【日本人と日本文化】古事記に込められた日本人の心

神様を中心にして生きる

自己中心を退け、神様を中心にして生きることこそ太古の昔から日本人が大切にして来た生き方であり、そこに私たちが抱える全ての問題の解決があることをお伝えしています。それは何かの宗教を信仰することではなく、神様の願いや思いを中心にして正しく生きることだと思います。

それは「古事記」にも込められた日本人の心だと、小野善一郎著「日本を元気にする古事記の『こころ』」にありましたので、ご紹介いたします。

神(かん)ながらの道

古代の日本人は、仏教の外来思想が入ってくる以前から、自らの我欲・我見の異心(ことごころ)を祓うことこそが人間にとって一番正しい道であること、また自らの心が清まり天つ神の御心と一つになったときに、眼前の万物に神々が宿っていることがわかるということを承知していたのであろうと推考されます。

『古事記』上巻(神代巻)は、この一心こそが人間の根本であり、国家の基であるということを力説しているのであり、古代の日本人はそのことを代々伝承してきたのでしょう。(後略)

異心を祓い、神様の心と一つになる

私心をなくすとは、利己的な自分という存在をなくすことです。つまり「自分が」という異心(ことごころ)を死却することに他なりません。自分という意識があるうちは、私心があるのです。たとえば、有名な『葉隠(はがくれ)』の「武士道と云ふは、死ぬ事と見付けたり」という一文も同じ意味と考えられるでしょう。

無論、「祓え」と言っても、私たちが社会生活を営む上で大切な分別の心を否定するのではありません。それを無視したならば、社会は無秩序の状態になってしまうでしょう。しかし、神様の心は私たちの自我の心の奥にあります。その神様の心に触れ、その心と一つになって生かされていることに感謝しながら、社会生活を営むことが大事なのです。(本からの引用は以上です。)

生きているのは私ではない

新約聖書の中に収められているパウロという人が書いたガラテヤ人への手紙の中にこのような言葉があります。「もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」

自己中心に死に、神様を中心に生きる

パウロもまた自己中心に死んで、神様を中心にして生きるという信仰で生きていると言っているのだと思います。それが神様が与えた人間本来の生き方だと思います。そこから外れると問題が起こりますが、神様を中心にするなら解決するということだと思います。それは決して難しい悟りではなく、子供でもその良心で分かることだと思います。自己中心を退け、神様の願い、神様の思いを中心にして生きることだと思います。

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は宗教の戒律が記された教典ではなく、神様を中心にして生きようとしたユダヤ人の歴史の記録だと思います。また、私たち日本人の信仰と生き方にはユダヤ人と聖書の影響が大きくあると思います。キリスト教の教典としてではなく、神様を中心にして生きるために聖書を参考にしていただきたいと思っています。

新約聖書 マタイの福音書 15章21~28節

それから、イエスはそこを去って、ツロとシドンの地方に立ちのかれた。すると、その地方のカナン人の女が出て来て、叫び声をあげて言った。「主よ。ダビデの子よ。私をあわれんでください。娘が、ひどく悪霊に取りつかれているのです。」

しかし、イエスは彼女に一言もお答えにならなかった。そこで、弟子たちはみもとに来て、「あの女を帰してやってください。叫びながらあとについて来るのです」と言ってイエスに願った。

しかし、イエスは答えて、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊以外のところには遣わされていません」と言われた。しかし、その女は来て、イエスの前にひれ伏して、「主よ。私をお助けください」と言った。

すると、イエスは答えて、「子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのはよくないことです」と言われた。しかし、女は言った。「主よ。そのとおりです。ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパンくずはいただきます。」

そのとき、イエスは彼女に答えて言われた。「ああ、あなたの信仰はりっぱです。その願いどおりになるように。」すると、彼女の娘はその時から直った。

使命に集中する

2つのことを思いました。1つは自分に与えられた使命に集中することの大切さです。「イスラエルの家の失われた羊」とは、神様から離れてしまったユダヤ人のことを言っているのでしょうか。自分に与えられた使命は何か。あれもこれもではなく、そこに集中することは、神様を中心にすることになると思いました。

カナン人の女の信仰

もう1つは、イエスに褒められた、このカナン人の女の信仰です。ひどく悪霊につかれた娘を助けて欲しい。それは自己中心ではなく、どこまでも神様を中心とする中で、神様に助けを求めたのだと思います。その願い通り、娘は直りました。大切なことは神様を中心にすることだと思います。

いかがでしたか

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「日本人の信仰と聖書について考える会」では、宗教ではなく、神様を中心として生きる幸いについて、多くの人にお伝えできるように、パンフレット「今こそ伝えたい日本人の心」(1部10円。100部以上で送料無料。)を作成しました。皆様のお知り合いの方にぜひお渡しください。ご協力をよろしくお願いします。

今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました。