劇的に人間関係を改善させる7つの法則

Bela Gandhi という方の表題の記事がとても参考になりましたので、ご紹介いたします。

1.相手を中心にする

人はたいてい自己中心です。でも、自分にフォーカスすると、社会的には自分勝手と思われます。自分を意識すると緊張しますが、相手を意識すれば心配がなくなり、ポジティブになれます。

2.人の本当の必要を理解する

結局のところ、人は自分自身について良い印象を持ちたいのです。価値を認められ、話を聞いてもらい、受け入れてもらいたいのです。自分の必要ではなく、相手の必要を満たしてあげれば、その人から好かれることになるでしょう。

3.先に好きになる

その人から好かれたいなら、先にその人を好きになるのが一番です。いつも相手の良い面を見るようにすると、自然とポジティブなオーラが出て、それはあなたに返って来るでしょう。

4.ポジティブになる

自分はポイジティブだと言う人は多いかもしれませんが、自分にフォーカスしていると、自分の欠点は隠して、良い所ばかりを強調するようになり、かえって人は離れてしまいます。人はあるがままのあなたを見ているのです。そのままの自分に自信を持ちましょう。

5.文章は丁寧に書く

93%は言語以外の印象がコミュニケーションを左右すると言われています。メールを書く時には、読む相手がどう感じるのかを良く考えましょう。

6.話し方、聞き方を知る

たいていの人は自分の話す番を待っているようです。しかし、素晴らしい会話はテニスのラリーのようなものです。一人がサーブしたら、もう一人は返さなければなりません。良い会話はお互いの理解を深め、もっとその人の事を知りたいと思うようになるものです。

7.言葉以外のコミュニケーションも大切にする

笑顔、オープンなボディーランゲージ、相手への関心を示す傾聴、気持ちを伝えるための適切なボディタッチ、視線、優しいうなずき、集中して聞くこと、いつもポジティブであること。93%は言葉以外の要素がコミュニケーションに影響を与えていることを忘れないでください。

神様を中心とする

いかがでしたでしょうか。相手を尊敬し、配慮してあげることが良い人間関係の秘訣だと思います。ところが、それは分かっていても、私の事を分かって欲しいという自己中心がそれを邪魔しているのではないでしょうか。でも、努力と頑張りで自己中心を克服することは至難の業だと思います。いつも神様を意識し、神様に思いを向け、神様を中心にして生きるなら、それは可能だと思います。

いつも神様を中心にして生きるために、毎日時間を決めて神様に思いを向けて祈り、聖書を読むことが有益だと思います

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は神様を中心にして生きた人々の記録であり、日本人の信仰のルーツなのです。キリスト教の教典としてではなく、神様に思いを向け、神様を中心として生きる上で参考にしていただきたいと思っています。

新約聖書 使徒の働き 20章29~38節

私が出発したあと、狂暴な狼があなたがたの中に入り込んで来て、群れを荒らし回ることを、私は知っています。あなたがた自身の中からも、いろいろな曲がったことを語って、弟子たちを自分のほうに引き込もうとする者たちが起こるでしょう。

ですから、目をさましていなさい。私が三年の間、夜も昼も、涙とともにあなたがたひとりひとりを訓戒し続けて来たことを、思い出してください。いま私は、あなたがたを神とその恵みのみことばとにゆだねます。みことばは、あなたがたを育成し、すべての聖なるものとされた人々の中にあって御国(みくに)を継がせることができるのです。

私は、人の金銀や衣服をむさぼったことはありません。あなたがた自身が知っているとおり、この両手は、私の必要のためにも、私とともにいる人たちのためにも、働いて来ました。このように労苦して弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が、『受けるよりも与えるほうが幸いである』と言われたみことばを思い出すべきことを、私は、万事につけ、あなたがたに示して来たのです。」

こう言い終わって、パウロはひざまずき、みなの者とともに祈った。みなは声をあげて泣き、パウロの首を抱いて幾度も口づけし、彼が、「もう二度と私の顔を見ることがないでしょう」と言ったことばによって、特に心を痛めた。それから、彼らはパウロを船まで見送った。

パウロのお別れの言葉の続き

狂暴な狼と言うのですから、反対者による迫害があるということでしょうか。そして、グループ内の指導者の間でも分裂が起こるということでしょうか。目をさましていなさいというのは、いつも神様を中心にしているかどうかを確認しなさい。自己中心になっていないか注意しなさいということではないでしょうか。

神と恵みのみことば

みことばとは具体的に何を指しているのか分かりませんが、パウロが三年間訓戒した、その教えのことなのかもしれません。これ以上、パウロは直接教えることができませんが、生きて働いてくださっている神様とその教えにゆだねると言っているのではないでしょうか。

受けるよりも与える方が幸いである

その教えの中心はこのイエスの教えのことなのかもしれません。受けるよりも与える方が立派だということではなく、幸いだという言葉が心に響きます。いかがでしょうか。人から何かをしてもらうことばかりを期待しているのでしょうか。それは不幸だと思います。幸いなのは受けるよりも与える方だと思います。いつも人に与えることを考えましょう。どんな小さなことでも良いのではないでしょうか。与えることができること、そのこと自体が幸いであり、神様を中心とした生き方に他ならないと思います。

いかがでしたでしょうか。参考になりましたら、「いいね!」でお知らせください。また、シェアのご協力もよろしくお願いします。今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました。