【日本とイスラエル】日本の祭とイスラエルの風習

祇園祭

日本の祭とイスラエルの風習との関連について、久保有政氏のYouTube動画解説「日本のルーツとユダヤ2」からご紹介いたします。

「祭」が盛んな日本

日本人は「祭」好きである。現代の日本には年中、祭がある。これはたいへん幸せなことだ。というのは現在の中国や、韓国、北朝鮮にはほとんど祭がない。・・・昔は多少あったようだが、祭をやって人が集まると、それが反政府運動になったりする危険があるというので、政府の命令でやめさせてしまった。・・・日本は平和な国であり、昔も今も各地で祭が盛んだ。

神事としての祭

そして日本の祭は、娯楽であるだけでなく、基本的に「神道の神事」である。これは古代イスラエルでもそうだった。祭は春の「過越の祭」にしても、秋の「仮庵の祭」にしても、その他の祭にしても、みな神が「祭をしなさい」と命じたものであって、イスラエル神道の神事であった。

ヘブル語の「マソリット」

ユダヤ人ヨセフ・アイデルバーグによると、「マツリ」という日本語は、ヘブル語で「伝統」を意味する「マソリット」に由来するのではないか、という。祭こそ、まさに伝統なのだ。

祇園祭

日本の祭の中で最も有名なのは、やはり京都・八坂神社の祭礼「祇園祭」であろう。全国に広がって各地で持たれる日本一盛大な祭である。祇園祭は、平安京に始まった祭である。・・・平安京は、渡来系氏族の「秦氏」一族が総力をかけて造成し、建設した都である。秦氏といえば、多くの研究者たちから「古代イスラエル人の末裔ではないか」と言われてきた人々でもある。

古代エルサレムの祭との関係

・・・これは古代エルサレムの祭によく似ている。かつてソロモン王は、神殿が完成した際、国に「伝染病」が起らないようにとの願いから、盛大な祭をエルサレムで行なった(旧約聖書歴代誌二6章28~29節)。いわば「シオン祭」である。シオンとはエルサレムの愛称だ。同様に日本のエルサレム=平安京の「ギオン祭」も、民の間に「伝染病」が起らないようにとの願いから始められた。つまりこれら2つの祭は、同じ思い、同じ祈願から始められた祭である。だからラビ・M・トケイヤーなどは、ギオンとはシオンが若干なまったものではないか、と想像しているくらいだ。

エンヤラヤー

祇園祭は「エンヤラヤー」の掛け声で始まる。このエンヤラヤーが、ヘブル語の「エァニ・アーレル・ヤー」なら、「私はヤハウェをほめたたえます」の意味である。エァニは「私は」、アーレルは「ほめたたえます」、ヤーは神の御名ヤハウェである。(久保有政氏の解説からの引用は次回に続きます。)

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は、古代イスラエル系渡来人によってもたらされた日本の文化、伝統、習慣、信仰、国民性のルーツです。キリスト教の経典としてではなく、日本の原点を知るために聖書を読んでみてください。

旧約聖書 創世記 44章14~17節

ユダと兄弟たちとは、ヨセフの家にはいったが、ヨセフがなおそこにいたので、彼らはその前で地にひれ伏した。ヨセフは彼らに言った、「あなたがたのこのしわざは何事ですか。わたしのような人は、必ず占い当てることを知らないのですか」。

ユダは言った、「われわれはわが主に何を言い、何を述べ得ましょう。どうしてわれわれは身の潔白をあらわし得ましょう。神がしもべらの罪をあばかれました。われわれと、杯を持っていた者とは共にわが主の奴隷となりましょう」。

ヨセフは言った、「わたしは決してそのようなことはしない。杯を持っている者だけがわたしの奴隷とならなければならない。ほかの者は安全に父のもとへ上って行きなさい」。

神がしもべらの罪をあばかれました

実際にはベニヤミンも兄たちも杯を盗んだ覚えはありませんので、身に覚えのない罪を着せられた訳です。しかし、ベニヤミンの持っていた袋の中から杯が見つかった以上、どのような言い開きができると言うのでしょうか。すべてはヨセフの策略だったとは言え、兄弟たちは知る由もありません。しかし、ユダは「神がしもべらの罪をあばかれました」と言っています。もちろん、杯を盗んだ罪ではないでしょう。かつて、ヨセフをいじめ、売ってしまった罪を、神はもちろん知っていて、その罪を今、このような形であばかれたと言っているのだと思います。ユダは人ではなく、神を中心にして目の前の現実を受け止めたのです。とても大切なことです。人間中心に考えるなら、この世界は理不尽なことが多くあります。しかし、神の目から見たら、理不尽なことは何ひとつありません。人間の目から見るから理不尽に見えるのであって、すべては神の支配の中で起こっていることと、神を中心にして受け止めるのであれば、理不尽なことは一つもありません。もちろん、正さなければならない不正はあります。しかし、受け止めなければならない現実もあります。

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目次
一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
七章 「子供の教育」
八章 「恋愛・結婚」

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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる

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投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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