【日本人と日本文化】クルトワジーとオリジナリテ

「日本と日本人について考えるとき、その資質を表す幾つかの単語が浮かんできます。」と語るのは、日本在住43年のフランス人、スヴェトラーナ・シャルコフさん。加藤恭子編「続・私は日本のここが好き!外国人43人が深く語る」からご紹介いたします。

まず〝クルトワジー〟(courtoisie)

礼儀正しさ、上品さ、寛大さというか、つまり他人への思いやりなどです。フランス人の場合、多くのことがその人のその日の機嫌というか、気分にかかっています。気分のよい日は人にも快活で親切になるけれども、わるい日にはそうではない。でも日本人は、そうでない日でも自分中心ではなく、他の人のことを考え、丁寧に、快く応対する。この優雅さは、一部の人だけのものではありません。学生も、町を行く人も、店員も、誰でも、どこでも、〝クルトワジー〟をもっているのです。

次の単語は、〝オリジナリテ〟(originalite)

独創性です。長年鎖国をした日本は、独自の文化を保存することができたのです。まず、季節。フランスにも、もちろん季節はあります。でも日本では、季節の感覚が日常生活にあふれているのです。年賀状だけでなく、暑中見舞や寒中見舞、ふつうの手紙も季節の挨拶ではじまったり、〝手紙文化〟の中でも、年中行事も、祭りも、すべてが、季節の影響。季節の〝祝祭〟です。

それから、和紙

日本は、紙の宝庫です。フランソワーズ・ペローという紙の愛好家が、『日本の紙』と題したすばらしい本を出しましたよ。手帖でも、葉書でも、便箋、封筒など、日本の紙は全部好き。色合い、触ったときの感じ、それに音も。一枚の和紙を人さし指と親指ではさんで、耳もとに近づける。そして静かに両指でこするのです。かすかな音がします。それが何とも言えない。

布も、まったく同じ

絹、木綿、そう、手拭いの独創性、藍染めも大好きです。織り方も染め方、ししゅうも多彩だし、膨大な量の刺激が、日本の布からは押し寄せるのです。陶芸も、私が説明する必要もないほどの多彩さ。侘び寂の美的感覚。西欧では、客用と日常用の皿を分けるくらいだけれど、ここでは料理によって選ぶ。鋭い美的感覚が示されます。

日本人はあまり気付いていないのでは

伝統のよさ、そして生活のあちこちに溢れる美学に、日本人はあまり気付いていないのではと思うこともあります。物が美しさを秘めているのです。大して重要にも思われない、ごく小さな物でも、とても興味深い。例えば人にお金を渡すとき、現金を手渡ししないで、小さな袋にそっと入れたりするでしょ。・・・私は日本に住んでいます。〝クルトワジー〟と〝オリジナリテ〟に溢れた文化と人に囲まれて・・・。(本からの引用は以上です。)

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。このような日本人の繊細な感覚、心遣いは聖書に関係しています。聖書は日本人の国民性のルーツです。キリスト教の教典としてではなく、日本人として聖書を読んでみてください。

新約聖書 マタイによる福音書 14章13~21節

イエスはこのことを聞くと、舟に乗ってそこを去り、自分ひとりで寂しい所へ行かれた。しかし、群衆はそれと聞いて、町々から徒歩であとを追ってきた。イエスは舟から上がって、大ぜいの群衆をごらんになり、彼らを深くあわれんで、そのうちの病人たちをおいやしになった。

夕方になったので、弟子たちがイエスのもとにきて言った、「ここは寂しい所でもあり、もう時もおそくなりました。群衆を解散させ、めいめいで食物を買いに、村々へ行かせてください」。

するとイエスは言われた、「彼らが出かけて行くには及ばない。あなたがたの手で食物をやりなさい」。弟子たちは言った、「わたしたちはここに、パン五つと魚二ひきしか持っていません」。

イエスは言われた、「それをここに持ってきなさい」。そして群衆に命じて、草の上にすわらせ、五つのパンと二ひきの魚とを手に取り、天を仰いでそれを祝福し、パンをさいて弟子たちに渡された。弟子たちはそれを群衆に与えた。

みんなの者は食べて満腹した。パンくずの残りを集めると、十二のかごにいっぱいになった。食べた者は、女と子供とを除いて、おおよそ五千人であった。

驚くべき出来事

そんなことが本当にあったのでしょうか。これは事実の記録なのでしょうか。少なくとも、何かのたとえ話だとは書いてありませんので、聖書は事実の記録として記しているのでしょう。そうであるとすれば、これは普通の出来事ではありません。明らかにイエスを通して神の超自然的な力が働いていたことを示す記録だと思います。

弟子たちも驚いた

「あなたがたの手で食物をやりなさい」とイエスに言われて、弟子たちは「はい。分かりました。」とは言っていません。パン五つと魚二ひきしかないと言っています。しかし、イエスの手からパンと魚を受け取り、群衆に配ると、全員満腹して、なお余ったのです。

神を中心にする

ある意味、神を中心にして生きるとは、人間の常識を超える出来事だと思います。人間的にはあり得ないことであったとしても、神には可能でしょう。人間の考えを中心にするのではなく、神を中心にするとは、そのような神の力を期待することでもあると思います。絶望はありません。

いかがでしたか

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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる

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