人間関係を難しくする依存性を解決するたった1つのこと

他人からどう思われているんだろう?

木曜日のテーマは「人間関係」です。昔と違って、今は顔と顔とを合わせての人間関係だけでなく、メールやLINEなどもあるので、ますます人間関係が難しい、疲れるという方も多いのではないでしょうか。他人からどう思われているだろうということが中心になってしまうと、自分ではコントロールできませんので、いつも不安で疲れてしまうということになると思います。自分で出来ることと出来ないこととをはっきりと区別して、出来ないことについて悩むことは止めるべきだと思います。

人間関係が難しいと感じるのは依存的だから

そのためには安心の根拠を他人ではなく、自分に置く必要があると思います。他人から受け入れられることに安心の根拠を置いていると、いつも不安に振り回されてしまうことになります。そう、実は人間関係が難しい、疲れるのは他人に依存的だからではないでしょうか。性格的に自立的で、他人に依存的ではなく、我が道を行くというタイプの人もいると思いますが、大切なことは神様の前に安心の根拠を置けば揺るぎないと思います。

神様を意識できると依存的でなくなります

神様は時代を超え、国を超えた絶対的な権威者ですから、神様の前に安心の根拠を明確に持つことができれば、それほど他人に依存する必要はなくなってくると思います。それは何かの宗教をやることではありません。神様を意識することです。そのために「日本人の信仰と聖書について考える会」では、毎日時間を決めて神様を意識して祈り、聖書を読むことを勧めています。

人からの評価より神様の評価を意識する

そのようにして神様をより意識することができるようになり、神様を中心とした生活ができるようになってくると、それほど人からの評価は気にならなくなり、それに振り回されることも少なくなってくると思います。なぜなら、人間は最終的には人からの評価ではなく、神様の前にどう生きたかということが問われるからです。それがはっきりと自分にとっても大切な価値観になってくれば、人間の評価という不安は薄れて見えるようになると思います。

神様の前に自立することが対人関係の基本になる

もちろん、自分の側から言えば、困っている人がいれば助けてあげるべきだと思いますが、それは嫌われたくないからという不安が動機ではありません。人からの評価という不安が行動の動機になっていると、同じ行動でも疲れて来て、人間関係は難しいと感じるようになってしまうと思います。人間関係の基本は、実は神様の前に自分をしっかりと確立させる点にあることを知っていただきたいと思います。それでは今日も神様を中心とした生活の参考にしていただくために、聖書の続きを読んで私が考えたことを書いてみたいと思います。

新約聖書 ルカの福音書14章12~14節

また、イエスは、自分を招いてくれた人にも、こう話された。「昼食や夕食のふるまいをするなら、友人、兄弟、親族、近所の金持ちなどを呼んではいけません。でないと、今度は彼らがあなたを招いて、お返しをすることになるからです。祝宴を催す場合には、むしろ、貧しい者、からだの不自由な者、足のなえた者、盲人たちを招きなさい。その人たちはお返しができないので、あなたは幸いです。義人の復活のときお返しを受けるからです。」

神様の評価を意識して生きる

私たちが人からの評価よりも、神様の評価を意識するようになると、私たちの人生の質が全く変わってくると思います。だから、イエスはいつも人ではなく、神様を意識し、神様を中心にして生きるようにと教えたと私は思います。人からの評価はせいぜい生きている間だけでしょう。いや、人の心は移ろいやすく、生きている間の保証もない不安定なものだと思います。ある時期は高い評価を得られたとしても、もちろん、そこに永遠の価値はないと思います。

神様の前に価値ある行為とは何か

でも、神様からの評価は、人からの評価とは違って永遠です。友人、兄弟、親族、近所の金持ちを絶対食事に招いてはいけないということでもないと思いますが、お返しされてしまえば、それは人間と人間の間の出来事でしかありません。お返しができない人を敢えて招いて食事をふるまうことは、人間的な損得を考えていたら出来ないことでしょう。何のメリットがあるのかという考え方に流されてはならないと思います。それは神様の前に価値のあることだとイエスは教えたのだと思います。それは立派なのではなく、幸いだとイエスは言いました。

それは日本人の生き様ではないか

イエスは見返りを求めない行為は立派だと教えたのではなく、神様の評価を意識して生きる人は幸いだと教えたのだと思います。「義人の復活のときお返しを受ける」とイエスは言いました。「義人」とは、そのように神様を意識し、単なる損得ではなく、神様の前に正しく生きようとする人ということではないでしょうか。私たち人間はみんな死んで終わりではなく、復活する時が来て、その時に神様からお返しを受けることになる。人からのお返しではなく、神様からのお返しを受ける方が幸せだとイエスは教えたのだと思います。それは私たち日本人の本来の生き様ではないかと私は思っています。