日本人のモラルの高さにアラブ人感銘

「海外『素晴らしい国民性だ!』日本人のモラルの高さにアラブ人感銘」という記事をご紹介いたします。

日本を紹介するサウジアラビアのテレビ番組

サウジアラビアで放送されているテレビ番組「ハワーテル『改善』」から。『改善』は日本の社会の様々な良点を中心に紹介している番組で、映像の前半では、自分たちで清掃する小学生たちの姿が紹介されています。

テーマは日本人のモラルの高さ

後半は、公園のベンチで食事をしている人たちがちゃんとゴミを持ち帰る様子や、落としてしまったスナックを全部拾い集める様子など、日本人のモラルの高さにスポットが当てられた作りになっています。

以下は番組を見ての感想です

俺たちと日本人には差があるね。日本人の精神が成熟してるのには、何か秘密があるんだろう。(アルジェリア)

生徒は教師に学び、子供達は親に学ぶものなんだ・・・。だからこういった環境や教育、両親の倫理の高さが大切なわけで・・・。何て理想的な社会なんだろう。(サウジアラビア)

日本や北欧の国に行ってみると、イスラムに通じる精神があるのが分かるよ。イスラム教徒はいないんだけど。ウチラの国とは反対だな。もっと良い国にしていきたいものだ。(ヨルダン)

楽しかったよ。こういう光景は日本ならではのものだね。本当に素晴らしい国民性だ!(サウジアラビア)

結局、イスラムの教えと俺たちの行動には乖離があるんだよなぁ。(国籍不明)

自分たちと日本人のモラルの違いを見てると恥ずかしくなってくる。(エジプト)

本当に文明化された社会って、こういう事なんだろうね。(アラブ首長国連邦)

別世界の光景のようだ。神よ、我々をあの世界に導き給え。(アルジェリア)

日本人って実は、神に対する信仰心が篤いんじゃないか?(モロッコ)

彼女と一緒にこの番組を観てたんだけど、観終わった後に近くの店でトイレの清掃用具を買って来て、さっそく2人で掃除をしたのを思い出したよ。(サウジアラビア)

すごく参考になった。日本人の献身性を学べば、イスラム諸国ももっと活力のある国になるかもね。(イギリス在住)(記事からの引用は以上です。)

いかがでしたか

民族や文化が違ってもモラルについては普遍的な価値観というものがあり、日本人の国民性はアラブ人にも高く評価されていることが分かります。イスラムの理想を日本人の国民性に見出している方もいらっしゃるというのは面白いですね。宗教の違いに関わらず、神様は唯一であり、違いは神様を中心にしているのか、自己中心なのかということではないかと思います。

神様を中心とした価値観

日本人の国民性の中には神様を中心にする価値観が太古の昔から引き継がれていることを思わされます。今こそ、日本人がそのことを自覚して、神様を中心にして生きることが大切だと思います。それが日本人だけでなく、全人類にとって本当に幸いな生き方になると思います。

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書を読みましょう。聖書は神様を中心にして生きようとした人たちの記録であり、実は日本人の信仰、文化、伝統、風習、国民性のルーツでもあります。キリスト教の教典としてではなく、日本人として、神様を中心にして生きるために聖書を読んでいただきたいと思っています。

新約聖書 マタイの福音書 1章1~6節

アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図。アブラハムにイサクが生まれ、イサクにヤコブが生まれ、ヤコブにユダとその兄弟たちが生まれ、ユダに、タマルによってパレスとザラが生まれ、パレスにエスロンが生まれ、エスロンにアラムが生まれ、アラムにアミナダブが生まれ、アミナダブにナアソンが生まれ、ナアソンにサルモンが生まれ、サルモンに、ラハブによってボアズが生まれ、ボアズに、ルツによってオベデが生まれ、オベデにエッサイが生まれ、エッサイにダビデ王が生まれた。

イスラエル民族の系図

新約聖書と呼ばれる古い記録は全部で27巻の書物から成っています。その一番最初にあるのが「マタイの福音書」と呼ばれる書物です。それはイスラエル民族の系図から始まります。「ヤコブ」という人が、後にイスラエルという名前で呼ばれるようになります。その子に「ユダとその兄弟が生まれ」とありますが、イスラエルの12部族はその兄弟から始まります。ユダヤ人というのは、ユダの子孫という意味でもあります。

イエス・キリスト

以前にも書きましたが、「イエス・キリスト」はギリシヤ語ですが、イスラエル民族の言葉であるヘブライ語では「イェシュア・メシヤ」と言います。「イェシュア」という名前は「神は救い」という意味の、イスラエルでは普通の名前だったようです。

イェシュア・メシヤ

「メシヤ」とは、旧約聖書に預言された「救い主」のことで、本来の意味は「神様から油注がれ、特別に聖められた者」というような意味です。「マタイの福音書」は、この「イェシュア」という人こそ旧約聖書が預言していた「メシヤ」であるということを言おうとしているのだと思います。それは私たち日本人にはピンと来ませんが、ユダヤ人にとっては重大な問題だったのだと思います。

これはイェシュアの系図なのか

メシヤはイスラエル民族に、ダビデ王の子孫として生まれると旧約聖書には預言されています。しかし、この系図にはタマル、ラハブ、ルツ、ウリヤの妻という4人の女性が出てきます。普通、ユダヤ人の系図に女性は含まれないそうです。この系図は何だろうとユダヤ人なら思うところなのだと思います。

イエスはこの系図には生まれなかったことを示す

メシヤニック・ジュー(イエスをメシヤとして受け入れたユダヤ人)の聖書学者であるアーノルド・フルクテンバウム博士は、この系図は、イェシュアはこの系図には生まれなかったということを示すことが目的だと言っています。どういうことでしょうか。そのことについては明日書きたいと思います。

いかがでしたか

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