日本人の信仰と宗教

宗教情報センターのウェブサイトより

2011年3月11日の東日本大震災の際、欧米や中国、韓国のメディアは日本人の冷静さを称賛とともに報道した。被災地で略奪や暴動が起きなかったこと、被災者が支援物資を配る列に忍耐強く並ぶことなどは、彼らにとってニュースにする価値のある驚くべきものであった。欧米メディアを中心に、この日本人の美徳の背景に宗教を見出すレポートが見られた。宗教情報センターのウェブサイトからご紹介いたします。

日本人の冷静さの背景に宗教の影響

アメリカのテレビ局ABCでは、被災者が協力して瓦礫を取り除いたことや避難所でさえゴミ分別の規則を守ることを「一体」というキーワードで括り、「日本では神道、仏教、そして儒教が『自分のことを考えるときには地域社会についても考えるように』と教えています」と紹介している。

フランスのテレビ局F2は、「なぜ日本人は冷静なのか」という特集を放送した。フランス国立科学研究センターの社会学者ジャン=フランソワ・サブレは「日本人は悲観的でない運命論者」で「自然の力を崇拝する神道が教えるところの態度」であろうと分析した。そして、西洋では人間は自然の主人とされるが、日本では人間は自然の一部なのだと解説した。

フランスの『ル・モンド』紙は、不可避の出来事を冷静に受け止めることができるのは「信者であろうとなかろうと、仏教の教えが日本人の心情にしみ込んでいる」からと推論する。アニミズム的な神道の影響で、世界は人間の理解を超えた力によって動かされるという考えが土台にあった日本に、仏教の「諸行無常」の考えが浸透しているからだという。

このような分析が正しいか否かは別にしても、多くの欧米メディアが日本人の冷静さの理由として宗教を挙げ、日本人の7割超が「宗教を信じていない」と答える現在でも、神道や仏教が日本人の心に染み込んでいることを示し、宗教が日本人の美徳を形成したといっているのである。

今回のような海外からの指摘は、意識せずに行っていることや当たり前のように思っている考え方が、実は宗教の恩恵なのであるということに改めて気付かされる良い機会となるだろう。(以上、宗教情報センターのウェブサイトより引用。)

それは神様を中心とした生活によってもたらされた

それは日本人の良識、常識であり、比較的多くの日本人に共有されている意識によると私は思います。確かにそれは日本人の信仰に基づくものだと私も思いますが、その信仰は、イスラエル系渡来人やイエスの弟子たちの末裔である秦氏などによってもたらされたものだろうと私は考えています。それは自分さえ良ければ良いとする自己中心的な生き方ではなく、神様の倫理を中心として生きる生き方によるものだと思います。

神様を中心とした生活を意識しましょう

欧米の価値観に流されないで、この日本人が太古の昔から大切にして来た神様を中心とした生活を、今一度、全ての日本人が強く意識することが大切ではないかと私は思っています。それでは今日も聖書の続きを読んで、神様に思いを向けたいと思います。

新約聖書 使徒の働き 1章1~11節

テオピロよ。私は前の書で、イエスが行い始め、教え始められたすべてのことについて書き、お選びになった使徒たちに聖霊によって命じてから、天に上げられた日のことにまで及びました。イエスは苦しみを受けた後、四十日の間、彼らに現れて、神の国のことを語り、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された。

彼らといっしょにいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」

そこで、彼らは、いっしょに集まったとき、イエスにこう尋ねた。「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。」 イエスは言われた。「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父がご自分の権威をもってお定めになっています。

しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」 こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。

イエスが上って行かれるとき、弟子たちは天を見つめていた。すると、見よ、白い衣を着た人がふたり、彼らのそばに立っていた。そして、こう言った。「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。」

聖霊のバプテスマ

「ルカの福音書」が読み終わりましたので、今日から「使徒の働き」を読みましょう。よみがえったイエスは40日にわたって、使徒と呼ばれるイエスの12人の弟子たちに、ご自分が生きていることを示されました。そして、間もなく「聖霊によるバプテスマ」を受けるから、エルサレムに留まっているようにと言われました。

力を受けて、証人となる

「聖霊」」とは、神様の霊のことだと思います。「バプテスマ」とは水に浸す洗礼のことですから、神様の霊に浸かるというような意味ではないでしょうか。そうすると、あなたがたは力を受けて、エルサレムから始まって、サマリヤの全土、地の果てに至るまで、イエスの証人になる。つまり、神様を中心とした生活である神の国こそすべての問題の解決であるということの証人となるということではないでしょうか。

イエスは雲に包まれて見えなくなった

そして、不思議なことに、イエスのからだは彼らが見ている間に上げられて、見えなくなったとあります。これは事実の記録なのでしょうか。そうであれば、これは神様の力による超自然的な出来事だと思います。ふたりの御使いが、イエスは再び空から帰ってくると言ったと記録されています。

聖霊の力とは説明ではなく体験

「力」とは説明ではなく体験だと思います。神様を中心にした時にすべての問題に解決が与えられるというのは、単なる説明ではなく、実際にそのようにした人が体験する力だと思います。太古の昔から日本人はこのような力を体験して生きて来たのだと思います。日本人の高い倫理観は単なる教えではなく、このような生きて働く神様の力だと私は思います。神様を中心として生活して、その力を体験していただきたいと思います。