【日本とイスラエル】「誠」のルーツ

新撰組発祥の地

世界でも独特な「日本精神」はどこから来たものなのでしょうか。そのルーツは日本と古代イスラエルの関係にさかのぼることができます。久保有政氏のYouTube動画「武士道:日本精神と聖書2」からご紹介いたします。

最も大切な徳目

・・・「誠実」=「誠」の教えが、ユダヤでも日本でも、最重要の美徳とされてきたことは注目に値します。新撰組の羽織には大きく「誠」の文字が書かれていました。・・・「誠」は、日本人が最も尊んできた美徳です。それは日本神道の「清き明き心」を土台にして生まれた教えです。

「仁」

一方、中国をみてみると、孔子が現れて「仁」という徳を説きました。仁とは、相手の立場を重んじる心をいいます。相手の気持ちをおしはかる優しい心のことです。礼儀にさらに優しい心を加えることをいいます。これは愛に近いものと言っていいかもしれません。中国ではそのほか、約3千年にわたって、礼、義、廉(分別)、恥、忠孝、信義、平和などの徳目が存在しました。しかしそういう中でも、ついに「誠」という徳は生まれなかったのです。歴史家の黄文雄氏が、そういうことを書いています。

なぜなのか

中国では昔から、支配者も庶民も、一般に「誠」を無用の長物と考えてきた傾向があるのです。・・・現代の中国においても、「良心ある人は社会から疎外され、孤立する」という諺が生きているほどです。・・・良心的な生き方をする人、誠実な人は、この世では生きていけない、というのです。そして、生きていくために「ウソ」は当然のことと考えられてきた風潮があります。・・・ここでわかることは、「誠」を尊ぶ伝統は中国から渡ってきたものではない、ということです。

どこから来たのか

ユダヤ人の間でも古代イスラエル人の間でも、また日本人の間でも、「誠」の徳が非常に尊ばれてきました。これは根もとの所でつながっているからでしょう。誠を尊ぶ民族は決して滅びません。これは、同じ神から与えられた恵み以外の何ものでもないのです。(久保有政氏の解説からの引用は次回に続きます。)

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は、古代イスラエル系渡来人によってもたらされた日本の文化、伝統、習慣、信仰、国民性のルーツです。キリスト教の経典としてではなく、日本の原点を知るために聖書を読んでみてください。

旧約聖書 出エジプト記 8章20~32節

主はモーセに言われた、「あなたは朝早く起きてパロの前に立ちなさい。ちょうど彼は水のところに出ているから彼に言いなさい、

『主はこう仰せられる、「わたしの民を去らせて、わたしに仕えさせなさい。あなたがわたしの民を去らせないならば、わたしは、あなたとあなたの家来と、あなたの民とあなたの家とに、あぶの群れをつかわすであろう。エジプトびとの家々は、あぶの群れで満ち、彼らの踏む地もまた、そうなるであろう。その日わたしは、わたしの民の住むゴセンの地を区別して、そこにあぶの群れを入れないであろう。国の中でわたしが主であることをあなたが知るためである。わたしはわたしの民とあなたの民の間に区別をおく。このしるしは、あす起るであろう」と』」。

主はそのようにされたので、おびただしいあぶが、パロの家と、その家来の家と、エジプトの全国にはいってきて、地はあぶの群れのために害をうけた。

そこで、パロはモーセとアロンを召して言った、「あなたがたは行ってこの国の内で、あなたがたの神に犠牲をささげなさい」。

モーセは言った、「そうすることはできません。わたしたちはエジプトびとの忌むものを犠牲として、わたしたちの神、主にささげるからです。もし、エジプトびとの目の前で、彼らの忌むものを犠牲にささげるならば、彼らはわたしたちを石で打たないでしょうか。わたしたちは三日の道のりほど、荒野にはいって、わたしたちの神、主に犠牲をささげ、主がわたしたちに命じられるようにしなければなりません」。

パロは言った、「わたしはあなたがたを去らせ、荒野で、あなたがたの神、主に犠牲をささげさせよう。ただあまり遠くへ行ってはならない。わたしのために祈願しなさい」。

モーセは言った、「わたしはあなたのもとから出て行って主に祈願しましょう。あすあぶの群れがパロと、その家来と、その民から離れるでしょう。ただパロはまた欺いて、民が主に犠牲をささげに行くのをとめないようにしてください」。

こうしてモーセはパロのもとを出て、主に祈願したので、主はモーセの言葉のようにされた。すなわち、あぶの群れをパロと、その家来と、その民から取り去られたので、一つも残らなかった。しかしパロはこんどもまた、その心をかたくなにして民を去らせなかった。

わたしが主であることをあなたが知るためである

大量にあぶの群れが発生し、パロをはじめ、エジプトびとを苦しめる。しかし、イスラエルの人が住むゴセンにあぶは発生しない。これは偶然でも、自然でもなく、明らかに神によるものであることをパロに知らせるためである。この世界の、この宇宙の主、すなわち神が中心であり、すべての事象は神に支配されていることをパロに知らせるためである。すでに起こった災いのゆえに、パロも神が世界の主であると分かり始めていたようです。しかし、パロはそれでも自己中心、人間中心を退け、神に立ち返り、神に従おうとはしませんでした。災いはさらにパロとエジプトの上に降りかかることになります。神に立ち返らなければなりません。神を中心にし、神に従わなければなりません。それが人間本来の姿であり、人間の幸いです。これこそ太古の昔から日本人が大切にしてきた生き方です。

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目次
一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる

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投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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