日本人、日本文化の素晴らしさ

国連の「国際犯罪被害者調査」の結果を見ると、日本の犯罪率は2005年時点で9.9%と、OECD加盟国の中ではスペインに次いで2番目に低いらしい。うち凶悪犯罪(殺人・強盗・強姦・暴行)の発生率は、いずれもOECD諸国中で最も低い。こうした統計から判断しても、日本は「世界で最も安全な国の一つ」と言える。また、少年の犯罪率を比較しても日本は最も低く、離婚率の低さも考え合わせると、日本の家庭の機能は国際的には比較的高いと言えると思う。

1549年、キリスト教の布教のために来日したフラシスコ・ザビエルは、日本について次のような報告をローマに書き送ったらしい。「まず第一に言うべきことは、今までの交際によって知り得た限りにおいて、この国民は、私が出会った民族の中で、最もすぐれている。・・・・日本人は一般的に良い資質を持ち、悪意がなく、交際して非常に感じが良い。彼らの名誉心は極めて強く、彼らにとって名誉にまさるものはない。日本人は概して貧しいが、武士も町人も貧乏を恥と考えている者はない。彼らには、キリスト教国民の持っていないと思われる特質がある。それは、たとえ武士がいかに貧しく、町人がいかに富裕であっても、貧しい武士も富豪と同様に平民から敬意を表されていることである。また武士がいかに貧しくとも、また財宝が山と積まれようとも、平民とは決して結婚しない。それにより自らの名誉が失われると思うからである。すなわち、金銀よりも名誉を尊重しているのである。日本人の交際には極めて多くの礼式がある。武器を尊び、武芸に達することを願っている。彼らは武士も平民も14歳になると皆大小の刀を帯びている。彼らは侮辱や嘲笑に耐え忍ぶことはできない。」

1979年にアメリカの社会学者でハーバード大学教授のエズラ・ヴォーゲル氏は、日本型経営によって高度成長がもたらされ、これからは日本の時代が訪れると予言した、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という書を著した。この書の中で氏は、勤勉で協調性の高い日本人の国民性、物造りにこだわる職人気質、学習意欲の高さと読書の習慣などを成功の要因として挙げている。

あるブログに「『ジャパン・クォリティ』を体感した日」という記事を見つけた。抜粋して紹介したい。「なぜ多くの外国人旅行客が日本を目指すのか。なぜ made in Japan をこぞって買い求めるのか。そこには「ジャパン・クォリティ(日本品質)」とも言うべき世界に類を見ない、我が国のサービスの神髄があるのだが、多くの日本人がそれに気づいていない。今日、私は自らジャパン・クォリティを体験した。・・・ほぼ徹夜で全日空ワシントンDC行きの機内に滑り込んだ私は離陸後すぐに眠りに落ちた。数時間たったろうか、ギャレー(機内の調理場)脇のトイレに立った時だ。CA(客室乗務員)の一人が声をかけて来た。「〇〇様でいらしゃいますか。」「はい、そうですが。」「お席の変更をリクエストされていらっしゃったと思うのですが、気づいた時には席を移動されていて、何かお気に障ることがあったのでは、と気にしておりました。」 そういえば離陸直前、学生に席を変わってくれと言われ、移動中に目が合ったCAに、「変わってくれと言われたので、こっちに動きます。」と言った覚えがあった。大したことではないし、それで事は済んだと思っていたのだが、そのCAは自分たちの落ち度で何か問題があったのでは、と思っていたらしい。正直、満席で座席変更は出来ないと言われていたので、このハプニングがなければ私は席の変更はできなかった訳だが、・・・問題はそこではない。このCAは何とかしたかったのだが、出来なかったことが申し訳なかったし、席を変わったのは何か嫌な思いをさせてしまったからではないか、と思いを馳せたところがすごい。正直、私もそこまで気にかけていたのかと驚いた。クレームが怖いからでしょ、と言ってしまえばそれまでだが、彼女の言葉からはそれ以上のものを感じた。それがジャパン・クォリティだと私は思う。どこまで相手の気持ちに寄り添うか。それが本質だ。本来、日本はそうした行動は当たり前だったように思う。席を譲る。困った人には声をかける。手を差し伸べる。「一日一善」という言葉もあった。CAの一言に深く感じ入った13時間半だった。”OMOTENASHI”とは、一朝一夕に身につくものではなく、2千年の我が国の歴史の中で培われたものなのだと感じ入った日であった。」

キリスト教国と言われる国よりも、むしろ日本の文化、伝統の中にこそキリストの精神、聖書の精神があるのではないかと感じるのは私だけでしょうか。このような日本の素晴らしさを無くさないようにして行きたいと感じます。