね。(本からの抜粋引用は以上です。)

神の国

太古の昔から培われて来た日本人の感性が日本の日常を形作っているのだと思います。それは人間中心ではなく、神様を中心にした日本人の感性ではないかと思います。これからも大切にしたい日本人の心だと思います。

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は宗教の戒律が記された教典ではなく、神様を中心にして生きようとしたユダヤ人の記録であり、日本人の原点でもあります。キリスト教の教典としてではなく、日本人の心に触れるために聖書を読んでみてください。

新約聖書 マルコによる福音書 4章1~20節

イエスはまたも、海べで教えはじめられた。おびただしい群衆がみもとに集まったので、イエスは舟に乗ってすわったまま、海上におられ、群衆はみな海に沿って陸地にいた。

イエスは譬(たとえ)で多くの事を教えられたが、その教の中で彼らにこう言われた。「聞きなさい、種まきが種をまきに出て行った。まいているうちに、道ばたに落ちた種があった。すると、鳥がきて食べてしまった。ほかの種は土の薄い石地に落ちた。そこは土が深くないので、すぐに芽を出したが、日が上ると焼けて、根がないために枯れてしまった。ほかの種はいばらの中に落ちた。すると、いばらが伸びて、ふさいでしまったので、実を結ばなかった。ほかの種は良い地に落ちた。そしてはえて、育って、ますます実を結び、三十倍、六十倍、百倍にもなった」。そして言われた、「聞く耳のある者は聞くがよい」。

イエスがひとりになられた時、そばにいた者たちが、十二弟子と共に、これらの譬について尋ねた。そこでイエスは言われた、「あなたがたには神の国の奥義が授けられているが、ほかの者たちには、すべてが譬で語られる。それは『彼らは見るには見るが、認めず、聞くには聞くが、悟らず、悔い改めてゆるされることがない』ためである」。

また彼らに言われた、「あなたがたはこの譬がわからないのか。それでは、どうしてすべての譬がわかるだろうか。種まきは御言(みことば)をまくのである。道ばたに御言がまかれたとは、こういう人たちのことである。すなわち、御言を聞くと、すぐにサタンがきて、彼らの中にまかれた御言を、奪って行くのである。同じように、石地にまかれたものとは、こういう人たちのことである。御言を聞くと、すぐに喜んで受けるが、自分の中に根がないので、しばらく続くだけである。そののち、御言のために困難や迫害が起こってくると、すぐつまずいてしまう。また、いばらの中にまかれたものとは、こういう人たちのことである。御言を聞くが、世の心づかいと、富の惑わしと、その他いろいろな欲とがはいってきて、御言をふさぐので、実を結ばなくなる。また、良い地にまかれたものとは、こういう人たちのことである。御言を聞いて受けいれ、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶのである」。

聞く心の態度

ここには珍しくイエスが教えた内容が記されています。しかし、良く読んでみると、教えの内容というよりも、教えに対して、どのような心で聞くべきなのか、聞く心の態度について教えています。

イエスの教えは複雑でも難解でもない

イエスの教えそのものは決して複雑で難解な教えではなかったのだと私は思います。聖書全体を見るなら、イエスの教えの中心は、人間中心、自己中心を退けて、神様の思い、願い、計画を中心にして生きることを教えたのだと思います。それは子供でも分かることだと思います。

神様の声に従う生活

大切なことは聞く心の態度だとここでイエスは教えています。「御言」とは神様の言葉ということだとすれば、それは声なき声をもって、私たちの良心に語り掛けられる神様の言葉ということかもしれません。人間中心、自己中心、自分の思い、願い、計画を退け、神様の思い、願い、計画を受け入れて生きるなら、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶ人生を生きることができる。そのようにイエスは教えたのではないでしょうか。

いかがでしたか

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目次
一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
七章 「子供の教育」
八章 「恋愛・結婚」