【日本近現代史】「大東亜戦争肯定論」とは何か

大東亜戦争肯定論表紙

林房雄著「大東亜戦争肯定論」の「肯定」とは、現実を受け入れることであって、決して戦争賛成ということではない。「朝鮮併合」について、侵略だと言う人もあれば、日本は良いことをしたと言う人もいます。この著者の意見は私に正しい判断を与えます。一部をご紹介いたします。

朝鮮併合の真実

私は朝鮮併合を弁護する気持ちはない。その必要も認めない。朝鮮併合が日本の利益のために行なわれ、それが朝鮮民族に大きな被害を与えたことは誰も否定できない。ただ私は朝鮮併合もまた「日本の反撃」としての「東亜百年戦争」の一環であったことを、くりかえし強調する。

金三奎氏(ソウル主筆)の言葉

だから、私は併合の被害者である朝鮮人、金三奎氏(ソウル主筆)の次のような怒りにみちた言葉には素直に耳をかたむける。

「どの国の植民政策も、その国と国民のためのものであって、被支配民族のためではなかった。日本の韓国支配も例外ではない。なるほど、アジア的封建社会に近代的土地所有制度を確立し鉄道を敷設し、港湾を造築し、禿山を緑化し、水利事業を、稲の品種を改良し、産業を起し、貿易額をふやしたのは事実である。しかし、それによって朝鮮民族の生活が向上したどころか、農民は土地を奪われ、日本や満州に流浪の民となり、あるいは山奥に入って火田民とならねばならなかった」(金氏『朝鮮現代史』)

私は否定しない

「日本による『朝鮮の近代化』は、要するに、日本人が住みよく、搾取しやすくするための『近代化』であって、朝鮮人のための『近代化』ではなかった。・・・世に植民主義ほど非情なものはない。非情な支配に対しては、非情な抵抗があるのみであった」

私は金三奎氏の言葉を否定する何物をも持たぬ。三十五年にわたる日本の朝鮮支配は、朝鮮民族にとって、そのようなものであったにちがいない。これを「非情」とよばれても、日本人には抗弁の方法も余地もない。

それが歴史

ただ、私は金氏の怒りをおかして、敢て言おう。それがアジアの歴史であった。日本の歴史であると同時に朝鮮の歴史であった。歴史はさかのぼることも、くりかえすこともできない。陳謝や懺悔によってつぐなうことのできるものではない。

「解放」後の現実

金氏の「朝鮮現代史』に描かれている「解放」後の朝鮮の実状を見るがよい。三十八度線は何者によって引かれたのか。この分断によって生じた「朝鮮戦争」はいかなる残虐を朝鮮民族に対して加え、今なお加えつつあるか。

なぜ「歴史」を書くのか

私は歴史の中に逃げこんで責任を回避するために歴史を書いているのではない。金氏も朝鮮の現状を肯定するために『朝鮮現代史』を書いたのではなかった。私の『大東亜戦争肯定論』も日本の歩いてきた道と日本の現状を合理化するためのものでないことは何度もくりかえした。ただ「歴史の偽造」と「民族の精神の全的否定と醜化」に抵抗するために、書きつづけているのだ。(本からの引用は以上です。)

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は日本人の文化、伝統、習慣、国民性のルーツです。キリスト教の教典としてではなく、日本人として、この歴史の現実の中を歩む者として、聖書を開いてみてください。

新約聖書 使徒行伝 20章25~38節

わたしはいま信じている、あなたがたの間を歩き回って御国を宣べ伝えたこのわたしの顔を、みんなが今後二度と見ることはあるまい。だから、きょう、この日にあなたがたに断言しておく。わたしは、すべての人の血について、なんら責任がない。神のみ旨を皆あますところなく、あなたがたに伝えておいたからである。

どうか、あなたがた自身に気をつけ、また、すべての群れに気をくばっていただきたい。聖霊は、神が御子の血であがない取られた神の教会を牧させるために、あなたがたをその群れの監督者にお立てになったのである。

わたしが去った後、狂暴なおおかみが、あなたがたの中にはいり込んできて、容赦なく群れを荒すようになることを、わたしは知っている。また、あなたがた自身の中からも、いろいろ曲ったことを言って、弟子たちを自分の方に、ひっぱり込もうとする者らが起るであろう。

だから、目をさましていなさい。そして、わたしが三年の間、夜も昼も涙をもって、あなたがたひとりびとりを絶えずさとしてきたことを、忘れないでほしい。今わたしは、主とその恵みの言とに、あなたがたをゆだねる。

御言には、あなたがたの徳をたて、聖別されたすべての人々と共に、御国をつがせる力がある。わたしは、人の金や銀や衣服をほしがったことはない。あなたがた自身が知っているとおり、わたしのこの両手は、自分の生活のためにも、また一緒にいた人たちのためにも、働いてきたのだ。

わたしは、あなたがたもこのように働いて、弱い者を助けなければならないこと、また『受けるよりは与える方が、さいわいである』と言われた主イエスの言葉を記憶しているべきことを、万事について教え示したのである」。

こう言って、パウロは一同と共にひざまずいて祈った。みんなの者は、はげしく泣き悲しみ、パウロの首を抱いて、幾度も接吻し、もう二度と自分の顔を見ることはあるまいと彼が言ったので、特に心を痛めた。それから彼を舟まで見送った。

わたしの顔を二度と見ることはない

パウロはエルサレムへ急いでいました。その途中、エペソの群れの指導者たちを呼んで話しました。これは別れのあいさつでもあったのでしょう。これまで三年間、教えたことを忘れないように、自分のこと、群れ全体のことを気にかけるように、またかき乱す者に警戒するようにと教えています。「御言」とは何を指しているのでしょうか。「神の言葉」ということであれば、それぞれの良心で聞く神の言葉ということなのかもしれません。最後まで、神の言葉に従うことを教えたのかもしれません。そして、これを宗教にして、職業にするのではなく、自分の手で働いて、収入を得て、生活することも教えているのではないでしょうか。

いかがでしたか

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目次
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二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる

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投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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