【日本とイスラエル】切腹とイスラエル

切腹

日本の切腹とイスラエルの風習との関連について、久保有政氏のYouTube動画解説「日本のルーツとユダヤ2」からご紹介いたします。

日本の切腹

日本には切腹という文化がある。「セップク」という日本語が英語圏でも通じる言葉になっているほどに、武士の切腹は世界的に有名だ。英語圏や、たいていの国には、そのような文化はないからである。自らの力で、自らの命を絶つのが切腹である。切腹は自決ともいう。かつて大東亜戦争中、多くの日本兵たちが、日本を守るために特攻隊員として散っていった。命令で特攻隊員となった者もいるが、多くは志願して散っていったのだ。それは愛する祖国、また愛する人々を守るためだった。彼らは望んで、祖国防衛のための捨て石となったのである。武士の時代の自決の精神は、その頃も強く生き続けていたのだ。

ユダヤの精神

エリ・コーヘン駐日元イスラエル大使は、武士の切腹は、ユダヤの精神によく似ているとして、次のように述べている。「日本の武道の精神は、ユダヤの精神に非常によく似ていると私は思う。その象徴ともいえるのが切腹である。ユダヤ教においては、神から与えられた尊い命を自ら絶つということは許されない。宗教上厳しく禁じている。ところがユダヤの歴史では、自らの命を絶たねばならない状況が何度かあった。つまり、ユダヤの歴史においても、切腹して果てた人々がいたのだ。そしてその死は、ユダヤ教の観点からも完全に認められ、受け入れられているのである」。そうコーヘン大使は語っている。

マサダの砦

私(久保有政氏)は以前、東京のイスラエル大使館にうかがったとき、コーヘン大使の部屋に飾られた「マサダの砦」の写真を見せていただいたことがある。それは、イスラエルの死海の西岸にある絶壁の上の砦である。今から約2000年前、その砦に、ローマ帝国の圧政に苦しんだユダヤ人が立て籠もり、3年間籠城したことがあった。しかし、ついに力尽き、敗北が目前となった。そのとき彼らユダヤ人は、ローマ軍の捕虜になるよりは自決の道を選んだのである。日本人と同じように、「生きて虜囚の辱めを受けず」の観念のもと、自決を選んだのだ。彼らは全員、集団自決して果てた。・・・

サウル王

また、イスラエル初代の王サウルの身の上にも同様のことがあった。サウルは、ペリシテ人との最後の戦いにおいて、集中攻撃をあび、絶体絶命の状況に陥った。そのとき、彼は捕虜になるよりは、自らの命を絶つ道を選んだと聖書は記している。「彼(サウル)は射手たちのために、ひどい傷を負った。サウルは道具持ちに言った。『おまえの剣を抜いて、それで私を刺し殺してくれ。あの割礼を受けていない者どもがやって来て、私を刺し殺し、私をなぶり者にするといけないから』しかし、道具持ちは、非常に恐れて、とてもその気になれなかった。そこで、サウルは剣を取り、その上にうつぶせに倒れた。道具持ちも、サウルの死んだのを見届けると、自分の剣の上にうつぶせに倒れて、サウルのそばで死んだ」(旧約聖書第一サムエル記31章3~5節)。こうしてサウルは一種の切腹をした。・・・このように切腹、自決の伝統も、ユダヤと日本で共通しているのだ。それはユダヤ道、また日本神道の双方で肯定されてきた。(久保有政氏の解説からの引用は次回に続きます。)

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は、古代イスラエル系渡来人によってもたらされた日本の文化、伝統、習慣、信仰、国民性のルーツです。キリスト教の経典としてではなく、日本の原点を知るために聖書を読んでみてください。

旧約聖書 創世記 44章1~13節

さてヨセフは家づかさに命じて言った、「この人々の袋に、運べるだけ多くの食糧を満たし、めいめいの銀を袋の口に入れておきなさい。またわたしの杯、銀の杯をあの年下の者の袋の口に、穀物の代金と共に入れておきなさい」。

家づかさはヨセフの言葉のとおりにした。夜が明けると、その人々と、ろばとは送り出されたが、町を出て、まだ遠くへ行かないうちに、ヨセフは家づかさに言った、「立って、あの人々のあとを追いなさい。追いついて、彼らに言いなさい、『あなたがたはなぜ悪をもって善に報いるのですか。なぜわたしの銀の杯を盗んだのですか。これはわたしの主人が飲む時に使い、またいつも占いに用いるものではありませんか。あなたがたのした事は悪いことです』」。

家づかさが彼らに追いついて、これらの言葉を彼らに告げたとき、彼らは言った、「わが主は、どうしてそのようなことを言われるのですか。しもべらは決してそのようなことはいたしません。袋の口で見つけた銀でさえ、カナンの地からあなたの所に持ち帰ったほどです。どうして、われわれは御主人の家から銀や金を盗みましょう。しもべらのうちのだれの所でそれが見つかっても、その者は死に、またわれわれはわが主の奴隷となりましょう」。

家づかさは言った、「それではあなたがたの言葉のようにしよう。杯の見つかった者はわたしの奴隷とならなければならない。ほかの者は無罪です」。

そこで彼らは、めいめい急いで袋を地におろし、ひとりひとりその袋を開いた。家づかさは年上から捜し始めて年下に終わったが、杯はベニヤミンの袋の中にあった。そこで彼らは衣服を裂き、おのおの、ろばに荷を負わせて町に引き返した。

ヨセフの策略

ヨセフはなぜこのような策略を企てたのでしょうか。兄たちへの復讐ではなかったと思います。私は兄たちの心を探るためだったのではないかと思いますが、皆さんはどう思われますか。かつて兄たちがヨセフにしたことは悪いことでした。しかし、ヨセフはすべてが神の御手の中にあることを実感していましたから、決して兄たちを憎んではいなかったのではないでしょうか。しかし、兄たちにも神を畏れ、人間中心、自己中心を退けて、神に立ち返り、神に喜ばれる生き方をして欲しいと願っていたことでしょう。実際、今の兄たちの心はどこにあるのでしょうか。兄たちに試練を与えることで、兄たちがそれをどのように受け止め、またどのような態度を取るのかを見れば、兄たちの心がどこに向いているのか知ることができるとヨセフは考えて、このような策略を企てたのではないでしょうか。人の心は表面だけ見ていたのでは分からないこともあります。しかし、困難や試練に遭遇する時、その人の心が現れるものではないでしょうか。自分でも知らなかった自分を知ることもあるかもしれません。そのためにヨセフはこのような策略を企てたのではないでしょうか。

いかがでしたか

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目次
一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
七章 「子供の教育」
八章 「恋愛・結婚」

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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる

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投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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