「日本とイスラエル」古代イスラエル人は日本に来たのか

日本人の信仰と聖書

日本人の信仰と文化にはユダヤ人やメシヤニック・ジュー(イエスをメシヤとして受け入れたユダヤ人)の影響を色濃く見る事ができるように思います。毎週月曜日は、歴史的な研究成果をご紹介しながら、日本人の信仰と文化には聖書の影響があることを多くの方に知っていただきたいと思っています。

ラビ・マーヴィン・トケイヤー

今日は、ラビ・マーヴィン・トケイヤー著「日本・ユダヤ封印の古代史」という本からご紹介いたします。ラビ・マーヴィン・トケイヤー氏は1936年、ニューヨーク生まれのユダヤ人。1968年に来日。日本ユダヤ教団のラビ(教師)となる。滞日10年。古代日本と古代イスラエルの関わりについて論じた「ユダヤと日本・謎の古代史」他、ユダヤ思想、教育論、日本人論など多数の著書があります。

私の人生を変えた日本体験

私は初めて日本のカタカナを見たとき、「これはどうもヘブライ文字に似ているな」と思った。とくに「コ」「カ」「ハ」「フ」などはよく似ている。文字の形も発音もそっくりである。

私はまた、東京の渋谷に住むようになったとき、初めて日曜日に明治神宮を訪れた。そこで神道の祭司(神官)が、白装束に身を包んでいるのが目に入った。神官は独特の帽子をかぶり、その衣の袖の端には「房」(数十センチの糸をたばねて垂らした飾り)がついていた。

そこに生後一ヶ月の赤ちゃんが連れられて来ていたが、赤ちゃんは母親ではなく別の人に抱かれていた。神官は、その赤ん坊を清めるために、榊(さかき)の枝でお祓いをし、枝を左右上下に揺り動かしていた。

こうした光景を見たとき、「いったい私は自分の故郷に来たのだろうか」と思ったのである。なぜなら、私が見たそれらの光景はみな、古代ユダヤの風習にほかならなかったからである。ユダヤには日本神道と同様に「産後の汚れ」という観念があり、赤ちゃんが初宮詣のとき、母親以外の者が赤ちゃんを抱いた。

ただし、現代のユダヤ人はこの風習を持っていない。私はなぜ母親が抱かないのかと、その人々に尋ねてみた。答えを聞いて、私と家内は目を見合わせてしまった。「母親はまだ産後の汚れの中にあるので、抱かないのですよ」との答えだったからである。

聖書時代の古いイスラエルの風習が、なんと日本で生きていたとは!また神官が榊の枝でお祓いをする仕草は、ユダヤの風習にじつによく似ている。私は神官に彼の身につけている衣の房について尋ねてみた。すると神官は、「これは昔からの伝統によるのです」と答えてくれた。

しかし、これはもともと非常に古いイスラエルの風習なのである。聖書には、「身にまとう着物・・・に、房を作らなければならない」(旧約聖書 申命記22章12節)と記されている。衣につける房は、イスラエル人であることのトレードマークであった。(本からの引用は以上です。)

日本人と聖書

聖書とは何の関係もないと思われてきた日本人ですが、実は大いにあるようです。しかし、それはキリスト教の影響ということではありません。あくまでもユダヤ人と聖書の影響だということを知っていただきたいと思っています。聖書はキリスト教の教典という先入観を捨てて、日本人として聖書を読む時に、そこに新しい発見があるのではないかと思います。

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。一言で言うと、聖書は神様を中心として生きる幸いについて教えており、日本人として大いに共感できると私は思います。キリスト教の教典としてではなく、日本人として聖書を読んでみていただきたいと思っています。

新約聖書 マタイの福音書 7章6節

聖なるものを犬に与えてはいけません。また豚の前に、真珠を投げてはなりません。それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたを引き裂くでしょうから。

豚に真珠

これはイエスにつき従って来た群衆に語られたイエスの言葉の続きです。「豚に真珠」という言葉は日本語でも良く使いますが、イエスの言葉だったことを皆さんは知っていらっしゃいましたでしょうか。いつ頃から日本では使われていたのでしょうか。

価値の分からない人

いずれにしても、その価値が分からない人に与えても、感謝するどころか、逆に怒って立ち向かって来ますよということでしょう。

確かにそうかもしれません

確かに非常に自己中心的な生き方をしている人に、そんな生き方をしていると自分を滅ぼしてしまいますから、自分を中心にしないで、神様を中心にしてください。そうすれば本当に幸いな人生を送ることができますよとお伝えして、その価値を理解できる方であれば、感謝されると思いますが、その価値が分からない人であれば、むしろ怒って立ち向かって来るということは十分に考えられることだと思います。

自分は大丈夫なのか

だから相手を見て話すことが大切ですね。でも、人のことではない、自分が犬になっていないか、自分が豚になっていないか、良く自分を吟味してみる必要があるかもしれません。私は価値の分からない人にはなりたくありません。神様どうか価値の分かる人になれるようにしてください。価値あるものを踏みつけ、食ってかかるような愚か者になることのないように神様守ってください。そう祈る必要があるかもしれません。

いかがでしたか

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「日本人の信仰と聖書について考える会」では、宗教ではなく、神様を中心にして生きる幸いを多くの人たちに知っていただけるように、パンフレット「今こそ伝えたい日本人の心」(1部10円。100部以上で送料無料。)を作成しました。ぜひ、皆様のお知り合いの方にお渡しください。ご協力をよろしくお願いします。

今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました。