【日本とイスラエル】仮庵の祭りと大嘗祭

五十鈴川

日本とイスラエルに関連する事柄について、畠田秀生著「日本は聖書の国だった!」からご紹介いたします。

死と復活

イエスは、三十三年半の生涯だった。人の罪を負い、十字架上で死なれた、これが新約聖書の記述である。そして三日目に蘇った。その型を日本民族の代表として天皇が、ご自分の即位のときに仮庵の仮の住まいに行かれ、死なれ、蘇る儀式をする。

大嘗祭

この大嘗祭(だいじょうさい)について淵江淳一(ふちえじゅんいち)牧師はその著書『日本の秘儀』の中で、「日本の大嘗祭には、イスラエルの父とも言われるアブラハムがそのひとり子イサクをモリヤの山で犠牲として捧げられた精神を投影している。」これは、「世の罪を取り除く神の小羊」(ヨハネの福音書1:29)であるイエス・キリストその方の死と復活を表しているのだと、解説している。

仮の住まい

さて、大嘗祭はどんな儀式なのであろうか。仮の住まいを増設する。それは悠基殿(ゆきでん)と主基殿(しゅきでん)は互いに接着して造営され、木の皮のついたままの黒柱(荒柱)を組み合わせ、草で葺いた仮の庵である。

天皇即位後一回目の神嘗祭

天皇即位後一回目の神嘗祭(かんなめさい)として、天皇自ら神饌(しんせん)(神に捧げるもの)や供える食物も、木の葉に盛って捧げ、夜を徹した祭りの終わった後、神殿は焼くか解体して跡をとどめないという仮に設置した庵の祭りであり儀式である。

死と蘇りの象徴

最も重大な儀式は、天皇は天孫として、稲穂をもって「真床追衾(まとこおうふすま)」と言われている寝具と共に天下ったことを記念して、ベッドに横たわり、そこで神の霊とひとつになり、死んだ床を象徴して後、起き上がる蘇りを意味して立ち上がるのである。

アマテラスとキリスト

あたかも、復活する民を記念しているかのよう。アマテラスが天岩戸に御隠れになって再び岩戸から出でましたことは、死んで蘇ったことを表しているにほかならない。世界中で死んで蘇った方は、二人しかいない。キリストといわれるイエスと伊勢の地に祀られているアマテラスのふたり。

多くの類似点

アマテラスの周囲には聖書に記されているイエスに関する出来事と類似している点が多い。偶然で片づけて放置するにはあまりにももったいない。

  • 伊勢=イセ(アラム語でイエス)
  • 五十鈴川(イスズと濁らずイスス川と発音するのが本来の読み方)=新約聖書はギリシャ語で書かれてあり、イエスの名はイエスースと読む。
  • 五十鈴川(イエスースの川)で身を清める禊を受ける=イエスースの名によってバプテスマ(洗礼)を受ける。
  • 垂仁天皇25年(BC5年)処女大和姫が宝剣を伊勢神宮に奉持された(日本書紀)=BC5年(垂仁天皇25年)処女マリヤがユダヤの国でイエスを懐胎(聖書)
  • 伊勢神宮には夜明けを告げる鶏がいる=イエスが十字架に架かる前夜、夜明けに鶏が鳴いた。

(本からの引用は以上です。)

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。日本の文化、伝統、習慣、信仰、国民性は聖書と深い関係があると思います。外国の宗教の教典としてではなく、日本人として聖書を読んでみてください。

新約聖書 ルカによる福音書 13章31~35節

ちょうどその時、あるパリサイ人たちが、イエスに近寄ってきて言った、「ここから出て行きなさい。ヘロデがあなたを殺そうとしています」。そこで彼らに言われた、「あのきつねのところへ行ってこう言え、『見よ、わたしはきょうもあすも悪霊を追い出し、また、病気をいやし、そして三日目にわざを終えるであろう。しかし、きょうもあすも、またその次の日も、わたしは進んで行かねばならない。預言者がエルサレム以外の地で死ぬことは、あり得ないからである』。

ああ、エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、おまえたちにつかわされた人々を石で打ち殺す者よ。ちょうどめんどりが翼の下にひなを集めるように、わたしはおまえの子らを幾たび集めようとしたことであろう。それだのに、おまえたちは応じようとしなかった。見よ、あまえたちの家は見捨てられてしまう。わたしは言っておく、『主の名によってきたるものに、祝福あれ』とおまえたちが言う時の来るまでは、再びわたしに会うことはないであろう」。

ヘロデ

ヘロデとはヘロデ大王の子で、当時のガリラヤ地方の領主でした。彼はユダヤ教に批判的なイエス・キリストに対して反感を持っていたのでしょう。しかし、イエス・キリストはエルサレムに向かい、そこで死ぬことも自分に与えられた神の御心であることを確信していたということでしょう。

ああ、エルサレム、エルサレム

イエス・キリストは神に立ち帰るようにとユダヤ人に語りました。しかし、多くのユダヤ人はイエス・キリストの言葉を聞いても、神に立ち帰らないことも知っていたのでしょう。そして、ユダヤ人は神の裁きを受けて苦しむことになることも知っていたのでしょう。しかし、やがて神に立ち帰る時が来ることも知っていたのだと思います。その時は近づいているのかもしれません。

いかがでしたか

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本書の目次

一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
七章 「子供の教育」
八章 「恋愛・結婚」

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投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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