【日本とイスラエル】供え物と禊ぎ(6)

五十鈴川

日本と古代イスラエル人との関連について、久保有政氏のYouTube動画解説「神道のルーツとユダヤ3:供え物と禊ぎ」からご紹介いたします。

禊ぎ

・・・日本神道では、清め(禊ぎ)のために、水を用いる風習がある。神社は、たいてい清流や、きれいな水の池、湖、海などの近くに建てられている。これらはそれらの川や池などで水浴して、禊ぎ(身の清め)を行うためである。

五十鈴川

たとえば伊勢神宮のとなりには、五十鈴川が流れている。人々がそこで水浴して、禊ぎをするためである。神官もそこで禊ぎをする。五十鈴川のほとりに、そうした禊ぎのための場所がちゃんと確保されている。水は、神道において人を清めるものであった。

古代イスラエル

古代イスラエルにも、水で体を清める風習があった。「祭司は、その衣服を洗い、その体に水を浴びよ。そののち、宿営に入ることができる」(旧約聖書民数記19章7節)。だから古代イスラエルにおいては、礼拝所の近くに、清らかな水があることが理想とされたのだ。

日本神道

同様に日本神道の神官も、神社で仕える前に必ず衣服を洗ってきれいにし、水浴して禊ぎをする。仏教(とくに顕教)の僧侶には、一般的にこのような風習はない。これは古代イスラエルの風習である。・・・

キリスト教の洗礼

ところで、キリスト教では「洗礼」というものを行う。信者となるにあたって、水の中に浸るのである。これは古代イスラエルからの伝統に基づき、ユダヤ教から受け継いだ「禊ぎ」の一種である。・・・

「ミソギ」という言葉

ミソギという言葉は、どこから来たのだろうか。ヘブル語で「ミソグ」には、分別・聖別の意味があり、神道用語の「ミソギ」はそこから来た言葉のように思える。

アジア諸国の風習

中央アジアや西アジア一帯の遊牧民には、水浴によって身を清める、禊ぎをするという風習はみられない。しかしインドでは、水浴には功徳があると信じられた。ガンジス河などでは、今でも多くの巡礼者たちが水浴をしている。古代中国でも、3月のはじめの巳の日は「悪日」だとして、その日に川の水に入り、身の穢れを落とす風習があった。

日本特有の「祓い」の観念

けれども日本では、水浴は、さらに日本特有の「祓い」の観念と結びついたのである。すなわち、宗教的な穢れを祓う神道の神事として高められ、きわめて重要な意味を与えられている。この観念は、きわめてユダヤ的である。(久保有政氏の解説からの引用は次回に続きます。)

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は、古代イスラエル系渡来人によってもたらされた日本の文化、伝統、習慣、信仰、国民性のルーツです。キリスト教の経典としてではなく、日本の原点を知るために聖書を読んでみてください。

旧約聖書 創世記 36章1~8節

エサウ、すなわちエドムの系図は次のとおりである。エサウはカナンの娘たちのうちから妻をめとった。すなわちヘテびとエロンの娘アダと、ヒビびとヂベオンの子アナの娘アホリバマとである。また、イシマエルの娘ネバヨテの妹バスマテをめとった。

アダはエリパズをエサウに産み、バスマテはリウエルを産み、アホリバマはエウシ、ヤラム、コラを産んだ。これらはエサウの子であって、カナンの地で彼に生れた者である。

エサウは妻と子と娘と家のすべての人、家畜とすべての獣、またカナンの地で獲たすべての財産を携え、兄弟ヤコブを離れてほかの地へ行った。彼らの財産が多くて、一緒にいることができなかったからである。すなわち彼らが寄留した地は彼らの家畜のゆえに、彼らをささえることができなかったのである。こうしてエサウはセイルの山地に住んだ。エサウはすなわちエドムである。

エサウ、すなわちエドムの系図

ここにはイスラエル(ヤコブ)の兄エサウ、後のエドム人の系図が記されています。イスラエル民族と兄弟関係にある民族ですが、エドム民族のルーツがここに記されているということでしょう。もともとは一緒にいましたが、彼らの財産が多くなり、一緒にいることができなくなったので、それぞれ違う地に住むようになったとここには記されています。アブラハム、イサクの系図は、ここからエドムとイスラエルに別れたということを記しています。

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目次
一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
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八章 「恋愛・結婚」

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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる

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投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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