日本人の信仰、文化、伝統には古代ユダヤ人、またイエスの弟子たちの末裔と考えられる秦氏の影響があると私は考えています。坂東誠著「秦氏の謎とユダヤ人渡来伝説」からご紹介いたします。
「平安京」と「エルサレム」
秦氏が古代イスラエルを出発し、中央アジアを通り、朝鮮半島を経由して日本にやって来たのは、第十五代、応神天皇の時代だと思われる。その時、十万人以上の人々が日本に帰化したといわれる。その内の一部が、五世紀半ばの雄略天皇の時代に、京都の太秦(うずまさ)という場所に住むようになった。
このユダヤ系の秦氏が日本に最新の技術を多くもたらした。雅楽だけではない、養蚕などの絹を作る技術や、農耕や土木など、今でいうハイテク技術を伝えたのだ。こうした技術をもとに、秦氏は莫大な財力を持つようになる。
やがてその秦氏は、この経済力を背景に日本の政治にも影響を及ぼすようになる。その結果、秦氏の尽力により実現したのが、794年の平安京への遷都である。平安京は秦氏によって造られた都なのだ。
現在のユダヤ人の国はイスラエル。その国の首都はエルサレムである。エルサレムは途中他国の支配下に置かれるものの、三千年前から現在に至るまでユダヤ人にとっての永遠の都であった。
そのエルサレムはユダヤの言葉、ヘブライ語の発音では「イェルシャライム」という。これは、京や都を意味する「イール」と、平安を意味する「シャローム」が一つになってできた言葉である。つまり、「イール・シャローム(エルサレム)」を日本語に訳すと、「平安京」なのである。
「琵琶湖」と「ガリラヤ湖」
平安京のあった京都の近くには「琵琶湖」がある。同様にイスラエルのエルサレムから少し北上すると、「キネレット湖」と呼ばれる湖がある。この湖は日本語では「ガリラヤ湖」と呼ばれ、イエス・キリストが福音を伝えた場所として知られるところだ。
このヘブライ語の「キネレット」を訳すと楽器の「琵琶」や「竪琴」を意味する。つまり「キネレット湖」とは「琵琶湖」なのである。平安京に住むユダヤ系の秦氏が近くにある湖を見て、祖国の湖を思い出し、同じ名前をつけたのだろうか?(本からの引用は以上です。)
日本人として聖書を読むことの重要性
このように日本人の信仰、文化、伝統には古代ユダヤ人やイエスの弟子たちの末裔と考えられる秦氏の影響が大きくあったと考えることができます。それは西欧キリスト教の伝統とは違いますが、聖書の信仰であり、イエスの教えた信仰であると考えることができます。私は西欧キリスト教とは切り離して、日本人として聖書を読み、イエスの言葉に耳を傾けることが大切ではないかと思っています。
それでは今日も聖書の続きを読みましょう。
新約聖書 使徒の働き 12章18~25節
さて、朝になると、ペテロはどうなったのかと、兵士たちの間に大騒ぎが起こった。ヘロデは彼を捜したが見つけることができないので、番兵たちを取り調べ、彼らを処刑するように命じ、そして、ユダヤからカイザイリヤに下って行って、そこに滞在した。
さて、ヘロデはツロとシドンの人々に対して強い敵意を抱いていた。そこで彼らはみなでそろって彼をたずね、王の侍従ブラストに取り入って和解を求めた。その地方は王の国から食糧を得ていたからである。
定められた日に、ヘロデは王服を着けて、王座に着き、彼らに向かって演説を始めた。そこで民衆は、「神の声だ。人間の声ではない」と叫び続けた。するとたちまち、主の使いがヘロデを打った。ヘロデが神に栄光を帰さなかったからである。彼は虫にかまれて息が絶えた。
主のみことばは、ますます盛んになり、広まって行った。任務を果たしたバルナバとサウロは、マルコと呼ばれるヨハネを連れて、エルサレムから帰って来た。
主の使いがヘロデを打った
ヘロデは随分自己中心的な王様だったのではないでしょうか。そして、その権力による庇護を求めて、カイザリヤの人々はヘロデを持ち上げました。「神の声だ。人間の声ではない」とはまた随分と歯が浮くような言葉を言ったものだと思います。しかし、ヘロデは喜んで聞いたのかもしれません。主の使いがヘロデを打ったとあります。
人格が問われる
ヘロデを尊敬してほめたたえたというならまだしも、ただその権力のゆえに持ち上げ、ヘロデもいい気になっていたということですから、何とも情けない話だと思います。結局、その人格が問われることだと思います。
神様を喜ばせる生き方
大切なことは自分を喜ばせることではなく、神様を喜ばせることだと思います。人から褒められることは悪いことではないと思いますが、私たちは皆、自分を喜ばせたいという気持ちを持っているので注意が必要だと思います。もし褒められるようなことがあれば、自分を喜ばせるのではなく、それは神様のお陰だと神様に栄光を帰すことが大切ではないでしょうか。