思いがけない出会いのために、自分を磨く

先週も紹介しました「恋愛心理☆結婚の悩み」というサイトにこんなことが書いてありましたのでご紹介いたします。

まずは自分磨き

パートナーがほしいと願うあなたにとって今一番大切な事は、新たな出会いのチャンスがおとずれた時に後悔しない恋愛をするために、日頃から自分磨きに専念することです。

自分を磨くうえで最も重要なことは、まず自分に対する理解を深めていくということです。

貴方は自分自身のことをどれだけ理解していますか?

まずは、自らがいかに「自分自身」のすべてを理解し受け入れるかということから始まります。その上で、自分の人間性(質)を高める努力をしてください。

「魅力的な女性」には「魅力的な男性」を見抜く目が養われてきますし、当然価値のある魅力的な男性は貴女を放っておきません。

お相手選びは理想と現実をしっかり見極めながら、全ての面であなたにちょうどいい相手を探してください。

無理をせずに自然体でいることができ、常に自分らしくふるまうことができる、そんな相手があなたにふさわしい相手なのです。(サイトからの引用は以上です。)

自分を理解し受け入れる

自分を磨くこと。女性を対象に書かれていますが、男性も同じだと思います。自分を磨くのであって、別の人になることではありません。あなた自身の魅力を知って、それを磨くことが大切だと思います。そのためには、まず、あるがままの本当の自分を知り、その自分を受け入れるところから自分磨きは始まる。私もそう思います。

受け入れたくない自分

ところが、受け入れたくない自分というのはないでしょうか。自分のこういう部分が好きではない。見たくない。知りたくない。これさえなければ、私はもう少し魅力的になれるのに。そんな部分はないでしょうか。でも、その部分もあなた自身ですから、私にはこういう部分もある。これが今の私の姿だと、あるがままの自分を知り、受け入れて、それでも落ち込まない自信を持つことが大切だと私は思います。

弱さを受け入れるところから始まる自分磨き

自分の弱さは自力で克服するのではなく、それを受け入れるところから本当の自分磨きは始まると私は思います。自分の弱さと向き合う勇気があなたを魅力的にすると私は思います。

神様の愛を受け入れる

そのような勇気は神様から来ることを私は実感しています。弱さもある、欠点もある、それでも神様の私に対する愛は少しも変わらないという自信が私にはあります。それが神様の愛だということを私は知っています。神様を中心にして生きたパウロという人がこのように書いた言葉が新約聖書の中にあります。

私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。

価値ある者が愛されるのは当たり前ですが、神様は私に欠点があっても、それでも価値ある者と認めて愛してくださることをパウロという人はたくさん証言しています。この神様の愛が私に自分の弱さと向き合う勇気を与えてくれます。

それでは今日も聖書の続きを読みましょう

自分の考えではなく、そのような神様の思いを中心にして生きることができるように、毎日時間を決めて神様に思いを向けて祈り、聖書を読むことをお勧めします。聖書は神様を中心にして生きた人々の記録であり、私たち日本人の信仰のルーツです。キリスト教の教典としてではなく、神様を中心にして生きる上で参考にしていただきたいと思っています。

新約聖書 使徒の働き 21章7~16節

私たちはツロからの航海を終えて、トレマイに着いた。そこの兄弟たちにあいさつをして、彼らのところに一日滞在した。翌日そこを立って、カイザリヤに着き、あの七人のひとりである伝道者ピリポの家に入って、そこに滞在した。

この人には、預言する四人の未婚の娘がいた。幾日かそこに滞在していると、アガボという預言者がユダヤから下って来た。彼は私たちのところに来て、パウロの帯を取り、自分の両手と両足を縛って、「『この帯の持ち主は、エルサレムでユダヤ人に、こんなふうに縛られ、異邦人の手に渡される』と聖霊がお告げになっています」と言った。

私たちはこれを聞いて、土地の人たちといっしょになって、パウロに、エルサレムには上らないよう頼んだ。するとパウロは、「あなたがたは、泣いたり、私の心をくじいたりして、いったい何をしているのですか。私は、主イエスの御名(みな)のためなら、エルサレムで縛られることばかりでなく、死ぬことさえも覚悟しています」と答えた。

彼が聞き入れようとしないので、私たちは、「主のみこころのままに」と言って、黙ってしまった。こうして数日たつと、私たちは旅仕度をして、エルサレムに上った。カイザリヤの弟子たちも幾人か私たちと同行して、古くからの弟子であるキプロス人マナソンのところに案内してくれた。私たちはそこに泊まることになっていたのである。

神様のために生きる

皆、パウロの邪魔をしようとしたのではなく、パウロのことを心配して、エルサレムには上らないようにと言ったのだと思います。しかし、パウロの心は決まっていました。それは誰からの強制でもなく、神様からの脅迫観念でもなく、また英雄になりたいという自己中心でもなかったと思います。ただ神様のために生きたいというパウロの思いだったのだろうと思います。

命をかけても守るべきもの

神様を中心にして生きる生き方は単に楽な方が良いという生き方ではなく、困難があっても本当に意味のある、私の人生はこれで良いという生き方をすることだと思います。それは自爆テロのような宗教熱狂者による犯罪行為とは違います。パウロも困難は好きではなかったと思いますが、命をかけても守るべきものがあると確信していたのだと思います。

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