【日本人と日本文化】日本待望論

「高校生のためのおもしろ歴史教室」というウェブサイトの「神国日本」という項にオリヴィエ・ジェマントマ著「日本待望論」の大変興味深い文章が引用されていましたので、一部ご紹介いしたします。

「私は日本に対して深い親愛感を抱いております。」

‥‥何よりも惹かれてきたものは、日本の霊性(spiritualtité)、これであります。神道の奥義に触れようとして、多大の時間を割いてまいりました。あまたの社をめぐってえがたい経験を積み、いまやそれは我が人生の宝となりました。この経験からして、断固、こう言うことができます―

神道なくして日本はない、と。

そして、秘めたる自然の精髄をさししめすその表しかたからして、神道は、来るべき世紀(21世紀)に、枢要欠くべからざる役割を演ずるに至るであろう。なぜなら、そのとき、ついに人間は、自然とのコミュニオン(合一)なくしては生きられないと悟るであろうから、と。

大和魂

しかし、ここ数年来というもの、あなたがたのことを考えては、私は驚きを禁じえないでまいりました。なぜ皆さんが、かくもご自分自身について疑い、ルーツから遠ざかっていらっしゃるのか、理解に苦しむのです。日本の皆さんは、人類史上最大の精神文化の一つの継承者です。不幸にして一敗地にまみれたとはいえ、まさに奇跡としか言いようのない努力を傾注して、世界第二の経済大国を樹立されました。ならば、なぜ、この気概を、あらゆる領域で積極的に発揮しようとはなさらないのですか。何故、もっと重要な役割を国際場裡で果たし、もっと毅然と、千古脈々たる「大和魂」を発揚しようとはなさらないのですか。

日本の伝統に蔵せられた秘宝

このところ、貴国は経済危機に見舞われています。この禍を転じて福となしえないものでしょうか。いっそ、これを奇貨として、日本の伝統に蔵せられた秘宝の何たるかに、もっと目を向けてはいかがなものでしょうか。といって、他の制覇に乗り出すのではなく、世界画一化のもとに喉元を締めあげられた現代世界において、貴国の特殊性をもって貢献せんがために、であります。

永遠に日の昇る国

・・・パリに帰って、いま、これを世に送るにあたり、永遠に日の昇る国の遙かな空に向けて、心から希望のアピールを発します。「日本よ、すみやかに誇りと主権を取りもどされんことを!日本万歳!と。」(サイトからの引用は以上です。)

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。日本こそ聖書に「日の昇るところ」と記された国に他なりません。それは古代イスラエル系渡来人によってもたらされた聖書の信仰、イエスの教えに遡ることができます。キリスト教の教典としてではなく、日本人として聖書を開く時、そこに日本人の使命を見出すことになるでしょう。

新約聖書 使徒行伝 9章10~19節

さて、ダマスコにアナニヤというひとりの弟子がいた。この人に主が幻の中に現れて、「アナニヤよ」とお呼びになった。彼は「主よ、わたしでございます」と答えた。

そこで主が彼に言われた、「立って、『真すぐ』という名の路地に行き、ユダの家でサウロというタルソ人を尋ねなさい。彼はいま祈っている。彼はアナニヤという人がはいってきて、手を自分の上において再び見えるようにしてくれるのを、幻で見たのである」。

アナニヤは答えた、「主よ、あの人がエルサレムで、どんなにひどい事をあなたの聖徒たちにしたかについては、多くの人たちから聞いています。そして彼はここでも、御名をとなえる者たちをみな捕縛する権を、祭司長たちから得てきているのです」。

しかし、主は仰せになった、「さあ、行きなさい。あの人は、異邦人たち、王たち、またイスラエルの子らにも、わたしの名を伝える器として、わたしが選んだ者である。わたしの名のために彼がどんなに苦しまなければならないかを、彼に知らせよう」。

そこでアナニヤは、出かけて行ってその家にはいり、手をサウロの上において言った、「兄弟サウロよ、あなたが来る途中で現れた主イエスは、あなたが再び見えるようになるため、そして聖霊に満たされるために、わたしをここにおつかわしになったのです」。

するとたちどころに、サウロの目から、うろこのようなものが落ちて、元どおり見えるようになった。そこで彼は立ってバプテスマを受け、また食事をとって元気を取りもどした。

アナニヤとサウロ

主が幻の中で現れ、アナニヤという人に語ったという出来事が記されています。事実の記録であるのかどうか、私には検証する術がありませんが、この箇所全体を見ると、この「主」というのはイエスのことのようです。イエスが幻の中でアナニヤという人に語った。アナニヤはすでにイエスの教えを受け入れている人であったのでしょう。サウロはイエスの弟子たちを迫害する者であることをアナニヤは知っている様子です。しかし、イエスはサウロをイエスの名を伝える器としてイエス自身が選んだと言ったことが記されています。確かにサウロはイエスの弟子たちの迫害者でしたが、そのサウロをイエスは選んだということを、この聖書の箇所は伝えようとしているのではないでしょうか。サウロはバプテスマを受けたとあります。イエスの弟子となる宗教儀礼を受けたということなのでしょう。迫害者サウロがイエスの弟子となったということを伝えようとしているのでしょう。

いかがでしたか

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目次
一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
七章 「子供の教育」
八章 「恋愛・結婚」

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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる

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