【日本とイスラエル】上田アヤタチ伝承

日本とイスラエルの関係について、友人が落合莞爾という方の著書を紹介してくれました。今日も彼の著書「天孫皇統になりすましたユダヤ十支族」からご紹介いたします。

吉薗周蔵

大正元(1912)年に陸軍元帥上原勇作付の陸軍特務となった吉薗周蔵は、公家提哲長の孫同士で従兄弟に当たる外科医渡辺政雄から、祖母渡辺ウメノの実家の上田吉松家に伝わるアヤタチ伝承を聞き、日誌に書き記します。

血を守る

ちなみに政雄は周蔵に、「婆さんは哲長の子を産んだというが、ほんとうは実兄の子だ。ウチらの家は〝血を守る〟という意識から、それをやるんだ」と明かし、驚いて訝る周蔵に「学校で教わることと現実は全然違う。だからウチは学問が嫌になった」と言いますから、実際に周蔵は従弟ではありません。

吉薗周蔵手記

上田アヤタチの当主上田吉松は、出口王仁三郎(原名・鬼三郎)の実父ないし祖父で、従妹の渡辺ウメノが渡辺政雄の祖母ですから、政雄は出口王仁三郎の従甥(いとこの息子。いわゆる「従兄弟違い」)ないし再従兄弟に当たります。その政雄から周蔵が聞いて記録した「吉薗周蔵手記」の中から、本稿に関係のある部分を下に抄出します。

二月
辺(なべ)さんから教わる佐伯なる人物の由来
王さんや呉達閣のことを、辺さんはユダヤと云はる。自分はそのユダヤなるものが判らぬから説明を求むる。
辺さん云はるに、自分は京都のアヤタチの一族であるが、アヤタチといふは後に付けたる姓であり、元は海部(あまべ)という姓であった由。この海部は日本に流れ着いたるユダヤの人種である由。それは弘法大師の姓であるとのこと。

渡辺政雄を訪ねる

元帥上原勇作付の陸軍特務吉薗周蔵は、上原の指示により、大正7(1918)年に佐伯祐三を東京美術学校に裏口入学させたのちも、画学生になった佐伯の生活を支援していました。大正9(1919)年、祖母ギンヅルの依頼で京都へ赴いた周蔵は、祖父提哲長の孫という医師渡辺政雄の下宿を訪ね、その下宿にいた民国留学生の王希天(おうきてん)と呉達閣(ごたつかく)夫妻、および呉の部屋に居候していた周恩来と共通の知人になります。

上高田救命院

従兄の外科医の渡辺政雄を結核治療の名目で引き取った周蔵は、東京府下豊多摩郡中野村上高田(現・中野区上高田)で借りた農地に「上高田救命院」を設け、「辺さん」こと政雄をそこに住まわせて、罌粟(ケシ)栽培の研究を委託します。

ユダヤ

大正11(1922)年2月に「上高田救命院」を訪れた周蔵は、政雄から佐伯祐三の実家光徳寺の由来を教わりますが、その際に政雄は王希天と呉達閣を「ユダヤ」と呼びます。そもそも「ユダヤ」なるものが判らない周蔵が詳しい説明を請いますと、政雄は「自分は丹波亀岡のアヤタチという一族であるが、アヤタチとは後で付けた姓で、ほんらいの姓はアマベ(海部)である」と言い出し、さらに「この海部は日本に流れ着いたユダヤであり、しかも弘法大師の姓である」と付け加えます。(本からの引用は以上です。)

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は古代日本に渡来したイスラエル民族と日本の歴史のルーツです。キリスト教の教典としてではなく、日本人として聖書を開くとき、そこに古くて新しい発見があることでしょう。

新約聖書 ヨハネによる福音書 11章17~44節

さて、イエスが行ってごらんになると、ラザロはすでに四日間も墓の中に置かれていた。ベタニヤはエルサレムに近く、二十五丁ばかり離れたところにあった。大ぜいのユダヤ人が、その兄弟のことで、マルタとマリヤを慰めようとしてきていた。

マルタはイエスがこられたと聞いて、出迎えに行ったが、マリヤは家ですわっていた。マルタはイエスに言った、「主よ、もしあなたがここにいて下さったなら、わたしの兄弟は死ななかったでしょう。しかし、あなたがどんなことをお願いになっても、神はかなえて下さることを、わたしは今でも存じています」。

イエスはマルタに言われた、「あなたの兄弟はよみがえるであろう」。マルタは言った、「終わりの日のよみがえりの時よみがえることは、存じています」。イエスは彼女に言われた、「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。あなたはこれを信じるか」。

マルタはイエスに言った、「主よ、信じます。あなたがこの世にきたるべきキリスト、神の御子であると信じております」。マルタはこう言ってから、帰って姉妹のマリヤを呼び、「先生がおいでになって、あなたを呼んでおられます」と小声で言った。

これを聞いたマリヤはすぐ立ち上がって、イエスのもとに行った。イエスはまだ村に、はいってこられず、マルタがお迎えしたその場所におられた。マリヤと一緒に家にいて彼女を慰めていたユダヤ人たちは、マリヤが急いで立ち上がって出て行くのを見て、彼女は墓に泣きに行くのであろうと思い、そのあとからついて行った。

マリヤは、イエスのおられる所に行ってお目にかかり、その足もとにひれ伏して言った、「主よ、もしあなたがここにいて下さったなら、わたしの兄弟は死ななかったでしょう」。

イエスは、彼女が泣き、また、彼女と一緒にきたユダヤ人たちも泣いているのをごらんになり、激しく感動し、また心を騒がせ、そして言われた、「彼をどこに置いたのか」。彼らはイエスに言った、「主よ、きて、ごらん下さい」。

イエスは涙を流された。するとユダヤ人たちは言った、「ああ、なんと彼を愛しておられたことか」。しかし、彼らのある人たちは言った、「あの盲人の目をあけたこの人でも、ラザロを死なせないようには、できなかったのか」。

イエスはまた激しく感動して、墓にはいられた。それは洞穴であって、そこに石がはめてあった。イエスは言われた、「石を取りのけなさい」。死んだラザロの姉妹マルタが言った、「主よ、もう臭くなっております。四日もたっていますから」。

イエスは彼女に言われた、「もし信じるなら神の栄光を見るであろうと、あなたに言ったではないか」。人々は石を取りのけた。すると、イエスは目を天にむけて言われた、「父よ、わたしの願いをお聞きくださったことを感謝します。

あなたがいつでもわたしの願いを聞きいれて下さることを、よく知っています。しかし、こう申しますのは、そばに立っている人々に、あなたがわたしをつかわされたことを、信じさせるためであります」。

こう言いながら、大声で「ラザロよ、出てきなさい」と呼ばわれた。すると、死人は手足を布でまかれ、顔も顔おおいで包まれたまま、出てきた。イエスは人々に言われた、「彼をほどいてやって、帰らせなさい」。

ラザロのよみがえり

もちろん、事実の記録であるのかどうか、私には検証することはできません。ただ言えることは、聖書には確かに何かのたとえではなく、事実の記録として記されているということです。事実であるとすれば、それは人間的には考えられることではありませんので、神の超自然的な力がイエスを通して働いていたという以外に説明がつかないことだと思いますし、私自身はそのような神は確かに生きて働いておられると思っています。

生きて働いている力

神は決して人の頭の中にある観念ではなく、実際に生きて働いている力であると私は受け止めています。そんなことが本当にあるのかと思われる方も多いかもしれませんが、日本人は太古の昔から、そのような人間の力を遥かに超えて働く神を仰ぎ、神に期待し、神に委ね、神を信じて生きてきたのだと思います。私たち日本人にとって、それは決して荒唐無稽なことではありませんでした。胸に手を置いて、目を閉じ、神に思いを向けるなら、神の実在ははっきりしているのではないでしょうか。それが日本人だと私は思います。

いかがでしたか

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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる

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