【日本とイスラエル】神を映す心

富士山頂からの初日の出

世界でも独特な「日本精神」はどこから来たものなのでしょうか。そのルーツは日本と古代イスラエルの関係にさかのぼることができます。久保有政氏のYouTube動画「清き明き心のルーツ:日本精神と聖書1」からご紹介いたします。

菅原道真とザアカイ

菅原道真の句にも、「海ならず たたへる水の底までも 清き心は 月ぞ照さむ」とある。海でなくても、深く満ちている水の底までも清いような心には、月の光が照らすという。清き明き心にこそ、神が宿るということだ。新約聖書をみてみると、かつて取税人の長であったザアカイは、イエス・キリストを家にお迎えして、会話しているうちに清き明き心に立ち帰った。そしてキリストの前で立ち上がって、「誰からでも私がだまし取った物は、四倍にして返します」と言った。彼が清き明き心に立ち帰ったとき、神が彼の心に住んでくださったのだ。

十字架につけられた二人の強盗

また、エルサレムのカルバリーの丘で、キリストの両側で十字架につけられた二人の強盗のうち一人は、最後まで、恨みつらみの言葉を言っていた。もう一人の強盗も途中まではそうだったが、キリストの神々しさに触れて、清き明き心に立ち帰って言った。「我々は自分のしたことの報いをうけているのだから、当たり前だ。・・・イエス様、あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思いだして下さい」。彼は清き明き心に立ち帰ったのである。そのときキリストは、彼にパラダイスを約束された。「イエスは、彼に言われた。『まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます』」(新約聖書ルカ福音書23章43節)

ヤマト心=清き明き心=ユダヤの心

信仰とは清き明き心なのだ。その清き明き心が、ヤマト心(大和心)でもある。・・・ヨセフ・アイデルバーグによると、「ヤマト」は「ヤハウェの民」という意味のヘブル語(ヤ・ウマト)から来ている。ヤマト心=清き明き心は、ユダヤの心であり、また日本の心である。この清き明き心が、古くから日本に伝わっていたとは、何と幸いなことだろうか。

清き明き心のルーツ

それはどこから来たのか。神社へ行って、宮司さんに、「清き明き心のルーツはどこにあるのですか」と聞いても、「いや、それは日本の古くからの伝統で、どこからと言ってもわかりません」と答えるに違いない。それほどに、これは日本人と一体なのである。しかし日本の伝統は、聖書を読むと、よくわかる。清き明き心のルーツは、聖書に違いない。古代日本に来たイスラエル人たち、また古代日本に来た東方キリスト教徒たちがもたらしたものだろう。(久保有政氏の解説からの引用は次回に続きます。)

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は、古代イスラエル系渡来人によってもたらされた日本の文化、伝統、習慣、信仰、国民性のルーツです。キリスト教の経典としてではなく、日本の原点を知るために聖書を読んでみてください。

旧約聖書 出エジプト記 5章1~9節

その後、モーセとアロンは行ってパロに言った、「イスラエルの神、主はこう言われる、『わたしの民を去らせ、荒野で、わたしのために祭をさせなさい』と。

パロは言った、「主とはいったい何者か。わたしがその声に聞き従ってイスラエルを去らせなければならないのか。わたしは主を知らない。またイスラエルを去らせはしない」。

彼らは言った、「ヘブルびとの神がわたしたちに現れました。どうか、わたしたちを三日の道のりほど荒野に行かせ、わたしたちの神、主に犠牲をささげさせてください。そうしなければ主は疫病か、つるぎをもって、わたしたちを悩まされるからです」。

エジプトの王は彼らに言った、「モーセとアロンよ、あなたがたは、なぜ民に働きをやめさせようとするのか。自分の労役につくがよい」。パロはまた言った、「見よ、今や土民の数は多い。しかも、あなたがたは彼らに労役を休ませようとするのか」。

その日、パロは民を追い使う者と、民のかしらたちに命じて言った、「あなたがたは、れんがを作るためのわらを、もはや、今までのように、この民に与えてはならない。彼らに自分で行って、わらを集めさせなさい。また前に作っていた、れんがの数どおりに彼らに作らせ、それを減らしてはならない。彼らはなまけ者だ。それだから、彼らは叫んで、『行ってわたしたちの神に犠牲をささげさせよ』と言うのだ。この人々の労役を重くして、働かせ、偽りの言葉に心を寄せさせぬようにしなさい」。

主とはいったい何者か

エジプト王パロは神をまったく知らないことが分かります。日本人であれば、「神」と言えば分かりますので、このように神を知らない人がいるということが驚きです。パロはアロンとモーセの申し出をまったく取り上げる気配はありません。むしろ怠けようとしていると受け止め、その労役を厳しくします。神を知らないとは、こういうことだと分かります。しかし、神がパロの心を頑なにするので、パロはイスラエルを行かせないと予めモーセに言っていました。この状況は神の計画通りであり、神を知らないパロもまた神の支配の中に置かれています。何も心配する必要はありません。ただ神を中心にして生きる。それは「清き明き心」であることを思います。

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目次
一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
七章 「子供の教育」
八章 「恋愛・結婚」

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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる

詳しくは書籍情報をご覧ください。

投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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