【日本とイスラエル】逆・日ユ同祖論

キリスト祭墓ののぼり

日本と古代イスラエルとの関係について、久保有政氏のYouTube動画解説「シルクロードの『イスラエルの失われた10支族』」からご紹介いたします。

キリストの墓

モーセだけではない、イエス・キリストも日本にやって来たという。キリストは日本で神道を学び、再びユダヤへ帰ってキリスト教を起こした。十字架刑になったのは、じつはイエスではなく、彼の弟イスキリだったという。イエス自身は、再び「神の国」をめざし、中央アジアからシベリア、さらにはアラスカを経由して、4年後、船で青森県の八戸に上陸、戸来村(現・新郷村)にやってきたという。

十来太郎大天空

イエスは、「十来(とうらい)太郎大天空」と名を改め、同村の沢口の丘の上に居を定めたという。そして、ミユ子という女性をめとり、三女をもうけた。とくに布教に努めることはなかったが、自ら畑を耕し、作物を作っては貧しい人々に分けてやったという。白髪で禿げ頭、鼻の高い赤ら顔で長いマントを着て歩く彼の姿を見て、村人は「天狗様」として畏敬した。こうして彼は106歳の天寿を全うし、遺体は風葬にされ、骨は4年後に住んでいた家の跡に埋められた。それが青森県新郷村戸来にある「キリストの墓」=「十来塚」だという。そのかたわらに「十代塚」というものもあるが、これは彼が携えていた弟イスキリの耳と、母マリアの頭髪を葬ったものとされている。

ほのぼのとした善良な日本人像

しかし、こうした姿は聖書・福音書が記すイエス・キリスト像とは、大きくかけ離れている。むしろ、ほのぼのとした善良なひとりの日本人像である。じつは、日本のこれらの地にある「モーセの墓」「キリストの墓」は、本当に彼らの墓なのかというと、確定的な証拠は何もない。キリストの墓にしても、「竹内文書に従って調査していたら、ちょうど土の盛り上がった塚のようなものが2つあったので、きっとこれがキリストの墓だろう」ということになって、そこをキリストの墓と呼ぶことにしたのだという。そこを実際に掘り出して、骨や遺物を科学的に調べたわけでもない。

町おこし

もともとモーセの墓やキリストの墓が造られた地域は、他には何も観光資源がないような所で、ふつうなら誰も来ないような場所だった。けれども、「モーセの墓」「キリストの墓」が造られたことで、ずいぶんと「町起こし」になったようだ。

歴史の事実

しかし歴史の事実はどうか。モーセやイエス本人が日本に来たということではなく、むしろユダヤ人、古代イスラエル人が日本に来たということだろう、と思われる。モーセは、ユダヤ人の中には比較的多い名前だ。そうしたモーセと名のつくユダヤ人が能登半島にいた、ということかもしれない。エリ・コーヘン元駐日イスラエル大使も、そのような見解を述べている。

ナニャドヤラ

キリストの墓にしても、その地にいたキリスト教徒のひとりで良い影響を与えた人物が、のちにキリスト自身とあがめられ、その墓がキリストの墓と呼ばれるようになったのかもしれない。実際、キリストの墓の周囲には、ユダヤや、キリスト教徒と関係のありそうなものが少なくない。たとえば、この地方(青森県南と岩手県北)には「ナニャドヤラ」と呼ばれる盆踊りの歌が伝わっているが、その歌詞は「ナニャードヤレー ナニャドナサレデア ナニャドヤラヨー」という意味不明のものである。これはヘブル語学者・川守田英二博士によると、もとはヘブル語で、「御前に主を讃えよ、主は逆賊を掃討してくださった。御前に主を讃えよ」の意味だという。

ダビデの星の家紋と額の十字

また、キリストの墓のある丘は、もともと沢口家(キリストの子孫といわれる)のものだが、その家紋はユダヤの「ダビデの星」と同じ六芒星だ。この地方には、生後10ヶ月の赤ちゃんが初めて外へ出るとき、額に墨で「十字」を書いて魔除けを願う風習もある。これは東ヨーロッパ等のキリスト教徒に今もある、古くからのキリスト教の風習である。

十字を3回

また、足がしびれたとき、人差し指につばをつけて額に「十字を3回」書くと直るといった習慣もある。このようにユダヤや、キリスト教徒にまつわる風習が多くあることからみて、その地にいたユダヤ人や、キリスト教徒がのちに伝説化され、そこに「モーセの墓」や「キリストの墓」伝説が生まれたと考えることも可能だ。このように、逆・日ユ同祖論は、別の形での説明が可能である。(久保有政氏の解説からの引用は次回に続きます。)

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は、古代イスラエル系渡来人によってもたらされた日本の文化、伝統、習慣、信仰、国民性のルーツです。キリスト教の経典としてではなく、日本の原点を知るために聖書を読んでみてください。

旧約聖書 出エジプト記 3章7~12節

3:7主はまた言われた、「わたしは、エジプトにいるわたしの民の悩みを、つぶさに見、また追い使う者のゆえに彼らの叫ぶのを聞いた。わたしは彼らの苦しみを知っている。 3:8わたしは下って、彼らをエジプトびとの手から救い出し、これをかの地から導き上って、良い広い地、乳と蜜の流れる地、すなわちカナンびと、ヘテびと、アモリびと、ペリジびと、ヒビびと、エブスびとのおる所に至らせようとしている。 3:9いまイスラエルの人々の叫びがわたしに届いた。わたしはまたエジプトびとが彼らをしえたげる、そのしえたげを見た。 3:10さあ、わたしは、あなたをパロにつかわして、わたしの民、イスラエルの人々をエジプトから導き出させよう」。

 3:11モーセは神に言った、「わたしは、いったい何者でしょう。わたしがパロのところへ行って、イスラエルの人々をエジプトから導き出すのでしょうか」。 3:12神は言われた、「わたしは必ずあなたと共にいる。これが、わたしのあなたをつかわしたしるしである。あなたが民をエジプトから導き出したとき、あなたがたはこの山で神に仕えるであろう」。

わたしは、あなたをつかわして、イスラエルの人々を導き出そう

モーセはミデヤンの地でその生涯を終えようと考えていたことでしょう。それがモーセの人生設計だったかもしれません。しかし、そのモーセに神は声をかけます。こういうことが人生にはあるでしょう。その時、あなたは自分の思い、自分の計画、自分の考えを中心にして生きますか、それとも神の言葉に従い、神の計画、神の思いに従って生きますか。神はモーセをつかわして、神ご自身の計画を進めようとされています。私たちがこの地上に生を受けたのは、自分のためではなく、神の計画のためであり、そこに生きることこそが人生の目的であり、本来生まれて来た理由なのです。神は私をどこにつかわし、何をしようとされているのでしょうか。私はその計画のすべてを知ることはできませんが、神に従うことこそが私の人生の目的であることを知っています。そのために私は今、生かされているのです。神の使命に生きようではありませんか。こんな素晴らしい人生があるでしょうか。

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目次
一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
七章 「子供の教育」
八章 「恋愛・結婚」

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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる

詳しくは書籍情報をご覧ください。

投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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