八幡神(やはたのかみ)はユダヤの神

「八幡神」と「ユダヤの神」の共通点

神道の神社は日本全国に約十一万あるといわれています。その中で最も多いのが稲荷神社で、次いで多いのが八幡神(やはたのかみ)を祀る八幡(はちまん)神社だそうです。今日は坂東誠著「秦氏の謎とユダヤ人渡来伝説」から、八幡神とユダヤの神の共通点について抜粋してお伝えします。

イスラエル系渡来人の秦氏の神様

八幡神の神社で最も古いのは宇佐八幡である。・・・この宇佐地方は、多くの渡来人が住み着いた場所でもあり、多くの秦氏の人々が定住した場所でもあった。その宇佐八幡の起源は、そこからすぐ北側にある薦(こも)神社の御澄池(みすみいけ)である。八幡信仰はその昔、この御澄池にヤハタの神が現れた、という伝説から始まった。

私こそがヤハタの神である

昔、御澄池のきれいに澄んだ水の中から美しい幼い男子が姿を現し、池の岸辺に生えていた薦草(こもぐさ)の上に立ち、こう告げた。
「私こそがヤハタの神である。私のために薦草で方舟(はこぶね)を作り、御神体とせよ!」

八幡神社の御神体

この時以来、この神社では湖畔に生えている薦草を刈り取って、方舟を作り、これを宇佐八幡等に御神体として奉納してきたのだ。

モーセの誕生

この伝説はユダヤ教の教典「トラーの巻物」に出てくる、ユダヤ人の指導者モーセの誕生の記事を思わせる内容である。・・・エジプトに寄留していたユダヤ人を迫害するために、エジプトの王はユダヤ人のすべての男子の赤ん坊を殺すように命じた。

方舟に入れナイル川へ

ところが、モーセの母親はわが子を殺すことができず隠した。やがて隠しきれないことを知った母親は、パピルスで編んだかごを作り、それを方舟にしてモーセを入れると、ナイル川に浮かべて流したのだ。

エジプトからイスラエルを救った英雄モーセ

そこに丁度、エジプト王の娘が水浴びにやって来て、方舟に入ったモーセを見つけ、かわいそうに思って王家で引き取って育てた。やがてモーセは育ち、エジプトから同胞を救い出すという、ユダヤ人なら誰もが知っている偉業を成し遂げる。

秦氏の神はモーセの神

まさにユダヤ人にとってはパピルスで作った方舟といえば、民族の英雄が救われたこの奇跡を思い出すのだ。だから佐伯好郎教授のように、秦氏がユダヤ人であったとすれば、この地域に住むユダヤ人たちが、モーセの神であるイェホバを記念し、祀ったと考えてもおかしくない。

「ヤハタ」とは「ヤェフダー(ユダヤ)」

また、この宇佐八幡宮の元宮があった綾幡(あやはた)郷は、秦氏の一族の古い居住地であった。そのため、隋書に出てくる秦王国があったのは、この宇佐地方ではないかといわれている。この「ヤハダ(綾幡)」は、「ユダヤ」を表すヘブライ語「ヤェフダー」のことではないかといわれている。(本からの引用はここまで)

ユダヤ人の神様も日本人の神様も同じ神様

このように日本中に広がる八幡神社の神様は「ユダヤの神様」だとすれば、日本人の神様の起源は聖書にさかのぼることができると思います。言うまでもなく、天地万物をお造りになった神様は唯一ですから、何か特定の宗教の神様でないのは当然のことだと思います。ユダヤ人の神様も日本人の神様も同じ神様だと私は思います。

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。

新約聖書 使徒の働き 14章19~28節

ところが、アンテオケとイコニオムからユダヤ人たちが来て、群衆を抱き込み、パウロを石打ちにし、死んだものと思って、町の外に引きずり出した。しかし、弟子たちがパウロを取り囲んでいると、彼は立ち上がって町に入って行った。

その翌日、彼はバルナバとともにデルベに向かった。彼らはその町で福音を宣べ、多くの人を弟子としてから、ルステラとイコニオムとアンテオケとに引き返して、弟子たちの心を強め、この信仰にしっかりとどまるように勧め、「私たちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なければならない」と言った。

また、彼らのために教会ごとに長老たちを選び、断食をして祈って後、彼らをその信じていた主にゆだねた。

ふたりはピシデヤを通ってパンフリヤに着き、ペルガでみことばを語ってから、アタリヤに下り、そこから船でアンテオケに帰った。そこは、彼らがいま成し遂げた働きのために、以前神の恵みにゆだねられて送り出された所であった。

そこに着くと、教会の人々を集め、神が彼らとともにいて行われたすべてのことと、異邦人に信仰の門を開いてくださったこととを報告した。そして、彼らはかなり長い期間を弟子たちとともに過ごした。

多くの異邦人も神様を中心に生きるようになった

これらの記録から分かることは、アンテオケの教会から送り出されたパウロとバルナバによって伝えられたメッセージを聞いた人々は、ユダヤ人だけでなく多くの異邦人も神様を中心として生きるようになったということだと思います。

一部のユダヤ人からは敵視された

そのような人たちは教会を形成し、弟子たちのグループが拡大していった様子も伺えます。そのような動きは新しい宗教として受け止められ、一部のユダヤ人からは敵視されるようになったようです。

それは一つの歴史的な事実なのかもしれません

こうして、イエスによって始められ、完成された「神の国」の働きは、ユダヤ人だけでなく異邦人にも広がっていったということでしょう。一部のユダヤ人には反対されましたが、異邦人にはむしろ歓迎されたようです。やがてこのメッセージはローマにも届き、キリスト教として西欧世界に広がって行くことになります。

大切なことは神様を中心にして生きること

キリスト教の拡大によって、多くの人々が神様を中心に生きるようになったことは歴史上の一つの事実だと思います。その功績は否定されるものではないと思います。しかし、大切なことは本来キリスト教徒になることではなく、神様を中心として生きることだと私は思います。その本質を忘れないようにしなければならないと思います。

日々、神様を中心に決断し、行動する

ユダヤ人がイエスをメシヤと信じて神様に立ち返ってもクリスチャンにはならないように、私たち日本人も必ずしもクリスチャンになる必要はないと私は思います。大切なことは日々、神様を中心にして決断し、行動することだと思います。