【人生の目的】名言、格言に思いを巡らす

いくつかご紹介いたします。少し時間を取って思い巡らしてみませんか。

「人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。」(新約聖書マタイの福音書16章26節)

イエスが弟子たちに語られた言葉です。「まことのいのち」とは、本当にこれでいいと言える人生のことではないかと思います。それは自己中心を退けて、神様を中心にして生きることだと私は思います。神様に思いは向いているでしょうか。毎日5分でも良いと思います。そのための時間を取ることが大切ではないでしょうか。

「迷う、ということは、一種の欲望からきているように思う。ああもなりたい、こうもなりたい、こういうふうに出世したい、という欲望から迷いがでてくる。それを捨て去れば問題はなくなる。」(松下幸之助:日本の実業家、発明家、パナソニック創業者 / 1894~1989)

迷いの原因は自己中心ですね。どうやって自己中心を捨て去ることができるでしょうか。私は神様を中心にすることだと思います。

「人生とは自転車のようなものだ。倒れないようにするには走らなければならない。」(アインシュタイン:理論物理学者、ノーベル物理学賞受賞 / 1879~1955)

神様を中心にした生き方とは、すでにゴールに達した生き方ではなく、確信に基づいて前進する生き方だと思います。人生の目的はその時、その時、神様に導かれて歩む歩みのことではないかと私は思っています。

「明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ。」(ガンジー:インドの弁護士、宗教家、政治指導者 / 1869~1948)

今を生きるということに関しては、先延ばしにしてはいけませんね。でも、刹那的でもいけませんね。今日の積み重ねによって明日があることを思います。今日一日、悔いがないように全力投球しましょう。

「未来とは、今である。」(マーガレット・ミード:米国の文化人類学者 / 1901~1978)

まあ、ぼーっとしていても時は過ぎて行きますし、疲れた時には休みも必要だと思います。でも、今の積み重ねによって未来を作って行くのだと思います。

「人生はロマン。自分は不幸だと悩むのではなく、試練を与えられた物語の主人公だと思えば、人生をエンジョイできる。」(美輪明宏:日本のシンガーソングライター、俳優、演出家 / 1935~)

なるほどね。試練もエンジョイできるようになれば、人生も達人ですね。

「尊厳を保つためには、金は必ずしも必要ない。」(ガンジー)

経済的に破たんしたら惨めな人生になってしまうのではないか。でも、お金がなくても尊厳を持って生きることはできる。確かにそうだと思います。それは正しいと思います。味わうべき言葉ですね。

「自己中心を退け、神様を中心にして生きる。それが人生の目的であり、幸いな人生であり、人の尊厳である。」(吉村忠敏:「日本人の信仰と聖書について考える会」代表/1962~)

名言、格言ではないかもしれませんが、私の確信です。それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は神様を中心にして生きようとしたユダヤ人の記録であり、実は私たち日本人の文化、伝統、信仰と深い関係があります。キリスト教の教典としてではなく、神様を中心として生きるために聖書を読んでみてください。

新約聖書 マタイの福音書 9章1~8節

イエスは舟に乗って湖を渡り、自分の町に帰られた。すると、人々が中風の人を床に寝かせたままで、みもとに運んで来た。イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に、「子よ。しっかりしなさい。あなたの罪は赦された」と言われた。

すると、律法学者たちは、心の中で、「この人は神をけがしている」と言った。イエスは彼らの心の思いを知って言われた。「なぜ、心の中で悪いことを考えているのか。『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、どちらがやさしいか。人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたに知らせるために。」こう言って、それから中風の人に、「起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい」と言われた。

すると、彼は起きて家に帰った。群衆はそれを見て恐ろしくなり、こんな権威を人にお与えになった神をあがめた。

彼らの信仰を見た

中風の友人を床に寝かせたままイエスの所に運んで来た人々の「信仰」を見てイエスは言ったとあります。彼らは自分のためではなく、友人のためにできることをしたのだと思います。それは自己中心ではなく、神様を中心にした生き方だと言えると思います。イエスはそれを「信仰」と言ったのではないでしょうか。

あなたの罪は赦された

不思議なのは、その運んで来た人々ではなく、運ばれて来た中風の人に「子よ。しっかりしなさい。あなたの罪は赦された」とイエスが言われたことです。きっとこの中風の人は運んでくれた友人たちに感謝していたのではないでしょうか。それもまた自己中心ではなく、神様を中心にする心だったのではないでしょうか。イエスは心配しなくていいと声をかけてくださったのではないでしょうか。

大切なのは宗教なのか

しかし、それを聞いてユダヤ教の教師である律法学者たちは「神をけがしている」と思ったようです。罪を赦す権威は神様にしかないということでしょう。「宗教」の方が大切で、中風の友人を助けたいという人たちの心が彼らには見えないのかもしれません。イエスは「なぜ、心の中で悪いことを考えているのか」と言っています。

罪を赦す権威

実際にイエスは地上で人の罪を赦す権威を神様から与えられていたのだと思います。そのことを知らせるためにと言われて、この中風の人を癒しました。それは超自然的な癒しであり、神様の力がイエスを通して働いていることを示している証拠なのだと思います。

中心を変える

「罪」というギリシヤ語は「的外れ」という意味だそうです。自分を中心にして生きるのは「的外れ」だと言うことでしょう。いくら頑張っても、努力しても、方向が間違っていれば的に当たるはずがありません。ますます離れてしまうことになると思います。神様を中心にすること、それが「罪の赦し」だと思います。

いかがでしたか

「日本人の信仰と聖書について考える会」では、宗教ではなく、神様を中心にして生きる幸いを多くの方に知っていただくために、パンフレット「今こそ伝えたい日本人の心」(1部10円。100部以上で送料無料。)を作成しました。ぜひお知り合いの方にお渡しください。ご協力をよろしくお願いいたします。

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■お知らせ■

2017年5月11日(木)19:00~20:00 泉パークタウンタピオ(仙台市泉区寺岡6丁目5-1)南館1階パークタウンスタイルで、「古代史に見る日本人とユダヤ人の不思議な関係」と題してお話しすることになりました。入場無料、予約不要です。ぜひたくさんの皆さんにお出でいただきたいと思います。詳しくはホームページのインフォメーションをご覧ください。