【日本近現代史】共産主義思想の問題は何か

マルクス

「高校生のためのおもしろ歴史教室」というサイトはとても勉強になります。社会科をちゃんと勉強する必要がありますね。こういうことを知らないと、物事を正しく判断することができません。今日は「コミンテルン史観について」という項から一部をご紹介いたします。

マルクス主義

マルクスはユダヤ人です。ユダヤ人は、キリスト教の世界となったヨーロッパで、キリスト殺しの汚名を背負って生きていました。ユダヤ人達は、生き延びるためには、それぞれの国家の愛国心を解体する以外にないと考えました。フランス革命を指導したのもユダヤ人です。自分たちを迫害する王政を倒すことが自分たちが生き残る方法でした。

ユダヤ人の生き残りをかけた戦い

そこでマルクスが登場します。マルクスは、労働者の不平不満を引き出して対立闘争のイデオロギーを打ち立て、それぞれの国に争いを持ち込んで、混乱させることによってユダヤ人を迫害する国を崩壊させようと考えました。不平不満は物事を引き裂いて対立させ崩れさせる働きがあります。

マルクス主義の魔力

マルクス主義の何処が魅力的な思想かというと、人類の歴史を階級闘争の歴史であるという史的唯物論が、人類歴史の発展を上手く説明していると思えるからです。支配者=悪玉。被支配者=善玉というトリックは巧みです。冷静に考えればおかしいと思いませんか?マルクス主義は人間の持つ劣等感や妬み心を満して良きもの―伝統文化など―を破壊する悪魔の思想です。

内部崩壊の思想

ロシア、中国、カンボジアの共産党政権が間違っていたのだと共産党の支持者は抗弁しますが、共産主義思想自体に、大量虐殺、伝統文化破壊の要素が含まれているからに他なりません。なぜなら、富者にたいする妬み、そねみ、うらみが思想の根底にあるからです。対立と闘争を煽って伝統を破壊して、労働者政権を作るというコンセプト自体に問題があります。(サイトからの引用は以上です。)

本当なのか

それは理想的な思想としてではなく、自らの生き残りをかけた、国家破壊の思想であり、ユダヤ人の発案であったと言うことですが、つまり、共産主義者は騙されているということなのでしょうか。確かにユダヤ人は大変な迫害の歴史の中を通らせられて来たことを考えれば、ないとは言えないのでしょうか。少なくとも、同じユダヤ人による聖書とはまったく正反対の考えだと言えると思います。

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書はもちろん国家破壊の思想ではありません。聖書は権利の主張ではなく、むしろ自己中心、人間中心を放棄して、神に立ち帰り、神を中心にして生きる神の国にこそ救いがあることを教えています。それこそが本来、ユダヤ人が求めていた世界、神が意図した世界です。キリスト教の教典としてではなく、日本人として聖書を開く時、そこに日本人の心を発見することができます。

新約聖書 使徒行伝 13章1~12節

さて、アンテオケにある教会には、バルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、クレネ人ルキオ、領主ヘロデの乳兄弟マナエン、およびサウロなどの預言者や教師がいた。

一同が主に礼拝をささげ、断食をしていると、聖霊が「さあ、バルナバとサウロとを、わたしのために聖別して、彼らに授けておいた仕事に当らせなさい」と告げた。そこで一同は、断食と祈とをして、手をふたりの上においた後、出発させた。

ふたりは聖霊に送り出されて、セルキヤをくだり、そこから舟でクプロに渡った。そしてサラミスに着くと、ユダヤ人の諸会堂で神の言を宣べはじめた。彼らはヨハネを助け手として連れていた。

島全体を巡回して、パポスまで行ったところ、そこでユダヤ人の魔術師、バルイエスというにせ預言者に出会った。彼は地方総督セルギオ・パウロのところに出入りをしていた。

この総督は賢明な人であって、バルナバとサウロとを招いて、神の言を聞こうとした。ところが魔術師エルマ(彼の名は「魔術師」との意)は、総督を信仰からそらそうとして、しきりにふたりの邪魔をした。

サウロ、またの名はパウロ、は聖霊に満たされ、彼をにらみつけて言った、「ああ、あらゆる偽りと邪悪とでかたまっている悪魔の子よ、すべて正しいものの敵よ。主のまっすぐな道を曲げることを止めないのか。

見よ、主のみ手がおまえの上に及んでいる。おまえは盲になって、当分、日の光が見えなくなるのだ」。たちまち、かすみとやみとが彼にかかったため、彼は手さぐりしながら、手を引いてくれる人を捜しまわった。総督はこの出来事を見て、主の教にすっかり驚き、そして信じた。

アンテオケから

バルナバとサウロはアンテオケにあるユダヤ人ではない人々のグループから送り出されて、クプロという地中海に浮かぶ島に渡ったことが記されています。こうして、イエスの教えが異邦人世界へと広がっていった様子が記されていますが、その教えの内容については書かれていません。ここには「神の言」とか、「主の教」とありますが、それはどんな内容だったのでしょうか。自己中心、人間中心を退け、神に立ち帰り、神の御心に生きる神の国というイエスが教えた内容だったのでしょうか。総督が驚いた「主の教」とは何だったのでしょうか。そして何を信じたのでしょうか。

いかがでしたか

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目次
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二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる

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投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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