【日本人と日本文化】武道で母国を再建したい

空手

「私にとり、日本の武道は、自分の心の中心にあります。」と言うのは、日本滞在6ヵ月のトルコ人、アルプ・アルプテキンさん。加藤恭子編「私は日本のここが好き!外国人54人が語る」からご紹介いたします。

道場に通う日々

現在は日本語を学ぶ為に、東京外国語大学に在学しています。学業の合間を縫って、週のほとんどを道場に通う日々です。剣道、居合道に続き、杖道という武道も始めました。私の武道の師匠は素晴らしい人物です。国際大会にも頻繁に招待され、彼を頼って来日する外国人は後を絶ちません。

父親以上の師匠

短い期間で、先生は父親以上の存在になりました。段審査を受けた時の話です。東京での審査はすでに終了していました。次の審査まで待てません。私の帰国の日は迫っているのですから。先生は茨城で段審査が行われていることを調べ、受けられるように手配してくれました。本来は越境して審査を受けることは不可能です。先生は弟子が外国人であること、熱心に稽古に通っていること等を、関係者に説明し、「段を取りたい」という願いを叶えてくれました。

ここまで親身になって

それだけではありません。早朝の審査に間に合うように、前日は茨城にいる先生の剣友が、自宅に泊めてくれるというのです。彼自身も翌日は審査を受ける大切な日だというのに、快く受け入れてくれたのです。反対の立場だったらどうでしょう。トルコに見知らぬ外国人が訪ね「武道を学びたい」と望んだ時、ここまで親身になり世話をするでしょうか。

これこそ武道の精神

師匠は見返りを求めることなく、ただ「学びたい」という私の心に応えてくれるのです。茨城の先生と師匠の間には武道家同士に存在する〝深い信頼関係〟があります。これこそ武道の精神なのではないでしょうか。武道館で指導に当たる他の先生方も同様です。稽古中は無駄な言葉は発しません。どんな場面でも弟子を信じて、自ら気付くまで待ってくれているのです。何という忍耐力でしょう。

父の教え

今にして思えば、トルコにいる父の中にも武道の精神があったと思います。子供の頃から繰り返された父の教えと、師匠の教えは同じです。教えの中心は、自分自身との闘い。つまり、己の魂を磨くことです。さらに闘う相手を敬い、感謝の念を持つことです。

国を再建したい

その昔、「オスマン帝国」が繁栄していた頃、トルコの人々の心にも、日本の武道と同じ精神がありました。日々、自分を鍛え、目上の者には礼を尽くすという姿勢です。私は、日本の武道の心を国へ持ち帰り、十年後二十年後の国を創り上げていく決心です。人々が同じ志を持ち団結すれば、国を立て直せるはずです。

武道の心

師匠とは、どこにいても心が通じています。師の教えを守り修行を続け、必ずトルコの国を再建します。一言では言い表せませんが、信じる道や生きる道標を持ち、終わりのない修行を続ける姿、そのものが、〝武道の心〟なのです。(本からの引用は以上です。)

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。私は武道の精神、日本人の心には聖書とイエス・キリストの教えが引き継がれているのではないかと思っています。外国の宗教の教典という考えはひとまず脇に置いて、聖書を読んでみてください。

新約聖書 ルカによる福音書 8章26~39節

それから、彼らはガリラヤの対岸、ゲラサ人の地に渡った。陸にあがられると、その町の人で、悪霊につかれて長いあいだ着物も着ず、家に居つかないで墓場にばかりいた人に、出会われた。

この人がイエスを見て叫び出し、みまえにひれ伏して大声で言った、「いと高き神の子イエスよ、あなたはわたしとなんの係わりがあるのです。お願いです、わたしを苦しめないでください」。

それは、イエスが汚れた霊に、その人から出て行け、とお命じになったからである。というのは、悪霊が何度も彼をひき捕えたので、彼は鎖と足かせとでつながれて看視されていたが、それを断ち切っては悪霊によって荒野に追いやられていたのである。

イエスは彼に「なんという名前か」とお尋ねになると、「レギオンと言います」と答えた。彼の中にたくさんの悪霊がはいり込んでいたからである。悪霊どもは、底知れぬ所に落ちて行くことを自分たちにお命じにならぬようにと、イエスに願いつづけた。

ところが、そこの山べにおびただしい豚の群れが飼ってあったので、その豚の中へはいることを許していただきたいと、悪霊どもが願い出た。イエスはそれをお許しになった。そこで悪霊どもは、その人から出て豚の中へはいり込んだ。するとその群れは、がけから湖へなだれを打って駆け下り、おぼれ死んでしまった。

飼う者たちは、この出来事を見て逃げ出して、町や村里にふれまわった。人々はこの出来事を見に出てきた。そして、イエスのところにきて、悪霊を追い出してもらった人が着物を着て、正気になってイエスの足もとにすわっているのを見て、恐れた。それを見た人たちは、この悪霊につかれていた者が救われた次第を、彼らに語り聞かせた。

それから、ゲラサの地方の民衆はこぞって、自分たちの所から立ち去ってくださるようにとイエスに頼んだ。彼らが非常な恐怖に襲われていたからである。そこで、イエスは舟に乗って帰りかけられた。悪霊を追い出してもらった人は、お供をしたいと、しきりに願ったが、イエスはこう言って彼をお帰しになった。

「家へ帰って、神があなたにどんなに大きなことをしてくださったか、語り聞かせなさい」。そこで彼は立ち去って、自分にイエスがしてくださったことを、ことごとく町中に言いひろめた。

悪霊を追い出す

ここには人に取り憑いていた悪霊がイエスによって追い出されたという出来事が記されています。悪霊が豚の群れの中に入ると、がけを駆け降り、湖の中でおぼれ死に、飼う者たちがこの出来事を見ていたとあります。読者の皆様は悪霊の存在についてどのように考えるか分かりませんが、少なくとも聖書は事実の記録として、この出来事を伝えているのではないかと私は思います。

心に留まったこと

この箇所を読んで、いくつか私の心に留まったことを記したいと思います。まず、悪霊はイエスを「いと高き神の子」と呼んでいて、全くイエスに逆らうことが出来ないという姿で記されていること。悪霊を追い出してもらった人が、お供をしたいと言った時に、イエスは「神があなたにどんなに大きなことをしてくださったか、語り聞かせなさい」と言ったこと。彼は立ち去って、イエスがしてくださったことを言いひろめたと記されていること。皆様もそれぞれに思いを巡らしてみてください。

いかがでしたか

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目次
一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
七章 「子供の教育」
八章 「恋愛・結婚」

投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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