【人生の目的】人は何のために生きるのか

「『人は何のために生きているのか?』の簡単な回答~辛い経験をしているあなたへ」という記事を読みました。共感した部分もあれば、そうでない部分もありました。一部をご紹介いたします。皆さんはどう思われますでしょうか。

現実逃避の言い訳として使われていることが多い

辛すぎる経験、生活苦、裏切り、虚無感、孤独感、大失敗した時に、「人は何のために生きるのか」と問い、多くの人は、この問いに答えることができればその苦痛から解放されると考えるのではないかとこの記事の著者は言っています。

しかし、それは「人は何のために生きるのか」と問うまでもなく解決する問題であり、実際に問題が解決されれば、それ以上「人は何のために生きるのか」と問うこともなくなる場合が多いとこの著者は言います。

たとえば、恋に破れた人が、生きている甲斐がないと意気消沈し、「人は何のために生きるのか」と考えたとしても、新しい出会いがあれば、もう忘れてしまうと指摘していらっしゃいますが、確かにそうかもしれません。

本当の生きる意味とは

それでは、「人は何のために生きるのか」。答えは神様に聞かなければ分からないが、推測することはできると著者は言います。そして、一つ目に「自分以外の者に対する無条件の奉仕」を挙げています。私もこの著者の意見に賛成です。以前にこのブログでも書きましたが、自分を中心にして生きる意味をいくら考えても出て来ないと思います。私は「生きる意味」ではなく、「生かされている意味」を問う必要があると思います。それは自分のためではなく、神様のためであり、神様から与えられている役割を果たすことで、社会に貢献し、人々の役に立つことだと思います。生かされている以上、必ず役割があるということだと思います。

自然に涙が出ることのために命を使う

二つ目に、「自然に涙が出ることのために命を使うこと」だと、この記事の著者は言います。それは人によって違いますが、この著者は「勇気を出して一歩を踏み出す人や、人のために自分の命を犠牲にして尽くす行為に自然と涙があふれる。」と言っています。涙はウソをつかない。それがあなたの本心だとこの著者は言っていますが、確かにそうだなと私も思いました。それは神様があなたの良心に何かを話しかけている証拠だと私は思います。

聖書を読みましょう

大切なことは、自己中心を退けて、神様を中心にして生きることだと思います。そこに私たちが生かされている意味があると私は実感しています。それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は宗教の戒律が記された教典ではなく、神様を中心にして生きようとしたユダヤ人の歴史の記録であり、実は私たち日本人の生き方に深い関係があると思います。キリスト教の教典としてではなく、神様を中心として生きる日本人の心に触れるために聖書を読んでみていただきたいと思います。

新約聖書 マタイの福音書 16章13~19節

さて、ピリポ・カイザリヤの地方に行かれたとき、イエスは弟子たちに尋ねて言われた。「人々は人の子をだれだと言っていますか。」彼らは言った。「バプテスマのヨハネだと言う人もあり、エリヤだと言う人もあります。またほかの人たちはエレミヤだとか、また預言者のひとりだとも言っています。」

イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」シモン・ペテロが答えて言った。「あなたは、生ける神の御子キリストです。」するとイエスは、彼に答えて言われた。「バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。

ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています。」

「人の子」とは

「人の子」とは、旧約聖書に預言され、ユダヤ人が太古の昔から待ち望んでいるメシヤのことを指しているのだと思います。ギリシヤ語ではキリストと言いますが、それは神様から特別な油注ぎを与えられた者という意味です。イエスはご自身を指して「人の子」と言っているのかもしれませんし、一般的に人々は「人の子」はどんな人だと言っているかと尋ねたのかもしれません。

キリストとは

「あなたがたは、わたしを誰だと言いますか」とイエスは弟子たちに問いかけました。すかさずペテロが答えました。「あなたこそ旧約聖書が預言する、神様に特別な油注ぎを与えられたキリスト、メシヤです」それは自分の知恵ではなく、神様がペテロに教えたことだとイエスは言いました。それは良心に語り掛けられる神様の声だということではないでしょうか。

ペテロとは

「ペテロ」とは「岩」という意味です。この岩の上にわたしの教会を建てるとイエスは言いました。それはどういうことなのでしょうか。ハデスとは地獄のことでしょう。地獄の門もそれには打ち勝てない。そして、イエスはペテロに天の御国のかぎを上げると言いました。それはどういう意味なのでしょうか。

天の御国にかぎとは

それは象徴的な言い方なのだろうと思いますが、イエスを神様から特別な権威が与えられた者として受け入れ、イエスが教えたように、自己中心を退け、神様を中心にして生きると心に決めるなら、地獄もそれには打ち勝てないということなのかもしれません。また、さらに多くの人々をそのような生き方に招き入れる天の御国のかぎが与えられたということなのかもしれません。

神様を中心にして生きる

こうして、神様を中心にして生きる神の国は、イエスから始まり、その弟子たちに広がり、全世界の人々へと伝えられて行くということを指して、「わたしの教会」と言ったのかもしれません。それは決して新しい宗教を始めたということではないと私は思います。大切なことは神様を中心にして生きることではないでしょうか。

いかがでしたか

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今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました。