【日本とイスラエル】八紘一宇と聖書

聖徳太子

人種平等を世界で最初に訴えたのは日本なのです。聖書の教えである人種平等が、なぜ日本人の間に脈々と流れてきたのか。そのルーツは日本と古代イスラエルの関係にさかのぼることができます。久保有政氏のYouTube動画「人種平等を世界に実現した日本:日本精神と聖書3」からご紹介いたします。

日本の歴史の初めから

歴史的にみても、日本は古来「人種平等」という、世界にまれに見る思想を持った国でした。初代天皇であった神武天皇は、「八紘一宇」ということを述べました。八紘とは、四方八方、地の果て果てまでの意味で、全世界を表わします。一宇の宇とは屋根のこと、一宇は一つの屋根のことです。世界は一つの屋根のもとにある家族なんだということです。

普遍的同胞愛

「世界は一家、人類はみな兄弟」ということです。ですからこの八紘一宇は、東京裁判等でもUniversal Brotherhood=普遍的同胞愛と訳されました。そののち、6~7世紀にあの聖徳太子(厩戸皇子)も、中国と対等外交をしました。当時中国は、自分の国が一番偉い、中国から遠ざかるほど劣った国だといって、えばっていました。中国は一種の人種差別的、民族差別的考えの持ち主だったわけですが、聖徳太子はその中国に対しても媚びへつらわなかった。むしろ「私たちは同じですね」という対等外交をしました。

四海同胞

また、近代になって明治天皇は、これらの思想を受け継いで「四海同胞」ということばを述べました。東西南北の4つの海のかなたの国々は、みな同胞だという思想です。昭和天皇も、この明治天皇の「四海同胞」という言葉を受け継いで和歌をつくりました。

なぜ日本だけが

日本にはこういう伝統がありました。それで、国際政治の舞台で世界で初めて、「人種平等」を訴える国となったのです。かつては西欧人も、中国人も、また世界の多くの民族が、昔から自分たちの民族だけが偉いと言っていました。しかしなぜ日本人だけが、「人種平等」という観念を強く持っていたのでしょうか。(久保有政氏の解説からの引用は次回に続きます。)

聖書を読みましょう

人種平等の観念は、古代イスラエル系渡来人によってもたらされた日本の文化、伝統、習慣、信仰、国民性に遡ることができると考えられます。キリスト教の経典としてではなく、日本の原点を知るために聖書を読んでみてください。

旧約聖書 出エジプト記 9章22~35節

9:22主はモーセに言われた、「あなたの手を天にむかってさし伸べ、エジプトの全国にわたって、エジプトの地にいる人と獣と畑のすべての青物の上に雹を降らせなさい」。 9:23モーセが天にむかってつえをさし伸べると、主は雷と雹をおくられ、火は地にむかって、はせ下った。こうして主は、雹をエジプトの地に降らされた。 9:24そして雹が降り、雹の間に火がひらめき渡った。雹は恐ろしく大きく、エジプト全国には、国をなしてこのかた、かつてないものであった。 9:25雹はエジプト全国にわたって、すべて畑にいる人と獣を打った。雹はまた畑のすべての青物を打ち、野のもろもろの木を折り砕いた。 9:26ただイスラエルの人々のいたゴセンの地には、雹が降らなかった。

9:27そこで、パロは人をつかわし、モーセとアロンを召して言った、「わたしはこんどは罪を犯した。主は正しく、わたしと、わたしの民は悪い。 9:28主に祈願してください。この雷と雹はもうじゅうぶんです。わたしはあなたがたを去らせます。もはやとどまらなくてもよろしい」。

 9:29モーセは彼に言った、「わたしは町を出ると、すぐ、主にむかってわたしの手を伸べひろげます。すると雷はやみ、雹はもはや降らなくなり、あなたは、地が主のものであることを知られましょう。 9:30しかし、あなたとあなたの家来たちは、なお、神なる主を恐れないことを、わたしは知っています」。 

9:31――亜麻と大麦は打ち倒された。大麦は穂を出し、亜麻は花が咲いていたからである。 9:32小麦とスペルタ麦はおくてであるため打ち倒されなかった。―― 

9:33モーセはパロのもとを去り、町を出て、主にむかって手を伸べひろげたので、雷と雹はやみ、雨は地に降らなくなった。 9:34ところがパロは雨と雹と雷がやんだのを見て、またも罪を犯し、心をかたくなにした。彼も家来も、そうであった。 9:35すなわちパロは心をかたくなにし、主がモーセによって語られたように、イスラエルの人々を去らせなかった。

またも罪を犯した

パロは、この災いは神によるものだと分かっていたようです。しかし、それでもパロは神を恐れないとモーセは言っています。この世界は神に支配されていると知っていることと、神を恐れ、神に従う生活をすることとは別のことであることが分かります。ただ神を信じればいいということではなく、自己中心、人間中心を退け、神に立ち返り、神を恐れ、神に従う生活をすることが重要なのです。神を恐れないこと、それが「罪」であると聖書は言っています。

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目次
一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる

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投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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