【日本とイスラエル】お盆とイスラエルの風習

お盆

日本のお盆とイスラエルの風習の関係について、久保有政氏のYouTube動画解説「日本の風習の中の古代イスラエル」からご紹介いたします。

お盆

・・・「お盆」(盂蘭盆)は現在7月15日、あるいはその1ヶ月遅れの8月15日に行われている。旧暦の時代にも7月15日に行われた。お盆は、今日では一般に仏教行事の一つとされている。しかし、原始仏教にもインド仏教にも、お盆はない。お盆は本来、仏教の行事ではないからだ。

祖霊祭

・・・日本に仏教が入ってくるよりずっと以前から、日本には「祖霊祭」または「先祖祭」と呼ばれるものがあった。この祭は、旧暦の1月15日と、7月15日ごろの満月を中心として年に2回、先祖を弔う気持ちから行われていたものである。仏教が入ってきたとき、この祭が仏教行事に取り込まれて、お盆となったのである。・・・

仮庵の祭

じつは古代イスラエルでも、(ユダヤ暦の)7月15日に大きな祭があった。これは「仮庵の祭」と呼ばれ、非常に盛大に行われた。「あなたがたがその土地の収穫をし終わった第七月の一五日には、七日間にわたる主の祭を祝わなければならない」(旧約聖書レビ記23章39節)。

感謝祭

この「仮庵の祭」とは、昔イスラエル人が出エジプトののち40年にわたって荒野を放浪したときに「仮庵」つまり、掘立小屋を建てながら放浪生活をおくったことを覚えて、そうした所から導かれて今日の生活に入れられたことを感謝する祭である。それは感謝祭、収穫祭であるが、同時に死者のための特別な祈りの時も持たれた。だから、ちょうど日本のお盆のような意味合いも持っていたのだ。

7月15日と8月15日

この祭は、ユダヤ暦第7月の15日から行われた。しかし10支族のいた北王国イスラエルでは、ひと月遅れの8月15日から行なっていた。「(北王国の)ヤロブアムは、(南王国)ユダでの祭にならって、祭の日を第八の月の一五日と定め・・・」(旧約聖書第1列王記12章32節)。

盆と正月

・・・古代イスラエルでは、正月の祭(種を入れないパンの祭すなわち過越の祭)と、この仮庵の祭(7月15日あるいは8月15日)の2つが、年間を通じて最も盛大な祭であった。同様に、日本でも古来、この同じ時期に、盛大な祭が行われてきたのだ。(久保有政氏の解説からの引用は次回に続きます。)

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は、古代イスラエル系渡来人によってもたらされた日本の文化、伝統、習慣、信仰、国民性のルーツです。キリスト教の経典としてではなく、日本の原点を知るために聖書を読んでみてください。

旧約聖書 創世記 42章6~17節

ときにヨセフは国のつかさであって、国のすべての民に穀物を売ることをしていた。ヨセフの兄弟たちはきて、地にひれ伏し、彼を拝した。ヨセフは兄弟たちを見て、それと知ったが、彼らに向かっては知らぬ者のようにし、荒々しく語った。

すなわち彼らに言った、「あなたがたはどこからきたのか」。彼らは答えた、「食糧を買うためにカナンの地からきました」。ヨセフは、兄弟たちであるのを知っていたが、彼らはヨセフとは知らなかった。

ヨセフはかつて彼らについて見た夢を思い出して、彼らに言った、「あなたがたは回し者で、この国のすきをうかがうためにきたのです」。彼らはヨセフに答えた、「いいえ、わが主よ、しもべらはただ食糧を買うためにきたのです。われわれは皆、ひとりの人の子で、真実な者です。しもべらは回し者ではありません」。

ヨセフは彼らに言った、「いや、あなたがたはこの国のすきをうかがうためにきたのです」。彼らは言った、「しもべらは十二人兄弟で、カナンの地にいるひとりの人の子です。末の弟は今、父と一緒にいますが、他のひとりはいなくなりました」。

ヨセフは彼らに言った、「わたしが言ったとおり、あなたがたは回し者です。あなたがたをこうしてためしてみよう。パロのいのちにかけて誓います。末の弟がここにこなければ、あなたがたはここを出ることはできません。あなたがたのひとりをやって弟を連れてこさせなさい。それまであなたがたをつないでおいて、あなたがたに誠実があるかどうか、あなたがたの言葉をためしてみよう。パロのいのちにかけて誓います。あなたがたは確かに回し者です」。

ヨセフは彼らをみな一緒に三日の間、監禁所に入れた。

ヨセフはかつて見た夢を思い出した

読者の皆さんは覚えているでしょうか。かつて、ヨセフが兄たちと一緒にいた頃、兄たちの稲束がやって来て、ヨセフの稲束を拝んだ夢。それに続いて、父、兄たちの星がヨセフの星を拝んだ夢。それが今、目の前に実現しました。ヨセフはかつての夢を思い出していました。それは神がヨセフに見せた夢。決してヨセフはその夢の実現のために何かに取り組んだり、努力した訳ではありません。ただ、たとえどのような状況に置かれることがあっても、すべては神の計画と受け入れて、神に仕え、人々に忠実に仕えて来たのです。すべては神の計画であり、実現してくださったのは神です。私たちには先のことも、現在のことも、なぜそのようなになっているのか、この先どうなるのか、分かりません。しかし、今、神に目を留め、神に立ち返り、神に忠実に仕え、人々に誠実に仕えて生きることはできます。たとえどんな状況に置かれていたとしても、できます。あとは神が、ご自身の計画に基づいて、私たちを導いてくださるのです。これが神を中心とした幸いな生き方です。

いかがでしたか

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目次
一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
七章 「子供の教育」
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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる

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投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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