(結婚したいけど)結婚できない?

今日は「人間関係の悩みのヒント」から、「(結婚したいけど)結婚できない」という記事をご紹介します。まず、結婚できない理由が5項目、結婚したい理由が10項目書かれていますが、詳細はサイトをご覧ください。ご紹介したいのは「幸せになる考え方」です。このように書かれています。

深刻に悩まない

「結婚できない」と深刻に悩んでもしょうがない。「結婚できなければ幸せになれない」という間違った考えはやめましょう。独身の時には独身の幸せを愉しみましょう。いい出会いがあれば結婚してもいいな、くらいに考えましょう。

出会いを求めて行動する

早く結婚したいと思う人は具体的な方法を自分で考えてみてください。どうしても思い浮かばない人は、誰かに相談してみてください。そして、実際に行動することです。機会が多ければそれだけ出会う可能性は高くなるわけです。幸せに暮らすことを心がけつつ、心に余裕を持って自分に合う人を探すのがいいと思います。

自分を磨く

出会いがあっても、相手が自分を好きにならなければ、結婚はできません。自分を好きになってもらうためには自分を磨くことだと思います。いろいろな自分の磨き方があると思いますが、私は次のような幸せになる能力を育てることをおすすめします。

幸せに暮らす能力   : いつも幸せそうな人は好かれます。
人を受け入れる能力  : 自分を受け入れてくれる人を好きになります。
人の話をよく聞く能力 : 自分の話を聞いてくれる人を好きになります。
人を幸せにする能力  : 自分を幸せにしてくれる人を好きになります。
これらの能力は、自分が幸せになるために役立つものです。(サイトからの抜粋は以上です。)

とても現実的で共感します

私はこの方の考え方に共感する点が多いので、度々引用させていただいております。まず、幸せは「それ」(今日のテーマで言えば「結婚」)に左右されない。「それ」がないことで悩んでいるだけではしょうがない。「それ」が欲しいのなら出来る行動を取れば良い。とても現実的な考え方だと私は思います。

「結婚」を神様を中心に考えるなら

結婚に関して言うなら、それは人生の目的ではないと私は思います。独身でも幸せな人生はあると思います。目的のために結婚が有益であるなら、結婚を求めて、神様に祈り求め、具体的な行動を考えたら良いと思います。

現実を受け入れる

その結果は必ずしも自分の計画や思い通りに進む訳ではないかもしれません。でも、最終的には自分の願いを中心にするのではなく、神様の願いを中心にすることが大切であり、何事でも自分の思い通りにはならないけれども、神様の思い通りにはなる、それが最善なのであるということを受け入れることが大切だと思います。

神様を中心にする

神様を中心にするというシンプルな考え方を持つことで、この方が言っていることを全て自分のものにすることができるのではないかと私は思います。それでは今日も聖書の続きを読みましょう。

新約聖書 使徒の働き 10章9~23節

その翌日、この人たちが旅を続けて、町の近くまで来たところ、ペテロは祈りをするために屋上に上った。昼の十二時ごろであった。すると彼は非常に空腹を覚え、食事をしたくなった。ところが、食事の用意がされている間に、彼はうっとりと夢ごこちになった。

見ると、天が開けており、大きな敷布のような入れ物が、四隅をつるされて地上に降りて来た。その中には、地上のあらゆる種類の四つ足の動物や、はうもの、また、空の鳥などがいた。そして、彼に、「ペテロ。さあ、ほふって食べなさい」という声が聞こえた。

しかしペテロは言った。「主よ。それはできません。私はまだ一度も、きよくない物や汚れた物を食べたことがありません。」 すると、再び声があって、彼にこう言った。「神がきよめた物を、きよくないと言ってはならない。」

こんなことが三回あって後、その入れ物はすぐ天に引き上げられた。ペテロが、いま見た幻はいったいどういうことだろう、と思い惑っていると、ちょうどそのとき、コルネリオから遣わされた人たちが、シモンの家をたずね当てて、その門口に立っていた。

そして、声をかけて、ペテロと呼ばれるシモンという人がここに泊まっているだろうかと尋ねていた。ペテロが幻について思い巡らしているとき、御霊(みたま)が彼にこう言われた。「見なさい。三人の人があなたをたずねて来ています。さあ、下に降りて行って、ためらわずに、彼らといっしょに行きなさい。彼らを遣わしたのはわたしです。」

そこでペテロは、その人たちのところへ降りて行って、こう言った。「あなたがたのたずねているペテロは、私です。どんなご用でおいでになったのですか。」

すると彼らはこう言った。「百人隊長コルネリオという正しい人で、神を恐れかしこみ、ユダヤの全国民に評判の良い人が、あなたを自分の家にお招きして、あなたからお話を聞くように、聖なる御使いによって示されました。」

それで、ペテロは、彼らを中に入れて泊まらせた。明くる日、ペテロは、立って彼らといっしょに出かけた。ヨッパの兄弟たちも数人同行した。

ペテロが見た幻

当時、ユダヤ人は異邦人(ユダヤ人でない人)と一緒に食事を取ることさえしませんでした。ユダヤ人には自分たちだけが神様に選ばれた聖い民族であり、異邦人は汚れた民だという理解があったようです。ペテロが見た幻は、そのような差別をしてはいけないということを示しているのではないかと思います。

御霊(みたま)の声

コルネリオはユダヤ人ではありませんでした。しかし、コルネリオから遣わされた三人の人がペテロを訪ねて来た時、神様の霊が、ためらわず彼らといっしょに行きなさいと命じたとあります。実際にこのような声が聞こえたのかどうか分かりませんが、私の経験から言うなら、神様の霊は声なき声をもって、私の心に語り掛け、神様の思いを与えたり、確信を与えたりしているように感じます。

神様を中心にすると分かる神様の霊

この時、ペテロに差別は正しいことではないという確信が神様から与えられたのではないでしょうか。ひとたび、神様の願いを中心に生きたいと心を決めるなら、このように神様の霊によって、何が正しいことなのか、何か神様の願いなのかを明確に理解することができるようになるように思います。私たちの良心は神様の霊によって目覚め、正しく導かれるようになるのではないでしょうか。