【日本とイスラエル】日本人の愛

東郷平八郎像

世界でも独特な「日本精神」はどこから来たものなのでしょうか。そのルーツは日本と古代イスラエルの関係にさかのぼることができます。久保有政氏のYouTube動画「清き明き心のルーツ:日本精神と聖書1」からご紹介いたします。

ロシア人捕虜への対応

日露戦争中のことだった。日本軍に捕まったロシア人捕虜の収容所が、四国の松山にあった。そこには約6000名のロシア人捕虜が収容されていた。そのとき、県は、「捕虜は罪人ではない。祖国のために奮闘して敗れた心情をくみとり、一時の敵愾心にかられて侮辱を与えるような行動はつつしむこと」と県民に訓告していた。この松山に来た捕虜の大半は、傷病兵だった。彼らに対し赤十字の医師や看護婦らは、懸命に治療と看護に当たった。手足を失った者には、当時の皇后陛下より、義手や義足が贈られた。

キリストの愛にも見えた

当時捕虜だったF・クブチンスキー氏は、日記にこう書き記した。「敵国でこのようなやさしい思いやりを予期したであろうか・・・。医師や看護婦の献身的な心配りは、真の人間愛の表れである。それは神聖にして不滅のもので、キリストの愛と名づけられるものである」。当時そこで看護に当たった医師や、看護婦たちは、古来日本に伝わる「清き明き心」に従って行動したのである。・・・「あなたがたの神、主は・・・かたよって愛することなく・・・在留異国人を愛してこれに食物と着物を与えられる」との聖書の御言葉が、「インナー・トーラー」として日本人の中で生きていたからである。

神から来たもの

当時、ロシア軍といえば、占領した地域を略奪し、強奪の限りを尽くした強盗のような野蛮な軍隊として恐れられていた。しかしそのロシア軍にいたロシア兵が、日本に捕らえられて、捕虜収容所でみた日本人たちの姿は、まったく別世界のものだった。キリストの愛を持っているように見えた。その秘訣は、清き明き心だったのである。これは神から来たものだといってよいだろう。(久保有政氏の解説からの引用は次回に続きます。)

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は、古代イスラエル系渡来人によってもたらされた日本の文化、伝統、習慣、信仰、国民性のルーツです。キリスト教の経典としてではなく、日本の原点を知るために聖書を読んでみてください。

旧約聖書 出エジプト記 5章10~21節

そこで民を追い使う者たちと、民のかしらたちは出て行って、民に言った、「パロはこう仰せられる、『あなたがたに、わらは与えない。自分で行って、見つかる所から、わらを取って来るがよい。しかし働きは少しも減らしてはならない』と」。

そこで民はエジプトの全地に散って、わらのかわりに、刈り株を集めた。追い使う者たちは、彼らをせき立てて言った、「わらがあった時と同じように、あなたがたの働きの、日ごとの分を仕上げなければならない」。

パロの追い使う者たちがイスラエルの人々の上にたてたかしらたちは、打たれて、「なぜ、あなたがたは、れんが作りの仕事を、きょうも、前のように仕上げないのか」と言われた。

そこで、イスラエルの人々のかしらたちはパロのところに行き、叫んで言った、「あなたはなぜ、しもべどもにこんなことをなさるんですか。しもべどもは、わらを与えられず、しかも彼らはわたしたちに、『れんがは作れ』と言うのです。その上、しもべどもは打たれています。罪はあなたの民にあるのです」。

パロは言った、「あなたがたは、なまけ者だ、なまけ者だ。それだから、『行って、主に犠牲をささげさせよ』と言うのだ。さあ、行って働きなさい。わらは与えないが、なおあなたがたは定めた数のれんがをおさめなければならない」。イスラエルの人々のかしらたちは、「れんがの日ごとの分を減らしてはならない」と言われたので、悪い事態になったことを知った。

彼らがパロを離れて出てきた時、彼らに会おうとして立っていたモーセとアロンに会ったので、彼らに言った、「主があなたがたをごらんになって、さばかれますように。あなたがたは、わたしたちをパロとその家来たちにきらわせ、つるぎを彼らの手に渡して、ころさせようとしておられるのです」。

わたしたちをころさせようとしている

わらは与えられず、れんがの数は減らしてはならない。本当にそんな命令をパロが出したのか。イスラエルの人々のかしらたちは直接パロに確認しに行きました。果たしてその通りでした。モーセとアロンがイスラエルの人々を荒野に行かせるようにとパロに言ったために、事態が悪くなったと彼らは受け止めました。彼らはモーセとアロンに会うと、彼らに不満をぶつけました。モーセとアロンは複雑な思いだったのではないでしょうか。イスラエルの人々をエジプトから救い出すために来たというのに、イスラエルの人々をさらに苦しめることになってしまいました。こんなことに誰が耐えられると言うのでしょうか。しかし、それでも神に従うのかということが求められています。神に信頼することが求められています。たとえ状況が悪くなったとしても、それは途中経過に過ぎません。神の最善の結果を信じて、待つことができるでしょうか。

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目次
一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる

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投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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