目的と手段
何事も目的と手段を混同しないで、区別して考えることが重要だと思います。結婚は目的なのでしょうか、それとも手段でしょうか。多くの人生相談などを見て、その回答を見てみると、質問者も回答者も結婚を目的と考えているものが殆どのように感じました。しかし、このブログでは何度か書いてきましたが、私は結婚は目的ではないと思っています。
結婚は目的なのか
確かに結婚は目的に限りなく近いようにも思います。それを目的としてしまうのも無理はないと思います。でも、そう考えると、結婚が成功すれば良い人生だった、失敗すれば人生も失敗だったということになってしまうと思います。私たちの人生には結婚とは別に目的があると思います。それは私たちを造られた神様の中にあります。それぞれが神様の前に良い人生を送るために夫婦は協力したり、助け合ったりするものだと私は思いますが、いかがでしょうか。
何のための結婚なのか
夫婦が人生の目的を共有することができるなら、お互いにそのためのパートナーとして夫婦は強い団結力で結ばれると思いますが、目的が明確でなければ結婚を続ける理由そのものが分からなくなってしまうこともあるのではないでしょうか。目的を確認することが大切ではないでしょうか。
目的と手段をふまえた上で
その上で、良い協力関係を継続させるために気を付ける事はあると思います。そういう観点から、もう一度人生相談とその回答をみれば、参考になることがあると思います。「幸せのホームページ」というサイトから「パートナーを愛すること」というコラムを以下に一部ご紹介したいと思います。このように書かれていました。
人を幸せにする
私は、5つの『幸せになる方法』の1つとして、「人を幸せにする」ことを入れています。「愛される」のは人しだい、「愛する」のは自分しだい、だと思います。自分が幸せになる方法としては、「愛する」ほうがいいのです。幸せになる方法として「愛する」ために何をすればいいかを表現したのが「人を幸せにする」ということです。
相手を幸せにすることが自分の幸せ
幸せになるために「人を幸せにする」ことの、いちばんのポイントは、相手を幸せにすることが自分の幸せだと思えることです。そう心から思えない人は、どうしてもどこかムリをすることになってしまいます。そうするといつしか、疲れてしまったり、「こんなに尽くしているのに」「これだけ貢いだのに」などと考えてしまうのではないでしょうか。
パートナーを幸せにする
最初から「人を幸せにする幸せ」を(頭ではなく心で)理解するのは難しい人もいるような気がします。やはり、実際にやってみて幸せを感じてみるのが何よりだと思います。そういう意味の相手としてはパートナーがいちばんでしょう。自分がパートナーの幸せを考えて(そのこと自体も幸せなこと)やったことで、パートナーがよろこんでくれたり少しでも幸せになってくれたら、これはすごく幸せなことだと思いませんか?それを意識して試してみればいいと思います。(サイトからの引用は以上です。)
それは神様の思いにかなうこと
人を幸せにすることを自分の幸せとする。それは神様の思いにかなうことだと私は思います。自分のことしか考えず、人を幸せにしようとしない人は自分も幸せを実感できないだろうと思います。私たちはそのように造られていると思います。パートナーの幸せを考えることは人生の目的となり得ることだと思います。それでは今日も聖書の続きを読んで、神様の願いに思いを向けましょう。
新約聖書 使徒の働き 2章14~21節
そこで、ペテロは十一人とともに立って、声を張り上げ、人々にはっきりとこう言った。「ユダヤの人々、ならびにエルサレムに住むすべての人々。あなたがたに知っていただきたいことがあります。どうか、私のことばに耳を貸してください。
今は朝の九時ですから、あなたがたの思っているようにこの人たちは酔っているのではありません。これは、預言者ヨエルによって語られた事です。『神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。
その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。また、わたしは、上は天に不思議なわざを示し、下は地にしるしを示す。それは、血と火と立ち上る煙である。主の大いなる輝かしい日が来る前に、太陽はやみとなり、月は血に変わる。しかし、主の名を呼ぶ者は、みな救われる。』
ヨエルの預言が実現した
ペテロはイエスの12人の使徒の筆頭でした。預言者ヨエルによって語られた事とは、旧約聖書に記されているヨエルの預言です。世の終わりに、神様の霊がすべての人々の上にくだり、神様の言葉を語るようになる。今、ここにそれが実現したということをペテロは言っているのだと思います。
救いは神様を中心とした生活をする者にある
主の大いなる輝かしい日とは、神様の国が来るということを言っているのかもしれません。その前には何か天変地異のような事が起こるのかもしれません。でも、大切なことは「主の名を呼ぶ者は、みな救われる」ということではないでしょうか。つまり、神様を中心とした生活をする者に救いはあるということを言っているのではないかと思います。
神様を中心とした生活をしましょう
たとえどのような時代になろうとも、状況がどう変わろうとも、いつも神様を中心とした生活をすることを心に留めているなら大丈夫ということではないでしょうか。