聖書はキリストの十字架と復活の話だということは知っているけど、それはキリスト教の話だから私とは関係ないと思われる方が多いのではないでしょうか。しかし、昨日も書きましたように、これはキリスト教の話という訳ではありません。キリスト教徒であろうとなかろうと、キリストの十字架と復活について正しく理解するならば、誰もが本当にしなやかな人生を送ることができるようになると思います。
以前にも書いたことがありますが、神様は正しくもない私たちを正しい者と受け入れてくださいます。それは神様の恵みであり、愛であると思います。大切なことは、私たちが神様をそのような恵み深いお方だと理解することです。目には見えませんが、そのような神様は確かにおられるということを信じて、頼ることです。それが信仰であり、何かの宗教団体の会員になることではないということをお伝えして来ました。
今日お伝えしたいことは、私たちは何を根拠に、神様が本当に正しくもない私たちを正しい者と受け入れてくださることを信じることができるのかということです。そのような恵み深い神様が本当におられるという証拠はどこにあるのかということです。実はそれがキリストの十字架と復活という出来事なのです。
昨日も書きましたようにキリストとは名前ではなく、救い主、つまり神様ということです。今から2千年前、神様が人となってこの地上に来てくださった。それがイエスという人だったと聖書には記されています。イエスという名前は「救い」という意味の名前のようですが、当時、ごく普通にあった名前のようです。だから「ナザレのイエス」、つまり、ナザレ村のイエスというような言い方をしないと、どこのイエスか分からないという、そういう状況だったようです。このイエスが神様、つまりキリストなんだというのが、イエス・キリストという言葉の意味です。
新約聖書の最初には、マタイの福音書、マルコの福音書、ルカの福音書、ヨハネの福音書という4つの福音書がありますが、いずれもイエス・キリストの生涯と十字架と復活の出来事について書かれています。詳しくは福音書をご自分で読まれることをお勧めいたしますが、神様が人となってこの地上に来てくださり、私たちが受けるべき罰を身代わりに十字架の上で受けてくださり、3日目によみがえることによって、これが本当に神様の働きだということを目に見える形で示してくださったというのが聖書の記録です。それは確かに超自然的な出来事ですが、だからこそ、これは神様でなければありえないという証拠だと私は思います。
これは単なる作り話ではなく、何かのたとえでもなく、事実の記録として聖書には記されています。ですから、聖書を普通に読むならば、これは事実だということだと思います。そうすると、私たちにとってぼんやりとしていた神様の存在が急に現実味を帯びて来るのではないでしょうか。歴史の中で、このように働きかけてくださった神様が、目には見えませんが、今も「神様」と呼びかければ、応えてくださる。それはどんなに大きな安心でしょうか。毎日、私が体験しているこの安心を、皆さんにもお伝えしたい。それが「日本人の信仰と聖書について考える会」を始めた目的の1つです。
私は失敗することがあります。不完全な自分に直面することがあります。もっと言えば、罪深い、決して正しくない自分。表面的には良い人の様に見えても、中身は決してそうではない。他人は知らなくても、自分は知っていると思います。以前なら、誰でもこのくらいのことは普通だとお茶を濁したり、自分をごまかしたり、時間の経過とともに忘れればいいと思ったかもしれません。酒で忘れるとか、やけ食いするという人もいるかもしれません。しかし、それは現実逃避であり、そこからは改善も成長も期待できないでしょう。それどころか、だんだんと荒れた生活になりかねません。
自分の弱さと向き合う勇気。それはどこから来るでしょうか。十字架と復活がその勇気を私に与えてくれます。神様は、私の弱さ、私の罪深さのため、本当は私が受けるべき罰を身代わりに受けてくださり、私は赦された。私は正しくない者であるにもかかわらず、十字架のゆえに神様は私を正しい者とみなしてくださる。その証拠に神様は3日目によみがえった。今も生きて私と一緒にいてくださる。そのことを本当に理解する時、この弱さはあっても大丈夫。私は罪深い者だけど、それは当たり前のこと。そのように自分を受け入れて、そこからまた立ち上がる力が与えられるのです。
これは宗教ではありません。キリスト教徒になるとか、ならないとか、そういうことではありません。ただ心に信じて生きるということです。そして、実は私たち日本人にとって、これは決して新しい信仰ではなく、これこそ日本人の信仰なのです。明日はそのことについて書きたいと思います。また、「日本人の信仰と聖書について考える会」ホームページにも掲載していますので、どうぞご覧ください。
今日もお読みくださってありがとうございます。